新府城は武田勝頼が長篠の合戦に大敗した後の天正9年に築いた城です。西は七里岩の断崖絶壁で北と東には堀を配しいています。大手は南に付きますが、三日月堀や丸馬出、枡形虎口に小型の枡形などが複合して防御力を高めています。見ていて、一番テンションが上がるのが、この南側の遺構です。本丸は非常に広く、この新府城の特徴ともいえる部分です。
本丸以外にも二の丸・馬出・東三の丸・西三の丸などの曲輪を備えていて防御力も高いです。北側が搦め手になりますが、堀を迂回して攻め込んで来る敵を東と西の鉄砲出構が迎え撃ちます。矢もビュンビュン飛んで来るので乾門までたどり着くのは困難だと思います。
甲州流築城術の集大成とも言える城ですが、天正壬午の乱の際に徳川家康が本陣を敷いたとされるので・・微妙に嫌な予感が・・
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