続日本100名城

しんぷじょう

新府城

山梨県韮崎市

別名 : 韮崎城、韮崎館

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新府城
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朝田 辰兵衛

勝頼が生きていたら聞いてみたい。 (2018/11/16 訪問)

①現状で何割の出来なのか…?/②親に自慢できるポイントは…?/③自己採点。

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モト

見事な堀、土塁、そして大規模な遺構は続名城百選に恥じない城跡です! (2019/03/05 訪問)

空堀から土塁、この城跡に見られる遺構たちはダイナミックで、さすが続名城百選でした!
車を停めてすぐに長い堀が見えます。
その堀に土盛りの出っ張った2つの出構です。
きっとここから迫り来る敵を迎撃するんだろうななんて想像しながら進みます。
もうテンションが上がりまくりです。
乾門の枡形虎口が見えてきます。
ここから登城です。
ここに到達するまでに、先程の出構ももちろんですが、高い土塁や空堀などすでに見所は満載です。
井戸跡などを見ながら広い本丸跡には武田の家臣たちの塔婆のような物がありました。
武田の名将たちの名前を確認しましたが、それだけでも武田好きではなくても心が踊ります。
西三の丸跡を見ながら大手門の方にまわりますと三日月堀も見ることができました。

雰囲気満点の遺構たちに大満足でした。
三日月堀をみると武田〜って感じもするのは私だけでしょうか。

駐車場も広く停めやすく、整備されすぎもなく所々にある案内板も見やすいので見学しやすい城跡でした。
なにより遺構は見応え十分です。
今更私が言うまでもなく、かなりオススメの城跡です!

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街道おじさん

新府城登城 (2019/03/19 訪問)

甲府城、武田氏館と甲府市にある100名城を登城した後、JRを使い新府城に登城。
悲劇の戦国武将武田勝頼が築いた城である。築城には真田昌幸も関わったとのこと。
甲府からJRで韮崎まで行き、そこから徒歩で韮崎市民俗資料館へ行き、続100名城スタンプを
押印。その後、新府城まで歩き、写真を撮ったあと、JR新府駅から甲府まで戻る。
この順番を逆にするべきであった。韮崎駅→韮崎市民俗資料館→新府城は基本的に登り坂。
逆に歩けば下りでずっと楽だった。(今後新府城をJRで訪れる方はご注意を!)

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スミヤキ

未完成の悲運の城 (2019/04/05 訪問)

天正9年(1581年)暮れに武田勝頼は、躑躅ヶ崎館から新府城に本拠を移します。

新府城は甲府盆地の西部に位置した、八ヶ岳の山体崩壊に伴う岩屑流が釜無川と塩川の侵食により形成された七里岩台地上の小山に築かれた連郭式平山城です。
約70mの高さの急崖を城壁に、東西を南流する両河川を天然堀とした要害堅固の地です。釜無川の対岸には、甲斐武田氏初代信義公が眠る願成寺や館跡がある、所縁の地であり、この地が選定されたのも偶然ではないと思います。

武田氏の守護館を踏襲して造営された新城も、織田・徳川軍の侵攻を受け、わずか2ヶ月余りで自落の運命を辿ることになります。新府城退去後、数日で勝頼主従は自決することに。
近年の調査により、城の大手口には門が無かった事が判明したようで、城門が無い状態では籠城の選択がある訳もなく、立ち退くことも致し方ないと思います。

何故、勝頼さんは未完成な新府城への転居を急いだのでしょうね? そんな事を思いながら、悲劇の歴史となった城跡を歩きました。駐車場から、搦手口にまわり、二の曲輪、本丸を目指すと様々な遺構を見つつ、登城を楽しむことが出来ます。甲斐守護名門武田家に相応しい大規模で見所の多い、素敵なお城です。周囲の山々の景観も素晴らしく、きっと満足すると思います!

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城郭情報

城地種類 平山城
築城年代 天正9年(1581)
築城者 武田勝頼
主要城主 武田氏          
文化財史跡区分 国指定史跡
近年の主な復元・整備 乾門(搦手)の土塁および門の礎石などを復元。出構、井戸跡の整備
主な関連施設 韮崎市民俗資料館
主な遺構 本丸、二の丸、三の丸、堀、馬出、枡形、東出構、西出構
住所 山梨県韮崎市中田町中条字城山他
問い合わせ先 韮崎市教育委員会教育課文化財担当 
問い合わせ先電話番号 0551-22-1111