続日本100名城

いわびつじょう

岩櫃城

群馬県吾妻郡

投稿する
岩櫃城
口コミ・画像を投稿する

みんなの写真投稿

投稿する

みんなの口コミ

投稿する

カルビン

潜竜院とは (2018/06/10 訪問)

昨年続100名城スタンプを頂きに岩櫃城再訪致しました。

以前は無かった大きな駐車場と観光案内所・・・昔は観光案内所が車3台くらいだけ止められる駐車場だったんですけど・・・
なんか違う場所に来たみたいな印象でしたw

一度ガッツリ見学していたのでスタンプだけ入手して移動しようとしましたが、登城口から徒歩10分で主郭まで行けると書いてあったので、勢いで登る事に。
(以前凄く時間かかったイメージがあったんですが、そういえばその時は竪堀道が雪道になっていて苦労したのを思い出しましたw)

その竪堀の所が一番キツイところですが、実際10分で主郭に行く事が出来ます。。。山城とはいえ車で比高を稼げるので、登りがキツそうと言う事で回避されている方も多いかもしれませんが、そんなに大変ではないですよ(^ω^)v


さて、多くの方がお城紹介されているので、あえて写真半分は真田昌幸が武田勝頼を迎えようとした潜竜院の写真にしてみました。

岩櫃城から徒歩での移動は大変なので、潜竜院に行かれるのであれば、車で移動して一旦山を降り、南西側から回って行くのが良いと思います。
丁度岩櫃山登山者用との兼用の無料駐車場ありますので。

そこから歩いて10分程度で潜竜院には行く事が出来ます。

こちらには個人的に2015年に訪問したのですが・・・岩櫃山の絶壁が眼上に見える、絶景がそこにはありました(@Д@)
潜竜院が霞む程にw

潜竜院は石垣の土台まで造られてその状態で止まっており・・・皆様も現地で歴史を顧れば・・・なーんで勝頼君、岩殿行っちゃったかな~って思わずツッコミたくなるでしょうw

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

朝田 辰兵衛

JR郷原駅から岩櫃山を鑑賞して… (2018/04/14 訪問)

思わずうなりました…<笑>。
武田勝頼を迎えることができなかった潜龍院跡へは,時間の都合で断念しました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

夏の雪だるま

真田氏の城 (2017/05/01 訪問)

今年続百名城に選定された群馬県東吾妻町の岩櫃城です。いつ頃築城されたかは定かではありませんが、南北朝ころこの地を領した吾妻太郎行盛が築城したと言われます。その後子孫が斉藤氏を名乗り戦国時代までこの城を本拠として東吾妻地域を支配し上杉氏に従っていましたが、吾妻郡内の鎌原氏と領地争いを起こし鎌原氏を信濃に追い出しましが、鎌原氏は武田氏を頼ったため岩櫃城は1563年武田家家臣真田氏の攻撃を受け落城、真田氏の支配下となり信幸や幸村もこの城で過ごしたとされます。1582年織田信長の武田征伐の時、真田氏は武田勝頼に岩櫃城で再起を図るよう勧めたとされますが、勝頼は家臣小山田氏の岩殿山城へ向かい小山田氏の裏切りにあい天目山で自刃、武田氏は滅亡しています。関ヶ原の戦いでは、昌幸の叔父矢沢頼綱が城代となっています。城は吾妻郡統治の中心となっていましたが、1615年一国一城令により廃城となっています。城は、JR吾妻線郷原駅北東約1㎞の標高802mの岩櫃山から北東に伸びる標高593m付近の尾根に築かれ本丸、二の丸、中城を中心とし周辺に郭を配し、北は岩山、南は吾妻川に面した急斜面、西は岩櫃山と東西800m南北500m程の天然の要害となっています。遺構としては土塁や虎口、空堀などが残り往時を偲ばせます。城は国道145号からコニファーいわびつ方向へ入り、岩櫃山登山口へ曲がり平沢登山口駐車場へ駐車、上の観光案内所でパンフレットをもらい、城を目指します。

+ 続きを読む

BUGTI

勝頼が来てくれなかった城 (2018/11/23 訪問)

登り口から城址まではハイキング気分で行ける。勝頼を迎えるために真田昌幸が作った御殿跡(潜龍院)へ行くには、麓を回り込むか山を越えていく。山越えは岩場もありそれなりの装備と覚悟が必要です。

+ 続きを読む

城郭情報

城地種類 山城
築城年代 不明
築城者 不明
主要城主 斎藤氏、真田氏
文化財史跡区分 町指定史跡
主な関連施設 平沢登山口観光案内所
主な遺構 本丸、二の丸、中城、堀、土塁、櫓台
住所 群馬県吾妻郡東吾妻町原町在下
問い合わせ先 東吾妻町教育課
問い合わせ先電話番号 0279-59-3370