かばやまじょう

樺山城

宮崎県北諸県郡


旧国名 : 日向

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城址碑
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しんちゃん

樺山資久 (2025/05/07 訪問)

樺山城の詳細ははっきりしませんが、島津宗家4代・忠宗の五男・資久が日向国樺山を領し、樺山氏を名乗って勝山城を築いて住んだとされているので、樺山城も近い時期に築かれた可能性はあります。勝岡城は明応4年(1495)に伊東氏の城となったので、樺山城も同じ経緯をたどったのではないでしょうか。城址自体も公園化されていて形態が解りづらいです。
上米公園の宮田池の南東の丘陵の鼻先が城址と見られ、遊歩道を通って主郭を目指します。途中、工事のため通行不可の場所があるので、そこを北に迂回し、行きついた場所の頂部が主郭と見られます。主郭には土塁のような土盛りがあり、そこに城址碑が立っています。
主郭周辺と丘陵上の扁平地に城址の面影はありますが、遺構などは見当たりません。

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零汰

主郭が残る (2021/04/21 訪問)

築城者を見ると樺山氏、在城者は樺山氏・伊東氏・島津氏とある。伊東氏は言わずと知れた伊東48城の伊東さん。この辺りの城跡は伊東さんと島津さんが取ったり取り返したりを繰り返しているのでちょっと良く分からない。それに島津系には樺山島津氏もいた様なので(だったかな?)毎回ながら考える事を放棄してしまう。

上米公園内の最高所を目指して歩いていくと目当ての主郭に到達します。そこに至るまではほぼ公園化の波に晒され遺構は無いようです。が、訪問時は気が付きませんでしたが二郭も残っているらしく見逃しました。主郭内の北側に土壇が有り石碑があります。虎口は東側に残っているので登ってきた階段は後世のものでしょう。主郭は高所にあり、東側には現在道路として使われている場所が当時の堀切です(写真6)。あいにく降りる場所が無かったので上から写真を撮りました。こちらも気軽に訪問出来る城跡です。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 樺山氏?
築城年 南北朝時代
主な城主 伊東氏、樺山氏、島津氏
遺構 曲輪
再建造物 石碑
住所 宮崎県北諸県郡三股町樺山(上米公園)
問い合わせ先 三股町教育課生涯学習係
問い合わせ先電話番号 0986-52-1111