たうちじょう

田内城

鳥取県倉吉市

別名 : 巌城
旧国名 : 伯耆

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模擬櫓
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ぴーかる

田内城 (2024/02/17 訪問)

【田内城】
<駐車場他>駐車場はなし。登城口南西のオムロンの工場前<35.440831, 133.837448>の道路脇土手に数台駐車できる。
<交通手段>車

<見所>堀切
<感想>日帰り羽衣伝説の旅2城目。現地説明碑によると田内城は山名時氏が伯耆守護に任ぜられた1337年以降にこの仏石山に築城し、その治所としたとあります。山名時氏の嫡子山名師義は吹打城を築城し本拠を移したので廃城となったとあります。
 巌城橋西詰の交差点、釈迦堂横に登山道があります。つづら折れの山道を10分程度登ると主郭に着き比高はあまりなく丘城といった感じです。小鴨川・天神川を背後にした後ろ堅固な城だったようです。登山道は搦手で途中に僅かに石積み遺構・巨石のある曲輪があります。主郭は狭い2段式になっていて壁板が落ちた古い模擬櫓が建っています。主郭の段にも僅かに石積みが落ちた形跡が残されています。主郭北側に堀切・虎口があり、副郭、北方向になだらかに尾根曲輪があります。最北には新旧墓地があり、古いもので幕末の墓石がありました。伯耆守護の山名氏の城の割には見れる遺構は少なかったように感じました。

<満足度>◆◆◇

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カズサン

山名氏伯耆支配最初の城、道崩れ登城断念 (2021/05/15 訪問)

 前泊のはわい温泉を朝飯前に朝駆けして初登城を目指す、温泉旅館からは東郷池越しに南東はるか羽衣石城三階櫓が小さく見えるロケーション、田内城は以前より認識は有ったのですが車移動の為駐車場の事が心配で延び延びに成ってましたが城びと昌官忠さんの田内城投稿でオムロン電気工場正門脇の空きスペース駐車と有ったのでGoogleMapの航空写真で確認し在りそうと判断し出掛けました。
 
 駐車場:オムロン電気正面から南に30m程の堤防下登り道の三角コーナー草原(N35°26'27" E135°50'14") 2台可、路駐
 
 今回のルート:堤防下路駐からオムロン電気正門過ぎ⇒堤防を登った西に入口案内看板⇒岩阿弥陀⇒田内城案内看板が倒れた登城口⇒狭いコンクリートブロックの階段を登る⇒足幅程の狭い斜め道⇒10m程登った所で道が1m程崩れてる、滑った足跡も有り法事前に汚れたり怪我をしても仕方ないので登城を諦める。(情報とガイドは古城盛衰記さん)
 途中までと周辺を撮影して終了

 歴史:建武4年(1337年)上野山名城主の山名時氏が伯耆国守護と成った際、守護所を築城、完成後は嫡男師義を城主とした、のち伯耆守護に成った師義は延文年間(1356~1361年)に打吹城を築き守護所を移転、田内城は廃城、廃城されるが戦国期打吹城の出城として運用? 天文13年(1544年)の天神川、小鴨川の大洪水で「見日千軒ミルカセンゲン」と呼ばれた城下は全て流失、守護代南条氏によって城下町は打吹山麓に移された。

 帰って再度調べたら今回南からの急峻なルートでしたが北ルート、南西ルートも有りそうなのでもう少し調べ次回を期したい。

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山名氏の城 (2020/11/27 訪問)

 山名氏により伯耆の拠点となるように築かれた城です。主郭には模擬天守が建てられていますが、かなりの年月を経ていることがわかります。主郭から西側と北側へ曲輪が展開しています。西側は道が整備されていていますが、北側は整備されていません。ただ北側の曲輪群には土塁、空堀、竪堀などの遺構を見ることができます。

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昌官忠

西日本遠征 (2019/11/07 訪問)

オムロン倉吉の正門横の空スペース(36.441461、133.838118)に駐車して攻城。
堀切があるようですが見つけられず、登城口付近の城跡碑と模擬櫓、説明板を確認して撤退。攻城時間は20分位でした。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 山名時氏
築城年 興国年間(1340〜1345)
主な城主 山名氏
廃城年 延文年間(1356〜1361)
遺構 曲輪、土塁、堀切
再建造物 模擬櫓、石碑、説明板
住所 鳥取県倉吉市巌城