【石井垣城】
<駐車場他>春日神社入口横<35.513791,133.583522>に駐車できます。
<交通手段>車
<見所>横堀・箆津敦忠墓地
<感想>初秋の鳥取縦断平山城攻め旅5城目。現地説明板によると石井垣城の前身は南北朝時代に初期に伯耆守護代の糟谷氏の居城中山城であったようで1333年に船上山合戦に勝利した名和氏が鎌倉幕府方の糟谷氏を攻めて落城します。のちに国人領主の箆津(のつ)氏が入城し整備したと推定されています。この地方では珍しい複郭式の城跡です。
主要部や要所要所の投稿は城びと初になります。駐車場に城跡の説明と簡単な縄張り図の案内板があるので写真を撮って巡るのがよいかもしれません。春日神社の北側一帯が主要部のようですが、主要部南側の堀が浅く曲輪のはじまりがちょっと不明瞭です。中心部にL字状の僅かに石塁の残る土塁があり虎口跡、ここら辺が主郭かなあと感じさせます。L字状土塁から西側へ続く道を行くと北側に横堀が縦横に見られます。この辺りの堀は深くて明瞭です。
道を進むと池を北側から西側へ大きく回り込むようにして行けることになります。池の周囲は西側以外は表面観察で残る遺構は見当たりません。西側に当時の墓地地区があり五輪塔などが点々と残された曲輪があります。池の西側に東西に走る城跡最大の空堀があり見応えがあります。その空堀の横、池のほとりに箆津敦忠墓地がひっそりとあり、今でも地元の方かと思われるお供えがありました。
<満足度>◆◆◇
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