PR お城いろは たぶん日本一有名な合戦!だけどよく知らない「天下分け目の関ケ原の戦い」超入門

関ヶ原の戦い

毎年、決戦の日・9月15日には、SNSが盛り上がるなど、今なお熱い戦いが繰り広げられている「関ケ原の戦い」。 たぶん日本一有名な合戦ですが、「そもそも何で戦ったの?」「誰と誰が戦ったの?」と聞かれると、「よく知らない…」という人も多いはず。 今回は関ケ原の戦いの素朴な疑問から、古戦場跡の最新の楽しみ方まで<歴史のキホン編><観光編>の2部構成で、サクサクっとご紹介します!

【歴史のキホン編】Q:「関ケ原の戦い」ってどんな戦い?

関ヶ原の戦い

関ケ原の戦いは、慶長5年(1600年)9月15日に起きた、徳川家康率いる「東軍」と、石田三成を中心とする反徳川勢力の「西軍」が激突した日本史上最大の野戦です。「天下分け目の戦い」とも呼ばれ、この合戦に勝利した徳川家康が覇権を握り、約270年に及ぶ江戸時代への幕を開く契機となりました。

Q:「関ケ原」って、どこにあるの?

関ヶ原の戦い

現在の岐阜県の関ケ原町にあります。古代から「不破関」という関所が置かれていた場所で、中山道・北国街道・伊勢街道が交わる交通の要衝でした。ここを押さえることが戦略的に非常に重要だったのです。

Q:なんで「関ケ原の合戦」が起きたの?

関ヶ原の戦い

天下人・豊臣秀吉の死が発端です。秀吉の死後、権力を強めていった徳川家康と、それを良く思わない石田三成らの間で起きた、豊臣政権内の権力争いが原因です。

Q:東軍・西軍って聞くけれど・・・?

関ヶ原の戦い

関ケ原の戦いは、全国の大名が二手に分かれて戦いました。徳川家康を総大将とする「東軍」には福島正則黒田長政など、石田三成が旗を振る「西軍」には宇喜多秀家大谷吉継などがつき、東軍西軍あわせて15万を超える軍勢だったといわれています。

Q:実は西軍の「総大将」は関ケ原にいなかった…ってどういうこと?

関ヶ原の戦い

実は、石田三成は西軍を実質的にまとめ上げていましたが、総大将ではないのです! 総大将として担ぎ出されたのは五大老(有力大名)である毛利輝元でした。で、この毛利輝元は大坂城にいて、戦いには参加していないのです。ちなみに、徳川家康は五大老で、石田三成は五奉行といわれる秀吉の直属の家臣となります。


Q:十数万人が戦った<天下分け目の決戦>・・・ってことは、関ケ原の戦いは何日くらい続いたの?

関ヶ原の戦い

なんと、わずか「半日」で決着がついたそうです。関ケ原の戦いを時系列で追うと、午前8時頃開戦、10時頃には激闘に、正午頃に裏切りが発生、午後2時には決着がついていたとも言われます。

Q:勝敗を分けたのは「裏切り」!? 何が起きたの?

関ヶ原の戦い

松尾山に大軍で陣取っていた西軍の小早川秀秋が裏切り(寝返り)、突如として、味方の大谷吉継の部隊に襲いかかりました。また、小早川の裏切り以外にも、同じく西軍の毛利軍や島津軍が動かなかったことなどもあり、西軍は次々と崩れてしまい、わずか半日で勝負がついてしまったのです。ちなみに、西軍からの助けを求める催促に対して、毛利秀元(総大将・毛利輝元の名代)が「今、お弁当を食べているから…」と苦し紛れの言い訳をしたといわれるのが、「宰相殿の空弁当」の元になった故事になります。

関ヶ原の戦い

後ほどご紹介する「岐阜関ケ原古戦場記念館」のレストランでは、小早川秀秋にちなんだ「裏切りカルボナーラ」が食べられますよ! 通常のカルボナーラを裏切ったとある仕掛けがされているとか。ぜひ、現地で食べてみたいですね!

Q:敵に背中は見せない!? 逃げる時あえて前進した部隊がいた!

関ヶ原の戦い

西軍が総崩れとなって逃げ惑う中、戦場に取り残された島津義弘の隊は、なんと「あえて前進し、敵である徳川家康の本陣の目の前をかすめて強行突破する」という前代未聞の退却戦を決行しました。多くの犠牲(捨て奸(すてがまり)という足止め戦法)を払いながらも、大将の義弘は無事に地元・薩摩(鹿児島)まで生還を果たしました!

Q:短期決戦で勝敗が決まっちゃったんですね!

関ヶ原の戦い

豊臣秀吉の死をきっかけに、実権を握るべく秀吉の家臣たちの抗争は2年前から始まっていました。そして、関ケ原の戦いの約2ヶ月前から各地で「前哨戦」が繰り広げられました。しかも、戦いは関ケ原だけでなく、東北や九州など全国の武将たちが東軍・西軍に分かれて戦う、まさに「全国規模の大戦争」だったんです!

さらに詳しい前哨戦の裏事情を知りたい方は、こちらの記事もチェックしてみてくださいね↓

【観光編】Q:今の関ケ原ってどうなってるの?観光ってできる?

関ヶ原の戦い

できます!各武将が陣を敷いた跡や、激戦地には碑やのぼり旗が立てられ(のぼり旗は春~秋にかけて立てられています)、ウォーキングガイドマップも整備されています。まずは、関ケ原の戦いを大型スクリーンの映像で体感できる「岐阜関ケ原古戦場記念館」で予習するのがおすすめです。

関ヶ原の戦い

【お城・歴史ファン必見情報!】 

ちなみに記念館の5階展望室にはタッチパネル式のデジタルサイネージが設置されていて、古戦場を一望しながら音声ガイドが聴けるんです! 

関ヶ原の戦い

日本語の解説は、大河ドラマの時代考証でおなじみであり、同記念館の館長も務める小和田哲男先生。そして英語バージョンは、お城好きDJとして人気のクリス・グレンさんが担当しています! 展望室からのリアルな景色とわかりやすい解説を組み合わせれば、関ケ原への解像度がUPすること間違いなしです。

Q:武将の格好で、実際の古戦場で撮影できるって本当!?

関ヶ原の戦い

本当です!関ケ原笹尾山交流館で「甲冑武者体験」(有料)ができます。有名武将から足軽まで選べて、甲冑姿のまま史跡を散策して記念撮影できるんです。甲冑はこんな感じ↓

関ヶ原の戦い

Q:どうやってめぐるのがいいの?時間はどの位みればいい?

関ヶ原の戦い

JR関ヶ原駅前の「関ケ原駅前観光交流館」や同駅から徒歩約10分の「岐阜関ケ原古戦場記念館」で電動アシスト付き自転車をレンタルするのがおすすめです。3時間ほどみておけば、「岐阜関ケ原古戦場記念館」や「笹尾山・石田三成陣跡」、西軍と東軍が激戦を繰り広げた「決戦地」(笹尾山の麓)、「徳川家康最後陣地」(岐阜関ケ原古戦場記念館の横)などをめぐれます。

関ヶ原の戦い

徒歩でもJR関ヶ原駅から笹尾山までは片道30分程度です。甲冑体験(90分)や周辺の陣跡巡りを合わせて、大体半日〜1日かけてじっくり楽しむのもおすすめです。

Q:超マニアックな観光ルートがあるって聞いたけど?

関ヶ原の戦い

「岐阜関ケ原古戦場記念館」では、関ケ原の戦いの代表的な7人の武将(徳川家康石田三成大谷吉継黒田長政福島正則小早川秀秋島津義弘)の逸話をひもとき、それぞれの武将ごとにゆかりの場所をめぐる古戦場巡りの7つの観光ルートを設定しています。

関ヶ原の戦い

たとえば、島津義弘コースでは、島津が着陣した陣跡から、敗戦後に島津勢が敵中突破した烏頭坂までの道程をたどるちょっと体力が必要なコースが案内されています。「岐阜関ケ原古戦場記念館」のサイトからルートガイドがダウンロードできる(https://sekigahara.pref.gifu.lg.jp/tour/)ので、推し武将のいる方は要チェック!

もっと詳しく「関ケ原の戦い」が知りたい!

もっともっと詳しく知りたいのですーー!という方は、ぜひ城びとの関ケ原の戦いの記事がまとめて読める「実はよく知らない天下分け目の決戦「関ケ原の戦い」」をご覧ください!

関ヶ原の戦い



執筆/城びと編集部 協力/岐阜県、岐阜関ケ原古戦場記念館、関ケ原笹尾山交流館