やぎやかた

養宜館

兵庫県南あわじ市

別名 : 大土居城、大土居、御土居
旧国名 : 淡路

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残存土塁
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しんしんちゃん

残された土塁だけでもかつての規模を推測できる。 (2023/08/13 訪問)

養宜館は淡路国守護細川氏の居館があったとされています。
暦応3年(1340)細川初代師氏が淡路に入り、
永正16年(1519)7代尚春が阿波で三好氏に謀殺されるまで
機能していたということです。
館の規模は南北250m、東西120mとのことで
四方に土塁と堀を巡らした、長方形の形状をしていたそうです。
明治維新後、ジワジワと遺構の破壊が進みましたが、
周囲に残っている土塁だけでも、なかなかの規模のようです。

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織田晃司

メェ~ (2023/07/22 訪問)

田畑の北側と東側に土塁が残る

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昌官忠

2022夏の青春18キップ遠征2日目:養宜館 (2022/07/21 訪問)

洲本城からの転戦です。中八木集会所の空スペース(34.305223、134.795103)に駐車しました。

1340年(暦応3年・興国元年)足利尊氏の命により、淡路を平定した細川師氏によって築かれたと云われています。
それ以前に守護所があったとも云われていますが、定かではないようです。
以後、細川氏は7代約180年間にわたって淡路を支配しましたが、1519年(永正16年)7代・細川尚春が三好之長に謀殺されたため、この館も廃されることになりました。

薬師堂横に館跡碑&説明板があります。
攻城時間は5分くらいでした。次の攻城先=志知城に向かいます。

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小城小次郎

淡路細川氏の守護所で間違いないのだろう (2021/09/18 訪問)

長方形の方形居館が破壊されながらもかなりしっかり残っている。淡路領主の蜂須賀氏もこの地を保全したそうで状況証拠的には淡路細川氏の守護所であった可能性がかなり高いと思うが、考古学的には確かめられていないのだそうだ。

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城郭情報

分類・構造 平城
築城主 細川師氏
築城年 興国元年〔南朝〕/暦応3年〔北朝〕(1340)
主な改修者 不明
主な城主 細川氏
廃城年 永正16年(1519)
遺構 土塁、横堀(空堀)
指定文化財 県史跡(養宜館跡)
再建造物 石碑
住所 兵庫県南あわじ市八木養宜中
問い合わせ先 南あわじ市生涯学習文化振興課
問い合わせ先電話番号 0799-37-3020