今回も口コミをよく読まずに来ています。城めぐりをしている時は、忙しくてゆっくり見ている時間は無いし、普段皆さんの投稿は読んでいますが3000城全部を覚えるのは無理ですわ。
改めて見ると石井垣城の投稿も人によって内容が様々です。私も春日神社の北側の曲輪や池の周辺を回って見ましたが、藪化も進んでいるので比較的散策しやすそうな南側の三重堀切を見に行きました。堀切は全部で5つあったと思いますが、主な堀切が三つ東西に長く続いていて、堀切に挟まれた台地が東西に長い曲輪となっていて土塁を備えており、その土塁にも浅い堀が付いているようでした。それで堀切が5つあるように見えたのだと思います。この辺りは夏でも遺構が比較的判別しやすいので一見の価値はあると思います。
南北朝時代の初期には伯耆国の守護代・糟谷弥次郎元覚の拠点であったとされ、元弘3年(1333)船上山合戦の後に南朝方の名和長年に攻撃され落城し、糟谷氏は滅んだとされています。14世紀中ごろには国人領主・箆津氏の居城であったようです。
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