さぎさかじょう

匂坂城

静岡県磐田市


旧国名 : 遠江

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小城小次郎

匂坂三兄弟 (2023/04/02 訪問)

今川に仕えた猛将・匂坂長能が台地端への築城提言を蹴っ飛ばして平地にこしらえたのが匂坂館。一応台地端にも匂坂城はある(どちらも遺構はないが)。長能の息子達が姉川で真柄十郎を討ち取る大手柄をあげた匂坂三兄弟。

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しんしんちゃん

日本城郭大系‥ あと2冊くらい揃えておこうかな (2021/02/20 訪問)

私、日本城郭大系 一冊だけ持っているんですよ。
第九巻・愛知・静岡・岐阜 ‥三重は無いのか‥
せっかくなので
「日本城郭大系」によると
匂坂城は遠江の国人領主匂坂氏が居住した城です。
遠江に進出した武田信玄は元亀元年重匂坂城を落とし
臣穴山梅雪を置いて守らせていた。このころの匂坂城は
武田氏の二俣城攻めに際し、掛川と浜松を分断する大きな役目を
果たしていた‥ とのことです。
wikiと違ってコピペできないのでちょっと面倒です。
現状石碑しかありませんが、グーグルで検索するともう一か所出てくるので
そこも訪問してあります。

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昌官忠

JR飯田線/身延線沿線城巡り5日目:匂坂城 (2021/07/01 訪問)

JR飯田線/身延線沿線城巡り5日目の10城目は匂坂城です。
長者屋敷から転戦。さぎさか石碑前(34.765285、137.832383)に路駐しました。

匂坂城は、1532年に勾坂長能によって築かれたようです。長能は、匂坂郷の国人領主で戦国時代には今川氏に従っている。 
1568年に徳川家康が掛川城を攻略する頃、匂坂吉政は徳川方に与し、本領安堵となっています。
1571年、武田信玄の高天神城攻めの際、占領され匂坂城には穴山梅雪が入りました。
武田信玄が世を去った後、徳川家康は武田軍に奪われた城を取り戻しているので、匂坂城も奪還したと考えられています。

雨が降っていたので車の中から石碑の写真を撮って撤退しました。
攻城時間は5分くらいでした。

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チェブ

ピカピカの石碑。 (2020/01/03 訪問)

この二枚の写真では、どこのお城か分かりませんよね。
行った私も忘れそうでした。
「匂坂城」です。
匂坂 長能さんが築城しました。「われに守りの城は無用なり!」と言って平地に「匂坂城」を築いたんだとか、、、。
近くに天竜川が流れてますので天然の要害に守られてますぞっと、軽く突っ込みを入れてみます。
長能さんを継いだ吉政さんは今川家から離反し武田家に属そうとしましたが、一族のゴタゴタで急遽、徳川家の傘下に入りました。
「匂坂城」は畑の片隅にピカピカの石碑がありました。ピカピカすぎて正面からだと私が写ってしまいます。角度をつけると↓のような写真になってしまいました。
この辺り、近くに幼稚園と小学校がありました。
それから「いこいラーメン」というラーメン屋さんがあり、行列していました。
ラーメン屋さんを見つけたら「匂坂城」、近いですよ。

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城郭情報

分類・構造 平城
築城主 匂坂長能
築城年 天文元年(1532)
主な城主 匂坂氏
遺構 消滅
再建造物 石碑
住所 静岡県磐田市匂坂上字大土居(地図は石碑の場所を示す)