きりやまじょう

霧山城

三重県津市

別名 : 多気城
旧国名 : 伊勢

投稿する
口コミ・画像を投稿する

みんなの写真投稿

投稿する

みんなの口コミ

投稿する

まーやん

北畠氏城館の後詰めの山城 (2020/01/20 訪問)

私、自家用車で北畠氏城館跡に参りまして、自家用車時のたしなみと致しまして一応トレッキングシューズ&登山用ステッキを持参しておりましたが、、、霧山城跡がこのように大規模であるとは夢にも思わず普通にスニーカーのみで登ってしまい、1.4km弱の距離を歩きヘロヘロになってしまいました(; ̄ー ̄A

原因は麓にあった説明書き。比高80mの後詰めの城との記載。それは間違いないのですが、私の登ったのは更に後方の霧山城跡。後詰めには間違いないか…トホホ

そして後で皆様の書き込みを見て驚愕💦
な、なんと、総じて整備された登山道で楽だったと。。。改めて皆様の健脚ぶりに脱帽いたします。

私は城館すぐ後方と見誤って登らせてしまった嫁に見放され、一人寂しく走るような登山を強いられました😵💦

登山道はしっかり整備され、杉葉の落ち葉が程よく柔らかく滑り止めにもなりいい感じです。

頂上近くでまず見えてくるのが鐘突堂跡とされる曲輪。
その先に矢倉跡、本丸跡、米倉跡と続く。そちらからも登れるらしい。(比津峠側)
頂上の眺望は素晴らしいのでしっかり準備をして安全にお登り下さい。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

イオ

絶好の立地 (2019/12/01 訪問)

霧山城は多気北畠氏館の戦時の詰城であり、山麓の詰城から山道を20分ほど登って行くと霧山城跡の案内図があります。この辺りが南曲輪群で、案内図周辺の小さな曲輪と、西側の高台の鐘突堂跡と呼ばれる曲輪で構成されます。鐘突堂跡の南西端には建物跡と思しき土壇があり、土壇の南西側の尾根道は堀切で断ち切られています。

鐘突堂跡から下って行くと、北曲輪群に至る鞍部に大きな堀切が設けられています。北曲輪群は本丸と本丸北東側の矢倉跡、西側の米蔵跡と呼ばれる曲輪などで構成され、本丸はすり鉢状の分厚い土塁で囲まれ、東側と西側に虎口があります。矢倉跡は三方に土塁を巡らせ、南西側の本丸との間と、北東側の比津峠への道を堀切で遮断しています。この山上にありながら、この規模の土木量とは……北畠氏恐るべし! です。

登城口から本丸まで約40分ということで、もっと大変かと覚悟していたんですが、山道はよく整備されていますし、途中、詰城や南曲輪群を散策しながらの登城だったので、ほとんど苦になりませんでした。また、山上からは周囲の山並みを遥か遠くまで見渡すことができ、眺望好きとして満足できただけでなく、吉野と伊勢とを結ぶ街道に睨みを利かせる天険の地であることを実感できました。南北朝期の南朝方の拠点としては絶好の立地ですね。
 

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

イシテル

北畠氏館の詰城 (2019/11/04 訪問)

北畠氏館跡庭園を鑑賞した後、霧山城址へ向かいました。
登城口に「霧山城址1350m」の道標があり。
30分ほどで頂上の本丸へたどり着きました。
本丸など山城の曲輪は整備されており、切岸や堀切、堀が良く見て取れました。
登城道の途中では、山の機構を利用した大堀切もあり圧巻です。
登城口から本丸まで良く整備されており、安心して登れる山城(スーツで登っている方も居ました)。
北畠氏館跡と霧山城は合わせて一つの城ですね。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

橋吉

霧山城 (2019/04/07 訪問)

多気北畠氏居館跡を見学した後、詰めの城と霧山城に向かいました。
往復3.5km、全行程2時間20分かかりました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

城郭情報

分類・構造 山城
築城主 北畠顕能
築城年 興国3年〔南朝〕/康永元年〔北朝〕(1342)
主な城主 北畠氏
廃城年 天正4年(1576)
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)、池泉遊式庭園
指定文化財 国史跡(多気北畠氏城館跡)
再建造物 石碑、説明板
住所 三重県津市美杉町八知
問い合わせ先 (社)津市観光協会
問い合わせ先電話番号 059-246-9020