廻氏の祖は城州・宇治橋の戦いで父・源頼政と共に戦死した源仲綱の子、宗綱・広綱・有綱のいずれかと思われます。廻氏は廻城を拠点として、当地にて繁栄しました。15代久元が盲目となり、子の頼員がまだ幼かったことに付け入り、永禄4年(1561)に肝付兼続が城を略奪しました。島津氏と廻氏は友好関係にあったため島津貴久は長子・義久と弟・忠将と共に大軍を以て出陣しました。
貴久父子は大塚に陣を敷き、忠将は馬立(現在の古城)に陣を敷き、遊軍を竹原山(高原陣)に置きました。肝付の軍が竹原山を襲撃したため、忠将はこれを救援に向かいますが、敵勢に囲まれ、討死してしまいました。
怒った貴久父子によって、肝付勢は敗れ恒吉に落ち延びて行ったとされています。城址の南約700mあたりの道沿いに忠将の供養塔が有りますが、情報が足りず訪問していません。いずれ、廻城を再訪した際には、参らせていただきたいと思います。できればその時には本丸周辺の藪が刈られていると有難いのだけど・・無理でしょうな。駐車場から本丸に向かう道(?)はかなり危ない、崖近くを通る踏みしろですが、本来は海側西方に大手道が付いているようです。
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