養宜館は淡路国守護細川氏の居館があったとされています。
暦応3年(1340)細川初代師氏が淡路に入り、
永正16年(1519)7代尚春が阿波で三好氏に謀殺されるまで
機能していたということです。
館の規模は南北250m、東西120mとのことで
四方に土塁と堀を巡らした、長方形の形状をしていたそうです。
明治維新後、ジワジワと遺構の破壊が進みましたが、
周囲に残っている土塁だけでも、なかなかの規模のようです。
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2023/08/26 12:26
残された土塁だけでもかつての規模を推測できる。 (2023/08/13 訪問)
養宜館は淡路国守護細川氏の居館があったとされています。
暦応3年(1340)細川初代師氏が淡路に入り、
永正16年(1519)7代尚春が阿波で三好氏に謀殺されるまで
機能していたということです。
館の規模は南北250m、東西120mとのことで
四方に土塁と堀を巡らした、長方形の形状をしていたそうです。
明治維新後、ジワジワと遺構の破壊が進みましたが、
周囲に残っている土塁だけでも、なかなかの規模のようです。
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2023/07/29 20:35
2022/08/07 04:07
2022夏の青春18キップ遠征2日目:養宜館 (2022/07/21 訪問)
洲本城からの転戦です。中八木集会所の空スペース(34.305223、134.795103)に駐車しました。
1340年(暦応3年・興国元年)足利尊氏の命により、淡路を平定した細川師氏によって築かれたと云われています。
それ以前に守護所があったとも云われていますが、定かではないようです。
以後、細川氏は7代約180年間にわたって淡路を支配しましたが、1519年(永正16年)7代・細川尚春が三好之長に謀殺されたため、この館も廃されることになりました。
薬師堂横に館跡碑&説明板があります。
攻城時間は5分くらいでした。次の攻城先=志知城に向かいます。
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分類・構造 | 平城 |
---|---|
築城主 | 細川師氏 |
築城年 | 興国元年〔南朝〕/暦応3年〔北朝〕(1340) |
主な改修者 | 不明 |
主な城主 | 細川氏 |
廃城年 | 永正16年(1519) |
遺構 | 土塁、横堀(空堀) |
指定文化財 | 県史跡(養宜館跡) |
再建造物 | 石碑 |
住所 | 兵庫県南あわじ市八木養宜中 |
問い合わせ先 | 南あわじ市生涯学習文化振興課 |
問い合わせ先電話番号 | 0799-37-3020 |