樺山城の詳細ははっきりしませんが、島津宗家4代・忠宗の五男・資久が日向国樺山を領し、樺山氏を名乗って勝山城を築いて住んだとされているので、樺山城も近い時期に築かれた可能性はあります。勝岡城は明応4年(1495)に伊東氏の城となったので、樺山城も同じ経緯をたどったのではないでしょうか。城址自体も公園化されていて形態が解りづらいです。
上米公園の宮田池の南東の丘陵の鼻先が城址と見られ、遊歩道を通って主郭を目指します。途中、工事のため通行不可の場所があるので、そこを北に迂回し、行きついた場所の頂部が主郭と見られます。主郭には土塁のような土盛りがあり、そこに城址碑が立っています。
主郭周辺と丘陵上の扁平地に城址の面影はありますが、遺構などは見当たりません。
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