まえだじょう

前田城

愛知県名古屋市


旧国名 : 尾張

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山門
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朝田 辰兵衛

前田家発祥の地との説アリ… (2025/03/21 訪問)

実際に荒子城と張り合っているのかどうかはわかりませんが,前田家発祥の地との説アリ。自己主張満々の前田速念寺の本堂は兜を意識したビジュアルです。

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ぴーかる

この城か荒子城が前田利家生誕地 (2024/07/27 訪問)

【前田城】
<駐車場他>駐車場はなし。
<交通手段>近鉄線伏屋駅から徒歩

<感想>青春18きっぷで濃尾平野ちょこ城巡り第5弾6城目。城跡地である前田速念寺の由緒書によると、この地である海東郡前田村は前田氏発祥の地で寺伝では前田利家公はこの地で生まれ、幼少時に出城である荒子城に移って成長したとされます。前田城は長久手の戦いで秀吉方に付いたために徳川軍に攻撃され落城し、城主の前田輿十郎は蟹江で討死しました。利家の叔父前田利則は出家してここに速念寺初代となりました。
 速念寺境内に城跡碑、本堂の左脇に最後の城主前田輿十郎の墓碑があります。

<満足度>◆◇◇

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しんちゃん

蟹江城合戦の前田與十郎の城 (2024/02/03 訪問)

前田城は前田速念寺の境内に築かれていたようです。街中の城跡なので土塁などの遺構は当然のように有りませんが、石碑や城址碑などがいくつもあります。境内には前田氏の墓があり、前田仲利、利成と最後の城主とされる前田與十郎の墓があります。
前田與十郎長定は前田対馬守家2代当主とされ代々の当主は與(与)十郎を名乗り、前田利家の本家筋に当たるそうです。長定は佐久間信盛に仕え、本能寺の変の後は佐久間信栄のもとで織田信勝に仕えたようです。
小牧・長久手の戦いの際に起きた蟹江城合戦では滝川一益の調略で羽柴方に寝返り守将の佐久間信辰を追い出し、蟹江城に籠城するも徳川家康・織田信雄の2万の軍に前田城・下市場城ともども包囲されてしまいます。舟入の戦いで羽柴方の九鬼嘉隆が破れ制海権を奪われたのち、敵の総攻撃を受け蟹江城は開城したそうです。和平交渉のさなか長定は船で妻子ともども脱出を試みますが、長定は逃がしてはならぬと、妻子ともども討ち取られてしまったとあります。(「三河物語」に記載があるようです)
城内にある前田與十郎の墓はこの長定の墓のようです。

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小城小次郎

前田家の本家とは (2023/04/15 訪問)

加賀前田家の「苗字」の地には前田家の本家筋とされる与十郎家(後の対馬守家)が住んでいた。この家と荒子城の前田利昌・利家親子との関係は不明瞭なのだが実際のところどっちの方が格上だったのかもよくわからないみたい。

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城郭情報

分類・構造 平城
築城主 前田氏
築城年 不明
主な城主 前田氏
遺構 消滅
再建造物 石碑
住所 愛知県名古屋市中川区前田西町1(前田速念寺)