ながやぶじょう

長藪城

和歌山県橋本市


旧国名 : 紀伊

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西の城主郭
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ぴーかる

長藪城 (2024/03/09 訪問)

【長藪城】
<駐車場他>駐車場はなし。長藪城登城口に2台程停めれる。
<交通手段>車

<見所>堀切・横矢・竪堀
<感想>長藪城は楠木正成に従い功を立てた牲川頼俊の子、義春が文明年間(1469~1487年)に紀伊国伊都郡に入り築城したとされます。牲川氏は紀伊守護の畠山氏に仕えます。戦国時代後期、畠山氏が没落後は織田信長に仕えますが、1587年豊臣秀吉に逆らって討死し城は落城したとされます。
 城郭は東の城・西の城・出城の3つのゾーンに分かれ一城別郭をなしていますが、3つの曲輪群に分かれている程度で大規模城郭と言えるほどではないです。しかし散策は十分に楽しめます。尾根に沿って東の城は南北に長く、西の城は東西に長いです。Googleマップの長藪城登城口、水道施設の横から登山道が整備されています。北に向かってほぼ真っすぐ細尾根を20分程登ると東の城の副郭に出ます。途中に浅堀切が2か所程あります。
 東の城の副郭は2段構造で西側に腰曲輪が付いています。主郭は方形平地で北側に大堀切がありそうで‥‥無い!小さい堀切が1条あります。主郭と副郭の間に虎口があって、西の城へ下って行く坂があります。東の城の西虎口に出ます。この虎口と坂が曲輪の上方サイドを歩くことになり折れ曲がり虎口になっています。東の城と西の城との間は谷上の土橋を100mほど進んで登ります。
 西の城は東から行くと土橋、堀切があり主郭に入ります。主郭は2段構造で南下段に武者走り、その下の斜面に2条竪堀りがあります。主郭北側に東西に長い土塁があります。主郭の西側は半分堀切、半分副郭になっています。西の城副郭の西端にやや深めの大堀切があり曲輪側の切岸は高い。そこから西へ長い尾根曲輪になっていて、最西に円形の出城(出丸)があります。
 東の城の虎口・通路に対する横矢の造り、西の城は主要部凸凹の造りが見応えありました。

<満足度>◆◆◇

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牲川義春 (2023/02/18 訪問)

 牲川氏が築いた城とされています。東の城、西の城、出城が尾根で結ばれた縄張りとなっています。尾根には堀切があります。東の城、西の城付近の別の尾根にも堀切がありました。
 橋本市城山団地三丁目の奥にある給水塔が目印です。その奥に城山台三丁目集会所の左に登城路があり標識が立っています。こちらから登城して東の城→西の城→出城と散策しました。出城の下にも別の登城路があり、そこを下山しました。道は迷うようなことはありませんが、急坂があり倒木もあり少し難渋しました。またこの季節は枯れ葉が堆積していて滑って歩きにくかった。特に下山時の急坂は怖かったですね。それでも堀切、竪堀、曲輪、土塁等が残っていて散策していて楽しい城址だと思います。

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キンヤ

守護畠山氏の拠点になったと考えられる紀北で最大規模の山城 (2014/12/14 訪問)

故郷の和歌山県の城を紹介したいですが、コロナ後は帰省できておらず、蔵出しで申し訳ございませんが投稿させて頂きます。

住宅地「城山台」の背後にある山城で、私が通っていた高校の通学路沿いにあり、祖母の実家が戦国時代に仕えていたと聞いている城で思い入れがあります。

牲川氏により築かれた詰の城と云われ、守護畠山氏の支配下になって拡張され、畠山氏の拠点になったとも考えられるそうです。

東の城・西の城・出城が一つの城域に含まれた「一城別郭」と呼ばれ、紀北で最大規模とされ縄張りは広く、一通り見学するのに1時間半位かかりました。

全ての尾根が堀切や竪堀でしっかり守られていて、紀北では屈指の山城だと思います。

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イオ

「城山台」というからには… (2018/12/01 訪問)

山城シーズンの到来に、新調したトレッキングシューズの試し履きも兼ねて、地元の山城に行ってみました。

3箇所ある長藪城址入口は、それぞれ「城山台」という住宅地にあります。お城があるとしか考えられない地名ながら、城めぐりをするようになるまでは存在を意識することもありませんでした。そんな地元民にも知られていない城ですので、正直あまり期待してなかったのですが、堀切あり竪堀あり土塁あり土橋ありで、十二分に堪能させてもらいました。
(続)百名城に選ばれるような城ほど整備が行き届いているわけではないものの、あちこちに見られた9月の台風による倒木も、退けたり切ったり枝を払ったりして、とりあえず通行に支障がないよう整備されています。

今回は入口Ⅲ→東の城→西の城→出城→入口Ⅰのルートをとりましたが、見落としもあるようなので次は逆ルートで行ってみたいですね。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 牲川義春
築城年 文明年間(1469〜1487)
主な城主 牲川氏
遺構 曲輪、土塁、堀切、竪堀
再建造物 説明板
住所 和歌山県橋本市細川字堂垣内