続日本100名城

くろいじょう

黒井城

兵庫県丹波市

別名 : 保月城、保築城
旧国名 : 丹波

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黒井城
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スティクラ

丹波征討戦の黒井(保月)城に登城 (2020/12/19 訪問)

車で近くの駐車場まで行き、黒井城跡へ。

登る途中に手動で開閉できるフェンスがあるが、野生の動物が里へ降りてこないためのフェンスとのことで、開けた人は必ず閉めてからすすみましょう。

城跡がある山頂までは、時間はかかるが緩やかな道と時間は短いが急な道の2つコースがある。
今回は急なコースから登り、時間は30分前後。
途中コースは合流し、眺めのいい景色を見れます。
山頂付近は岩場が多く、雨の後は注意しないとかなり危険。

山頂は360°見渡せる素晴らしい景色。
これなら敵がどこから攻めてきても把握できる反面、補給路を確保するのが難しく、光秀が力攻めしなかったのも、フィールドワークで納得。

下山後は春日局出生地と伝わっている興禅寺へ。

最後に、道の駅「丹波おばあちゃんの里」で黒井城の御城印を購入。
場所は春日インター近く。JR黒井城からだと少し歩くかもしれません。

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イオ

猪ノ口山系を駆けめぐる (2020/12/06 訪問)

(西の丸編から続く)

西の丸から北西尾根を進んで出城のひとつの千丈寺砦に向かう途中、黒井城全図によれば、西太鼓の段と呼ばれる曲輪があるようですが、たぶんここだな、と思われる小さなピークはあったものの、明確な遺構は見つけられませんでした。

西太鼓の段からさらに進むと急傾斜の小山に行き当たり、その山頂部に千丈寺砦があります。台形の主曲輪の南辺を厚さのある土塁が取り巻き、北辺にも低い土塁があり、その北下には竪堀がのびています。また、北西下の斜面には何段かの腰曲輪が設けられていました。

千丈寺砦から南に続く尾根の先には兵主西砦があり、余裕があれば行ってみようと思っていましたが、全図にある尾根道を見つけられなかったため諦め、西の丸まで戻って今度は北東尾根の龍ヶ鼻砦を目指します。

西の丸の主曲輪から北東下にトラロープ伝いに下りて堀切を越えて進むと、尾根道のため迷いはしないものの、倒木がそのままだったり灌木が茂っていたりと未整備の状態で、地面を掘り返した跡やぬた場と思われる痕跡もあり、良く整備されていた北西尾根と違って北東尾根が明らかに獣の領域であることに気付かされます。クマ出没注意の看板もありますしね。

警戒しながらそれでも進んでいくと、痩せ尾根を過ぎたあたりに名前の付けられていない小曲輪群がありましたが、東南東に続く(はずの)小曲輪群は薮に沈んでいて、獣に遭遇するのも怖いので進入するのはやめておきました。

小曲輪群から北東尾根をさらに進み、なだらかな坂を登りきったところが龍ヶ鼻砦です。主曲輪の日当たりの良いあたりはシダが生い茂っていますが、北側斜面には数段の帯曲輪を設け、最下段の北辺は土塁で囲んでいます。

龍ヶ鼻砦から東に下っていくと百間馬場と呼ばれる曲輪があります。山城で馬場と呼ばれる比較的広い(細長い)曲輪を見かけても、その多くは馬が本気で走るには全然足りなさそうな広さしかありませんが、百間馬場はその名の通り馬が全力で駆け回るにも充分な広さがあり、現在は雑木林状態で見通しは利かず、遺構もないようですが、この広さを体感できただけでも北東尾根の端まで来た甲斐がありました。

さて、来た道を引き返して西の丸まで戻り、かつてあったはずの西の丸から北の丸への横移動の道を探しましたが(本城への岩場の急斜面を登るのは避けたい)、斜面の崩落で失われたのか見当たらず、やむなくまた本城まで登っていくことに…。
本城からは北の丸を経て東出丸に向かい、そこから南東尾根をたどって的場砦と東山砦に行って下山するつもりでいたところ、多田砦方面との分岐のあたりから先の道が、おそらくシダが左右に分かれているところが道だろう、というような大変な獣道で、本当にこの先も道がある(わかる)のか不安になり、結局、東出丸に戻って石踏の段からゆるやかコースで下山しました。

本城はもとより出丸や出城を制覇してこそ完全なリベンジ! と意気込んでいながら、兵主西砦や多田砦、的場砦、東山砦に行き損ねてしまいましたが、6時間歩いて手許に縄張図があるところには全て行ったので、最低限はクリアできたということにして……今日はこれぐらいで勘弁しといたるわ!(笑) でも、織豊期の石垣や虎口と戦国期の土の城、そして尾根筋の出城のネットワークなど、本当に見応えのある城でしたので、本城の整備が完了し、防護ネットや仮設階段が撤去された頃にまた訪れたいものです。
 

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イオ

赤鬼の土の城 (2020/12/06 訪問)

(本城編から続く)

本城・西曲輪北端の防獣柵にも注意書きがありますが、本城から西の丸に行くには、岩場の急斜面をトラロープを頼りに下りて行くことになりますので、滑りにくい靴と手袋は必須です。そうして鞍部まで下りて、尾根道をまた少し上ると西の丸に着きます。

西の丸は本城から北西にのびる尾根の付け根に築かれた出丸で、東端の主曲輪から西方向に4つの曲輪で構成されています。主曲輪は南辺に土塁を設け、北東下は龍ヶ鼻砦へと続く尾根を堀切で断ち切っています。主曲輪から西に一段下りたところが二の曲輪で、南辺を土塁が走り、北西の切岸の下にも塹壕状の土塁が見られます。二の曲輪西端には櫓台があり、その西下には堀切と土橋が明瞭に残っています。堀切の先は三の曲輪で、細長く続く曲輪の西端には(二の曲輪と同様に)櫓台と堀切・土橋があります。その先の四の曲輪の西端にも櫓台があり、櫓台の西下は岩盤むき出しの急斜面になっています。

各曲輪の西端に櫓台を設け、曲輪間を堀切で遮断し、北西尾根からの侵攻に何重にも備える意識が明らかな造りで、東出丸や石踏の段などと同じ出丸のひとつに位置付けられますが、規模はそれらより格段に大きく、中小規模の山城ひとつに相当するほどで、「小城」とも呼ばれるのも納得です。本城は斎藤利三の頃以降に石垣や虎口を中心に改修されていますが、西の丸では荻野(赤井)直正が改修した頃の黒井城の姿を見ることができ、ひとつの城でふたつの魅力を堪能できますので、岩場の急斜面の登り降りは大変ですが、土の城好きなら西の丸まで足を運ぶ価値は充分にあると思います。

さて、西の丸には大いに満足しましたが、ここまで来たら出城まで攻略せずにはリベンジを果たしたことにならない! ということで、さらに先へと進みます。(続く)
 

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イオ

雲海の絶景 (2020/12/06 訪問)

(下館・出丸編から続く)

猪ノ口山頂部の本城は北西部を本丸とし、南東方向に二の丸、三の丸、南東端に東曲輪と続き、本丸北西下の西曲輪、本丸・二の丸の南西下と北東下の帯曲輪で構成されています。

石踏の段から登ってたどり着くのは東曲輪。いきなり眼前に広がる野面積みの石垣に圧倒されます。三の丸の虎口を入ると仕切りの石列があり、喰い違い状になっていたようです。三の丸から二の丸に至る枡形虎口の左手には大きく張り出した石垣があり、横矢掛りになっています。二の丸と本丸の間は堀切で隔てられていて、本丸へは二の丸の北西に張り出した小曲輪から枡形虎口を抜ける必要があり、東曲輪から何度も何度も屈曲を強いる厳重な造りを実感させられます。そして、この小曲輪の南西下の高石垣は麓からもよく見える一番の見どころ…なんですが、遺構保護のため防護ネットがかけられ、何とも残念な外観に…。皆さんの投稿で承知はしていましたが、各虎口に設置された仮設階段と併せて早く整備が終わることを願わずにいられません。本丸には保月城趾の石碑が建てられており、最高所だけに全方位に視界が開け、四方にのびる尾根に築かれた出城も全て見渡すことができました。さらにこの日は(図らずも)雲海が広がっており、蒼天と雲海の絶景を堪能させてもらいました。

そして三の丸まで戻って、今度は二の丸北東下の帯曲輪を抜けて西曲輪へ。これで黒井城の主要部分はめぐり尽くしましたが、まだまだこんなものでは終われません。西曲輪北下の腰曲輪から防獣柵を出て西の丸へと向かいます。(続く)
 

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城郭情報

城地種類 連郭式山城
築城年代 建武年間(1334〜1338)
築城者 赤松貞範
主要城主 赤松氏、赤井氏、斎藤利三、堀尾吉晴
文化財史跡区分 国史跡(黒井城跡)
近年の主な復元・整備 赤井直正、斎藤利三、堀尾吉晴
天守の現況・形態 不明(天守台あり)
主な関連施設 石碑、説明板
主な遺構 曲輪、石垣、横堀(空堀)、堀切、土塁
住所 兵庫県丹波市春日町黒井
問い合わせ先 丹波市観光協会
問い合わせ先電話番号 0795-72-2340