さすが岩櫃城!
駐車場から本丸跡までは15分くらい。ただ道中はかなり険しい!
武田勝頼もここに逃げ込めばしばらくは耐えられたのでは、と歩きながら妄想してました。
遺構も良く残っています。
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2023/11/22 21:12
2023/10/17 14:58
岩櫃城探訪 (2023/10/03 訪問)
真田氏上州の拠点、岩櫃城を訪問しました。平沢登山口観光案内所にてパンフレット、縄張図を入手して登城しました。
山城ですので、登城は少々きついですが、中城跡、三の丸跡、二の丸跡と進み、その先の本丸址まで約20分で行けます。
途中には大きな堀が数多くあり、山城らしさを感じました。(「熊出没注意」の看板がありましたが、熊がでることがあるのでしょうか・・)
登城後は、不動堂、不動の滝や反対側の古谷登山口付近にある密岩神社(岩櫃山が綺麗に見えます)、潜龍院跡に行くのも良いかと思います。
なお、名胡桃城、沼田城、岩櫃城の三つのスタンプで平沢登山口観光案内所にて特製のクリアファイルを貰いました。ラッキーでした。
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2023/09/10 21:46
堀の構成が独特な岩櫃城 (2023/04/09 訪問)
岩山の景観と真田の城という点に惹かれ、群馬県吾妻郡東吾妻町の岩櫃城へ。
上野国の山がちな吾妻郡において、政治経済の中心地となってきた中之条盆地。
その南西、吾妻川北岸の岩櫃山の中腹に築かれた城。
南は吾妻川や切沢、背後(西)は切り立った岩櫃山山上部が天然の要害。比較的緩やかな地形の北側は、広く堀が配備されている模様。
残る記録では南北朝時代の吾妻氏に始まり斉藤氏が本拠とし、1563年からは真田氏が城主に。
大阪の陣の1615年頃、廃城となります。
現在は国指定史跡に登録され、岩櫃山の登山道も兼ねる土の城跡。
訪問時は、観光案内所のある平沢登山口から中城経由で本丸へ。
折れを有して一部が横堀的な竪堀は、個人的に初めて見るタイプ。
印象は、割とシンプルだが独特な城。
またリサーチ不足で武田勝頼を迎えるためにつくられた御殿跡が離れた場所だと知らず・・・
急遽、潜竜院跡へ向かうと、岩櫃山らしい岩櫃山が出現。
トータル滞在時間は3時間半。
発掘調査では本丸で金属加工が行われていたという岩櫃城が、私の城郭巡りの153城目となりました。
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2023/08/09 00:16
若殿を 迎えず無念の 石垣よ(潜竜院) (2023/04/30 訪問)
真田氏がこの地域に勢力をふるっていた斉藤氏の勢力を駆逐し
岩櫃城は真田氏の城になりました。
その後、岩櫃城は上田城、名胡桃城、沼田城を繋ぐ重要拠点として
真田氏の大改修を受けます。
武田家衰退後、武田勝頼が岩殿山城の小山田信茂を頼りとして、信茂の裏切りに会い
自害に追い込まれます。
真田昌幸は岩櫃城の潜竜院に勝頼を迎え入れるつもりでいましたが
それもかなわず、今では石垣が空しく残ります。
この日は二度目の訪問ですが、天候も優れず、本丸と周辺の郭までに
留めてあります。それでも切岸や堀切の遺構は楽しめました。
整備されているとはいえ、本丸までの路は急で帰りは足元が滑るので
ストックを使いながら慎重に下りました。
私の前を歩いていた人は派手にコケていましたが、怪我は無さそうです。
山城は季節、天候を選びますね。
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城地種類 | 山城 |
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築城年代 | 15世紀 |
築城者 | 斉藤氏 |
主要城主 | 斉藤氏、真田氏 |
文化財史跡区分 | 国史跡(岩櫃城跡) |
天守の現況・形態 | 不明 |
主な関連施設 | 石碑、説明板 |
主な遺構 | 曲輪、土塁、横堀(空堀)、竪堀 |
住所 | 群馬県吾妻郡東吾妻町大字原町字伊達他 |
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問い合わせ先 | 東吾妻町教育課 |
問い合わせ先電話番号 | 0279-59-3370 |