ながやぶじょう

長藪城

和歌山県橋本市


旧国名 : 紀伊

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牲川義春 (2023/02/18 訪問)

 牲川氏が築いた城とされています。東の城、西の城、出城が尾根で結ばれた縄張りとなっています。尾根には堀切があります。東の城、西の城付近の別の尾根にも堀切がありました。
 橋本市城山団地三丁目の奥にある給水塔が目印です。その奥に城山台三丁目集会所の左に登城路があり標識が立っています。こちらから登城して東の城→西の城→出城と散策しました。出城の下にも別の登城路があり、そこを下山しました。道は迷うようなことはありませんが、急坂があり倒木もあり少し難渋しました。またこの季節は枯れ葉が堆積していて滑って歩きにくかった。特に下山時の急坂は怖かったですね。それでも堀切、竪堀、曲輪、土塁等が残っていて散策していて楽しい城址だと思います。

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キンヤ

守護畠山氏の拠点になったと考えられる紀北で最大規模の山城 (2014/12/14 訪問)

故郷の和歌山県の城を紹介したいですが、コロナ後は帰省できておらず、蔵出しで申し訳ございませんが投稿させて頂きます。

住宅地「城山台」の背後にある山城で、私が通っていた高校の通学路沿いにあり、祖母の実家が戦国時代に仕えていたと聞いている城で思い入れがあります。

牲川氏により築かれた詰の城と云われ、守護畠山氏の支配下になって拡張され、畠山氏の拠点になったとも考えられるそうです。

東の城・西の城・出城が一つの城域に含まれた「一城別郭」と呼ばれ、紀北で最大規模とされ縄張りは広く、一通り見学するのに1時間半位かかりました。

全ての尾根が堀切や竪堀でしっかり守られていて、紀北では屈指の山城だと思います。

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イオ

「城山台」というからには… (2018/12/01 訪問)

山城シーズンの到来に、新調したトレッキングシューズの試し履きも兼ねて、地元の山城に行ってみました。

3箇所ある長藪城址入口は、それぞれ「城山台」という住宅地にあります。お城があるとしか考えられない地名ながら、城めぐりをするようになるまでは存在を意識することもありませんでした。そんな地元民にも知られていない城ですので、正直あまり期待してなかったのですが、堀切あり竪堀あり土塁あり土橋ありで、十二分に堪能させてもらいました。
(続)百名城に選ばれるような城ほど整備が行き届いているわけではないものの、あちこちに見られた9月の台風による倒木も、退けたり切ったり枝を払ったりして、とりあえず通行に支障がないよう整備されています。

今回は入口Ⅲ→東の城→西の城→出城→入口Ⅰのルートをとりましたが、見落としもあるようなので次は逆ルートで行ってみたいですね。

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河内との国境に近く、東高野街道を見下ろす軍事的拠点 (2018/10/14 訪問)

長藪城は、標高約347mの城山に東の城かL字形の尾根上約600mに渡り、西の城、出城と3ヵ所の拠点が設けられ、堀切などで遮断されている!
かなりの規模で、戦国時代に大幅な改修を受けたと考えられますね!
所在は、橋本市城山台です!
城山台の地名の由来は、この城山から来ています!
長藪城は、楠木正成の家来で、しばしば手柄を立てた牲川左ヱ門頼俊は、南朝が衰え千早城が落ちると十津川に逃れた!
その子の義春になって、伊都郡に入り、長藪城を築いたと伝えられています!
そして、義春は守護畠山氏に仕え、その子義信の時は河内国の一部も領したという!
義信の子義則の時、近畿一円を支配下に治めつつあった松永久秀に攻められ、1558年にたまらず長藪城を退去、同城は松永氏に奪われてしまいました!
しかし、義則の子義次が1560年に松永方を攻めて長藪城を奪い返したと云われております!
だけど、これらは伝承で、残念ながら史実かどうか確認されておりません!
長藪城のように、東の城、西の城、出城と二つ以上の城郭が、城山という一つの城域内に含まれるのを「別城一郭」の城といい、和歌山県下で同様の形式を持つ城としては、海南市の大野城、湯浅町の広城が有名で、長藪城とともに、規模の大きさから畠山氏の主要三城とされております!
尾根続きから敵に攻められるのを絶つため、堀切を施し、郭への虎口は狭く複雑にして、敵の一気の侵入を防いでいます!
また、堀切に続いて堅堀を設け、敵兵の山腹斜面での横移動を制限しているのが特徴です!

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 牲川義春
築城年 文明年間(1469〜1487)
主な城主 牲川氏
遺構 曲輪、土塁、堀切、竪堀
再建造物 説明板
住所 和歌山県橋本市細川字堂垣内