やぎやかた

養宜館

兵庫県南あわじ市

別名 : 大土居城、大土居、御土居
旧国名 : 淡路

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東門跡の土塁と空壕案内標識
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カズサン

淡路守護細川氏7代180年の居館 (2025/05/15 訪問)

 淡路島2城目の志知城を終えて、県道477号線を東に約4~5km程の養宜館を目指す、平成病院交差点を北に折れて約300m程の所に養宜館跡の道路標識とコンクリート製標柱案内指示板があり良く分かる。

 駐車場:特に無し標識前の道の東側水路上のコンクリートエリアに幅寄せ路駐(34°18'20"N 134°47'45"E h=40m)1台位可能
 参考資料:城郭放浪記さんグーグルマップに依る。

 東門からの車進入は入口が狭く感じて上記駐車エリアに駐めて家内が留守番、東門より入り東側の土塁が南北に残って居る、土塁と空壕がセットの城館、北側にも残って居る、中心部に中八木集会所、薬師堂、墓場、神社が纏まっている、西側の土塁上(少々消滅してるが)に立派な養宜館之碑が立っている、側面には昭和2年6月従二位侯爵蜂須賀正韶と有り蜂須賀家15代当主に当たる方、碑文を読むと題字は15代正韶侯爵に依る?と読みましたが良く解読できません。

 中心部にあった、養宜館跡案内図に依れば。
 室町南北朝時代、細川氏の淡路国守護所に当たり、敷地は東西120m南北250mに土塁と空壕が廻っていた、細川氏7代180年の居館で淡路国の中心地であったと有りました。

 内部は畑地で東と北に土塁と空壕が残り南側は大きな平成病院が建っています、静かな環境です500年前を偲んで想像を膨らますも一興かと思います。
 
 この後はここまで来たので洲本城樹木伐採された東登石垣を眺めたいなと3度目の登城へ。
  

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赤い城

野生動物 (2025/02/08 訪問)

朝田さんのクイズ、無事に正解できてよかったです✨
久しぶりに正解したような・・・。
にのまるさんのクイズも難しかった。
城では野生動物と出会うことも多いですね。
猪が多いけど猿やカモシカ、鹿など。
東京では檜原城でカモシカに出会ったことがありました。
幸い熊さんには未遭遇、妻木城への林道で車の中から目撃した事はありますが。

で、養宜館です。
もちろんあの動物はいません。
館跡入口には案内板があり、公民館に車を置くことができます。
館跡は畑になっていて土塁が一部残っています。
外側には堀跡も。
淡路国守護の細川氏の居館で東西120m、南北250mの規模だったとされます。

近くには淡路島牧場があり、美味しいソフトクリームが食べられます(この日は極寒なのでパス)。
ここの乳牛はモーツァルトの音楽を聴いて育ってます。
その牛乳、なんとなく美味しい感じがしました。

【見どころ】
 ・北側と東側に残る土塁

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しんちゃん

残された土塁だけでもかつての規模を推測できる。 (2023/08/13 訪問)

養宜館は淡路国守護細川氏の居館があったとされています。
暦応3年(1340)細川初代師氏が淡路に入り、
永正16年(1519)7代尚春が阿波で三好氏に謀殺されるまで
機能していたということです。
館の規模は南北250m、東西120mとのことで
四方に土塁と堀を巡らした、長方形の形状をしていたそうです。
明治維新後、ジワジワと遺構の破壊が進みましたが、
周囲に残っている土塁だけでも、なかなかの規模のようです。

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織田晃司

メェ~ (2023/07/22 訪問)

田畑の北側と東側に土塁が残る

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城郭情報

分類・構造 平城
築城主 細川師氏
築城年 興国元年〔南朝〕/暦応3年〔北朝〕(1340)
主な改修者 不明
主な城主 細川氏
廃城年 永正16年(1519)
遺構 土塁、横堀(空堀)
指定文化財 県史跡(養宜館跡)
再建造物 石碑
住所 兵庫県南あわじ市八木養宜中
問い合わせ先 南あわじ市生涯学習文化振興課
問い合わせ先電話番号 0799-37-3020