日本100名城 現存12天守

まつえじょう

松江城

島根県松江市

別名 : 千鳥城、(旧末次城)
旧国名 : 出雲

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松江城
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侍ホリタン

山陰の名城を訪ねて③ (2022/05/05 訪問)

国宝、現存十二天守の一つです。関ヶ原の戦功により月山富田城主となった堀尾忠氏公の父吉晴公が孫の忠晴公と共に築いた城です。堀尾氏の跡、京極氏と続き松平直政公から松平家10代の居城となりました。
GW期間中で近郊の駐車場は満車でしたが、島根県民会館横の有料駐車場が空いていました。

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AJ

国宝の条件 (2019/12/02 訪問)

松江城2日目は北側から攻めてみました。前回は殊更に実戦仕様と強調しましたが、こちらは比較的手薄な印象を受けます。(2019年12月)

虎口は南と同様、外枡形の厳重な構えですが、内堀沿いの二の丸下の段の石垣は、横矢掛はあるものの、櫓を伴わない防衛線。下の段は米蔵があった程度で基本的に空き地だったと聞いています。あとは北と西に腰曲輪が点在。ちなみに三の丸もありますが、水堀を隔てて南側に独立しており、通らなくても登城できることから防衛機能を果たしているようには見えません。

つまり、松江城は本丸防衛に特化(偏重?)しているということでしょうか。だとすると、それはなぜでしょうか。

ひとつ考えられるのは過渡期の縄張りだからという点。大坂戦役を控えた雰囲気のなか、天守には過剰防衛が施されましたが、残りは後回し。そのうちに徳川安泰の世に入り、実戦の城から文化拠点へ変貌を遂げた、といったところでしょうか。

国宝を含む現存天守に共通して言えるのは、幕末の内乱や昭和の戦災で「焼け落ちなかった」ということ。地政学の中心から微妙に外れていたり、落ちてきた焼夷弾がたまたま不発だったりと、結構な強運を備えていたようです。そんなことを考えながら登城すると、その趣はまた少し変わるかもしれません。

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Tokyobay

若槻礼次郎生誕の地 (2022/11/15 訪問)

松江城下の偉人と言えば小泉八雲が有名だが、若槻礼次郎生誕の地でもあり三の丸には胸像もある。生誕地である雑賀町には碑が建立されているが、現在は古いアパートになっていることに驚く。その他、城下には民法典論争で有名な法政大学の設立にも寄与した法学者の梅謙次郎生誕地の碑もある。また、亀田橋付近の濠端には芥川龍之介や志賀直哉が住んでいたこともあり、案内板が設置されている。ちなみに、白潟公園には川路利良と対峙した玄丹おかよの像があり、幕末の松江藩が難しい立場であったことを物語っている。

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Tokyobay

水の手門に見応えあり (2022/11/14 訪問)

一般的には大手門から一ノ門経由で本丸に入り、天守に登って同じルートで帰るのだろうが、北ノ門から本丸を出て水の手門を抜け、中曲輪から本丸石垣越しに天守を見上げると、また違った松江城が楽しめる。特に、水の手門の遺構は見応えがあり、これを見逃すのはもったいない。その後は二の丸で櫓見物をしてから南門を出て千鳥橋を渡り、三の丸経由で各々の銅像をチェックして大手門に戻るのがオススメルート。

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概要

関ヶ原合戦の論功行賞で入封した堀尾吉晴が築城。山陰地方に唯一現存する天守は国宝に指定され、その内部には石落や総桐の階段を設置するなど戦闘に備えた防御策が施されている。さらに二の丸上の段と本丸は折を多用した高石垣で囲まれ、鉄砲を活用できる実戦的な造りとなっている。

城郭情報

城地種類 輪郭連郭複合式平山城
築城年代 慶長16年(1611)
築城者 堀尾忠氏
主要城主 堀尾氏、京極氏、松平氏
文化財史跡区分 国宝(天守)、国史跡(松江城)
近年の主な復元・整備 京極忠高
天守の現況・形態 複合式望楼型[4重5階地下1階/1607年築/現存]
主な関連施設 櫓、門、橋、石碑、説明板
主な遺構 曲輪、天守、石垣、横堀
住所 島根県松江市殿町
問い合わせ先 松江城山公園管理事務局
問い合わせ先電話番号 0852-21-4030