月山日和城を終えて地道を南西に約7、8km程の祝吉御所を今回の鶴丸城御楼門と九州未踏の城廻り7城目に初登城、住宅地の中に在りナビは宮崎県都城市郡元町4320に合わせ走行、小公園として綺麗に整備管理されてます、砂利駐車場が数台分あり、トイレ無し。
時間は余り掛かりませんが歴史を遡り思いにしたるのも一興かも、都城市3城廻りに如何でしょうか?
歴史的には文治元年(1185年)忠久は源頼朝によって領家の島津御荘下司職、同荘八千町の惣地頭職、薩摩・大隅・日向3ヶ国の守護に任ぜられ、鎌倉より下向して御所を構えた。
当地は古代・中世において「島津」と呼称され全国有数の荘園として知られ島津御荘の中心であった、忠久は初め惟宗姓を名乗ったが、地名をとって姓を「島津」と称した。
島津氏は武家の名門であり戦国期には九州をほぼ統一しかけるが秀吉の九州征伐で薩摩・大隅・日向の一部と成るが近代日本の歴史上に大きな足跡を残した。(陶板碑文による)
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