まえだじょう

前田城

愛知県名古屋市


旧国名 : 尾張

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城址碑
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しんちゃん

蟹江城合戦の前田與十郎の城 (2024/02/03 訪問)

前田城は前田速念寺の境内に築かれていたようです。街中の城跡なので土塁などの遺構は当然のように有りませんが、石碑や城址碑などがいくつもあります。境内には前田氏の墓があり、前田仲利、利成と最後の城主とされる前田與十郎の墓があります。
前田與十郎長定は前田対馬守家2代当主とされ代々の当主は與(与)十郎を名乗り、前田利家の本家筋に当たるそうです。長定は佐久間信盛に仕え、本能寺の変の後は佐久間信栄のもとで織田信勝に仕えたようです。
小牧・長久手の戦いの際に起きた蟹江城合戦では滝川一益の調略で羽柴方に寝返り守将の佐久間信辰を追い出し、蟹江城に籠城するも徳川家康・織田信雄の2万の軍に前田城・下市場城ともども包囲されてしまいます。舟入の戦いで羽柴方の九鬼嘉隆が破れ制海権を奪われたのち、敵の総攻撃を受け蟹江城は開城したそうです。和平交渉のさなか長定は船で妻子ともども脱出を試みますが、長定は逃がしてはならぬと、妻子ともども討ち取られてしまったとあります。(「三河物語」に記載があるようです)
城内にある前田與十郎の墓はこの長定の墓のようです。

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小城小次郎

前田家の本家とは (2023/04/15 訪問)

加賀前田家の「苗字」の地には前田家の本家筋とされる与十郎家(後の対馬守家)が住んでいた。この家と荒子城の前田利昌・利家親子との関係は不明瞭なのだが実際のところどっちの方が格上だったのかもよくわからないみたい。

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昌官忠

2022夏の青春18キップ16日目:前田城 (2022/08/04 訪問)

荒子城からの転戦です。利家生誕石碑前から35分くらい歩き、速念寺前(35.140137、136.831278)に着き、その後、円盛寺前(35.140494、136.831355)に向かいました。

詳細は不明です。江戸時代に加賀百万石の大名となった前田利家の誕生の地を荒子城ではなく前田城とする説もあります。前田氏の城でしたが、荒子城へと居城を移しました。

前田城は前田速念寺の境内にあったそうですが、遺構はなく、石碑があるのみです。
前田速念寺は前田利家の叔父利則が出家して意休と号し初代住職となったそうです。
攻城時間は10分くらいでした。前田城で「2022夏の青春18キップ」を使用した遠征は終了です。ここから千葉の自宅まで帰ります。

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todo94

新型コロナウイルス感染症が落ち着いているうちに (2021/11/23 訪問)

勤労感謝の日を利用して前泊で名古屋に乗り込み。尾張の城めぐりを企図してみました。前田城は前田利家ゆかりの城なのだそうです。前田速念寺に城址碑やら説明板やらなかなかのアイテムがそろっていて意表を突かれました。

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城郭情報

分類・構造 平城
築城主 前田氏
築城年 不明
主な城主 前田氏
遺構 消滅
再建造物 石碑
住所 愛知県名古屋市中川区前田西町1(前田速念寺)