淡路島2城目の志知城を終えて、県道477号線を東に約4~5km程の養宜館を目指す、平成病院交差点を北に折れて約300m程の所に養宜館跡の道路標識とコンクリート製標柱案内指示板があり良く分かる。
駐車場:特に無し標識前の道の東側水路上のコンクリートエリアに幅寄せ路駐(34°18'20"N 134°47'45"E h=40m)1台位可能
参考資料:城郭放浪記さんグーグルマップに依る。
東門からの車進入は入口が狭く感じて上記駐車エリアに駐めて家内が留守番、東門より入り東側の土塁が南北に残って居る、土塁と空壕がセットの城館、北側にも残って居る、中心部に中八木集会所、薬師堂、墓場、神社が纏まっている、西側の土塁上(少々消滅してるが)に立派な養宜館之碑が立っている、側面には昭和2年6月従二位侯爵蜂須賀正韶と有り蜂須賀家15代当主に当たる方、碑文を読むと題字は15代正韶侯爵に依る?と読みましたが良く解読できません。
中心部にあった、養宜館跡案内図に依れば。
室町南北朝時代、細川氏の淡路国守護所に当たり、敷地は東西120m南北250mに土塁と空壕が廻っていた、細川氏7代180年の居館で淡路国の中心地であったと有りました。
内部は畑地で東と北に土塁と空壕が残り南側は大きな平成病院が建っています、静かな環境です500年前を偲んで想像を膨らますも一興かと思います。
この後はここまで来たので洲本城樹木伐採された東登石垣を眺めたいなと3度目の登城へ。
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