一度は丹波攻めの明智軍を八上城主の波多野秀治公と連携して大敗に追い込みましたが、直正公の死後、再度の明智軍の丹波攻めにより落城しました。明智光秀公の丹波平定後は重臣の斎藤利三公が黒井城麓の下館(現興禅寺)を陣屋として西丹波を統治しました。下館ではのちの徳川三代将軍家光公の乳母である春日局(幼名お福)が誕生し、3歳までを黒井城下で過ごしたと言われています。
駐車場は興禅寺前と登山道入り口前に無料駐車場あります。興禅寺前の駐車場はトイレと休憩所が併設されていて休憩所ではゆかりのある赤井直正、明智光秀、春日局を紹介した展示物があります。登山道は緩やかなコースと急なコースに分かれています。 本丸跡は遮るものがないので360度のパノラマが楽しめます。
100名城スタンプは春日住民センター、御城印は道の駅「丹波おばあちゃんの里」にあります。
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