赤山城は現地案内板には赤山陣屋と記され、伊奈忠治が新たに赤山領七千石を賜ったことから元和4年(1618)に構築を始めた大規模な陣屋だったようです。城址碑と案内板のある場所の北側一帯が広大な陣屋跡(本丸に相当)で西側に二の丸、陣屋の北側に出丸が配され、周囲一帯に家臣屋敷地が配された、平城に匹敵する陣屋だったようで、城址碑の東西に整備された空堀跡が残っています。
周囲は道が狭いので離れた場所に車を置いてきたのですが、この日はハンドルロックのトラブルが継続的に続いて往生しました。
原因は大き目の変換機をソケットに接続していたためで、スターターが一時的な電力不足に陥っていた可能性があります。エンジンをかける際にソケットからプラグを抜くようにしてから、トラブルが無くなりました。
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