続日本100名城

くろいじょう

黒井城

兵庫県丹波市

別名 : 保月城(ほげつじょう)、保築城

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黒井城
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織田晃司

麒麟がくる (2020/03/20 訪問)

赤井直正城主の黒井城を織田信長の命を受けた明智光秀が包囲する。

緩やかコースを約40分かけて登ると城跡に到着。

アルミ階段の設置。本丸石垣に防護ネットの設置。侵入禁止の設置などで萎えるでしょうが、遺構保護の為
是非もなし…と言ったとこでしょうか…

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勝野武士

七間堀と斎藤屋敷のお福さま。 (2020/03/01 訪問)

中学生の頃に訪れて以来、実に約20年ぶりの黒井城です!
…しかし到着が午後3時半。黒井城は猪ノ口山全体のみならず周辺の山々をも取り込んで要塞化したような大規模な山城ですので、さすがに登山は時間が…ということで、今回は麓の下館のみで勘弁して下さいm(_ _)m

『丹波の赤鬼』こと赤井直正が天正六年(1578)に戦傷による破傷風(?)で亡くなると丹波の勢力は急速に衰えを見せ、その翌年の八月、堅固を誇った黒井城がついに落城しました。

その後、戦後処理のため黒井城に入ったのは明智光秀の側近である斎藤利三でした。現在興禅寺があるこの地…元々黒井城主が日常生活を送っていた館の跡に新たに自らの館『斎藤屋敷』を構え、西丹波の治安維持とともに善政をしいたといわれています。そして天正九年(1582)に廃城となり丹波亀山に移るまでの約三年間を、主君が本拠地としていた亀山城を往来しながらここで過ごしたそうです。
また、この館で生を受けた利三の息女は三歳になるまでをここで過ごし、その利発さと愛らしさから『斎藤屋敷のお福さま』と呼ばれ、今でも産湯に使用した井戸と、よく座って遊んでいたという腰掛け石が残っています。
そのお福さまこそ、波瀾万丈の生い立ちの末に徳川家光の乳母となり幕府の権力者となる春日局なのです。

黒井城に登れぬ無念をぐっとこらえ、その分まで興禅寺を隅々まで見ていくことにしましょう。
やはり目を引くのは『七間堀』と呼ばれる約80mにも及ぶ水堀と約5mの高石垣です。水堀はほぼ往時の姿をとどめているようで、石垣はよく見るとあちこちに後世の補修が入っているように見受けられますが、よく本来の姿をとどめているそうです。
これだけでも見どころ十分ですが、楼門から少し下ったところにある惣門は黒井城の門材を用いて築いた、往時の黒井城を偲ぶ唯一の建造物です。こちらもお見逃し無きよう。
境内も見どころが多いです。本堂前にあるお福の腰掛け石や、本堂裏手近くにあり今も涸れることなく湧き続けるお福産湯の井戸(つまり黒井城主の生活を支えた井戸)、本堂横にある江戸時代初期に近衛信尹が自ら設計指導して造らせた池泉観賞式庭園なども見逃せません。
また、本堂の軒瓦にはさりげなく赤井氏の家紋(…といえば『丸に雁金』が有名ですが)『下がり藤』が掲げられています。興禅寺は赤井直正が創建したともいわれており、ここに赤井氏と興禅寺との縁を感じることができます。ちなみに『下がり藤』はこれまた興禅寺にゆかりの深い近衛家の家紋でもあります。

次回、十分な時間が取れたら本城に攻め込みたいところです。近いうちに必ずや…!

あ、余談ですが、JR黒井駅前には小さなお福さまの銅像がございますので、ご興味のある方は如何でしょうか??

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カズサン

しんどい登山後絶景の眺望と立派な石垣 (2015/10/26 訪問)

 平成27年10月山城サミット米原大会出席の翌日、以前より認識はして居たのですが山城で登城が大変なので敬遠してましたが意を決して初登城しました。
 先に丹波市春日庁舎で黒井城の情報と資料を入手し、興禅寺と黒井小学校の間の道を登り黒井城専用駐車場へ停める既に数台駐車、ゆっくりコースを登る情報では30分位と聞いてたのですが私の体力では約1時間か、九十九折登城路から尾根筋道、石踏の段手前が急坂で滑りやすく手をつきながら登る、その後はやや楽でしたが坂道多し、突然の東曲輪虎口石垣城塁にはびっくり竹田城バリの城塁、三の丸、二の丸石垣城塁、二の丸虎口、二の丸、二の丸本丸間の空堀、土橋、本丸虎口、虎口下石垣城塁、本丸、本丸からは黒井の城下が一望、周辺の山々も見渡せ、状態は竹田城の様に雲海に浮かぶ城的です、発掘調査石垣修復復元がなされば素晴らしい景観眺めに成るでしょう、しかし登城が大変です。
 十分に堪能して下城、麓の屋敷跡の興禅寺、春日局お福の生誕地を探訪、素晴らしい歴史の有る黒井城黒井城下町でした。

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まーやん

丹波三大山城 黒井城 (2020/02/24 訪問)

大河ドラマを機に丹波の山城を攻めちゃおう!って気になって行って来た!

1335年、赤松氏によって猪ノ口山に築かれた山城は赤井直正の代に大改修され尾根伝いの山々に砦が築かれていく。その後光秀により本城が改修されたことはテレビ等でご案内のとおり。丹波の山城、砦などを含めると凄い規模の山城が多く侮れない。

さて、今回の登城は急坂ルートを避けてゆるやかコースで。以前問い合わせたら工事してるからどちらから登れるか確認するようにとのことだったが、どちらからかも登れる様子。しかし、ゆるやかコースであっても危険な山道であり要注意である。

まずは足踏の段の赤門へ。本丸手前の前線基地として石敷をして広い曲輪を確保し登り来る敵に備えた場所の名残とは、かつて観光案内していたおじいさんの談。赤門後方の石碑について話して下さった。何者かが明智光秀の名前を削り取っているとのこと(笑)

足踏の段過ぎからチャートの岩盤と滑りやすい赤土系の地表面が厳しくなる。山頂手前に獣害避けの柵があるのは熊避けだそうな。赤尾にの城を熊が守っているのか。

東曲輪から見応えのある石垣がお目見えする。三の丸櫓台脇に城門があり、三の丸へ。帯曲輪を正面に見て右に曲がると二の丸へ上がる。更に一段上がった所が本丸となる。石垣は明智の家臣、斉藤利三や堀尾吉晴の手によるものか。本丸は西曲輪と帯曲輪に囲まれ段状になっている。
本丸からは西に兵主西砦や千丈寺砦、北東に龍ヶ鼻砦と百間馬場はなんと山頂の馬場(;゜0゜)東に多田砦とその向こうに光秀が陣取った小富士山城が見える。南東方向、高速道路のトンネルが貫通するごつい山は赤井直正の弟幸家(よしいえ)が守った支城三尾城。
南側に興禅寺は下屋敷のあった場所で堀と石垣が立派であり、後の斉藤利三が子お福縁で春日の局となる歴史に繋がる。

帰りに急坂ルートを下ったが、晴天でも危ないルートで二、三度ずっこけた。去年は骨折した方もおられる大変危険な道であり注意して登っていただきたい。
山頂石垣に金網が被せられる工事がされており、竹田城並に残念だったが、マナーの悪い観光客がいる以上仕方ない。その他は本当に素晴らしい戦国山城だと思った。

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城郭情報

城地種類 山城
築城年代 建武2年(1335)
築城者 赤松貞範
主要城主 赤松氏、荻野氏、斎藤氏、堀尾氏
文化財史跡区分 国指定史跡
主な関連施設 丹波市立春日歴史民俗資料館
主な遺構 本丸、二の丸、三の丸、石垣、堀、土塁
住所 兵庫県丹波市春日町黒井
問い合わせ先 丹波市観光協会
問い合わせ先電話番号 0795-72-2340