いわいがきじょう

石井垣城

鳥取県東伯郡

別名 : 岩井垣城、中山城
旧国名 : 伯耆

投稿する
口コミ・画像を投稿する

みんなの写真投稿

投稿する

みんなの口コミ

投稿する

昌官忠

(中国地方と兵庫県)遠征9日目:石井垣城 (2026/05/19 訪問)

船上山城から車で30分弱で、説明板付近(35.514051、133.583618)に着き路駐しました。

築城年代は定かではないようです。
1333年(元弘3年/正慶2年)伯耆国守護代の糟屋弥次郎元覚が在城しましたが、後醍醐天皇を奉じて船上山城に挙兵した名和長年によって攻められ落城しました。
まもなくして付近の国人・赤坂掃部助が居城、その後、箆津(のづ)豊後守敦忠が居城し、以後は箆津氏代々の居城となりました。

20分以上、縄張り図を見ながら春日神社神社付近をウロウロしたが、見つけられません。
自宅に戻って確認したら、自分がウロウロした場所より、もう少し北側だったようです。
方向音痴の自分がなさけないです。
攻城時間は30分(ほとんどウロウロした時間です)くらいでした。次の攻城先=富長城に向かいました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんちゃん

春日神社南の三重堀切と曲輪 (2025/06/29 訪問)

今回も口コミをよく読まずに来ています。城めぐりをしている時は、忙しくてゆっくり見ている時間は無いし、普段皆さんの投稿は読んでいますが3000城全部を覚えるのは無理ですわ。
改めて見ると石井垣城の投稿も人によって内容が様々です。私も春日神社の北側の曲輪や池の周辺を回って見ましたが、藪化も進んでいるので比較的散策しやすそうな南側の三重堀切を見に行きました。堀切は全部で5つあったと思いますが、主な堀切が三つ東西に長く続いていて、堀切に挟まれた台地が東西に長い曲輪となっていて土塁を備えており、その土塁にも浅い堀が付いているようでした。それで堀切が5つあるように見えたのだと思います。この辺りは夏でも遺構が比較的判別しやすいので一見の価値はあると思います。

南北朝時代の初期には伯耆国の守護代・糟谷弥次郎元覚の拠点であったとされ、元弘3年(1333)船上山合戦の後に南朝方の名和長年に攻撃され落城し、糟谷氏は滅んだとされています。14世紀中ごろには国人領主・箆津氏の居城であったようです。


+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

todo94

ゴールデンウイーク後半・伯耆の城めぐり⑦ (2025/05/03 訪問)

富長城からの転戦です。春日神社がその故地となります。鳥居前だけ、道幅が狭いですが、その手前も奥も道幅が広く、駐車スペースは十分にありました。グーグルマップ及び現地説明板では「岩井垣城」の表記になっています。春日神社も土塁に囲まれていますが、その北側、グーグルマップのポイントのあたりも複雑に空堀が入り組んでいます。ただ、現地での表示がないので迷うこと必定です。ぴーかるさんの投稿にあるように縄張り図を写真にとって見ながら散策すればよかったと反省しています。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ぴーかる

石井垣城 (2024/10/05 訪問)

【石井垣城】
<駐車場他>春日神社入口横<35.513791,133.583522>に駐車できます。
<交通手段>車

<見所>横堀・箆津敦忠墓地
<感想>初秋の鳥取縦断平山城攻め旅5城目。現地説明板によると石井垣城の前身は南北朝時代に初期に伯耆守護代の糟谷氏の居城中山城であったようで1333年に船上山合戦に勝利した名和氏が鎌倉幕府方の糟谷氏を攻めて落城します。のちに国人領主の箆津(のつ)氏が入城し整備したと推定されています。この地方では珍しい複郭式の城跡です。
 主要部や要所要所の投稿は城びと初になります。駐車場に城跡の説明と簡単な縄張り図の案内板があるので写真を撮って巡るのがよいかもしれません。春日神社の北側一帯が主要部のようですが、主要部南側の堀が浅く曲輪のはじまりがちょっと不明瞭です。中心部にL字状の僅かに石塁の残る土塁があり虎口跡、ここら辺が主郭かなあと感じさせます。L字状土塁から西側へ続く道を行くと北側に横堀が縦横に見られます。この辺りの堀は深くて明瞭です。
 道を進むと池を北側から西側へ大きく回り込むようにして行けることになります。池の周囲は西側以外は表面観察で残る遺構は見当たりません。西側に当時の墓地地区があり五輪塔などが点々と残された曲輪があります。池の西側に東西に走る城跡最大の空堀があり見応えがあります。その空堀の横、池のほとりに箆津敦忠墓地がひっそりとあり、今でも地元の方かと思われるお供えがありました。

<満足度>◆◆◇

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

城郭情報

分類・構造 複郭式平山城
築城主 糟屋氏?
築城年 正慶2年〔北朝〕/元弘3年〔南朝〕(1333)以前
主な改修者 箆津氏
主な城主 糟屋重行、赤坂幸清、箆津敦忠
廃城年 不明
遺構 曲輪、土塁、石塁、堀切、馬出、土橋
再建造物 石碑、説明板
住所 鳥取県東伯郡大山町石井垣