日本100名城

あかしじょう

明石城

兵庫県明石市

別名 : 喜春城、錦江城
旧国名 : 播磨

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明石城
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侍ホリタン

2022年春、桜の名城を訪ねて③ (2022/04/05 訪問)

桜本数1400本(明石公園内)、JR明石駅より徒歩5分、JRのホームからでも2つの櫓を確認することが出来ます。車利用の場合、公園内には南駐車場、北駐車場がありますが南駐車場の方がお城に近いです。100名城スタンプ、御城印は公園正面入口右手の公園管理事務所内にあります。

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カズサン

坤櫓・土塀・巽櫓と並んだ景観が最高です (2005/01/22 訪問)

 大坂の陣で戦功の有った小笠原忠直が幕命で築城した明石城、客分の宮本武蔵も縄張したとの伝聞も有るとか、西から稲荷郭、本丸、二の丸、東の丸総石垣構造の連郭式、南に三の丸を中堀で囲み更に西、南、東の外郭を外堀で囲み、その南に西国街道が通り、姫路城と明石城が西国諸藩への備えを担っていた。

 17年前の平成17年1月下旬、大阪で新年同窓会が有り、兄の家を常宿にして居り、兄と明石の活きタコ刺し、明石焼きを食べにと明石城に出掛けました。

 明石駅から大手太鼓門枡形を通って入城、平成7年1月の阪神・淡路大震災で石垣の崩れ、櫓も被害に遭いましたが、平成12年には石垣、巽櫓、坤櫓の修復が完成し、同時に巽櫓、坤櫓間の漆喰土塀が復元され、本丸景観が素晴らしいものに成りました、修復完成から5年後に訪ねた事になります。
 三の丸から坤櫓、巽櫓、土塀を眺め、本丸下からも、二の丸登城路から二の丸、本丸へ巽櫓、本丸展望台、坤櫓、天守閣が建てられなかった天守台に登り、稲荷郭、北側の桜堀から本丸石垣群を眺めて三の丸へ、また三重櫓坤櫓・白漆喰土塀・三重櫓巽櫓をしっかりと脳裏に写し刻む、見事に修復され素晴らしい城郭景観に成りました。

 明石城探訪を終わって明石駅南口より飲食店街に在る辺りをぶらつき覗き見して、一軒の寿司屋に入り、目的の活きたタコの刺身を初めて食べました、茹でたタコ刺しは当たり前のものですが、生の活きたタコ刺しは初体験美味しく兄と酒で頂きました、勿論明石焼きも頂きました。(残念ながら写真をを撮って居ません)

 後日令和元年5月に明石駅のホームから駅頭整備され見通しが良くなった明石城の坤櫓・漆喰土塀・巽櫓の眺めを堪能しました。
  
 

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おっちゃん

兵庫県立明石公園ご案内、明石城絵図 (2013/05/22 訪問)

現地案内板より抜粋

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くらのり

明石城 (2019/08/24 訪問)

旧明石藩の政庁と藩主の居所が置かれており、別名「喜春城」「錦江城」と呼ばれています。JR明石駅北側を降りると、駅ホームより間近に望むことができる平山城です。
本丸付近は柿本人麻呂を祀った人丸塚があったと言われ、この地は嘉吉の乱で激戦地でもあった。徳川幕府が西国の外様大名の抑えの城として姫路城に次いで着目したお城です。徳川秀忠より築城命令があり、本多忠政と小笠原忠真が築城から町割りも行ったとされています。
現在は明石公園として整備され、櫓や石垣は1995年の阪神・淡路大震災で被害を受けたものの全面修復されました。

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概要

大坂夏の陣で豊臣氏が滅んだ後、一国一城令が下されてから4年後に完成。西国大名を牽制するため徳川秀忠が小笠原忠真に命じて築かせた城は、明石海峡を望む丘陵地に建つ連郭式。本丸・二の丸・三の丸の石垣・堀の工事は幕府直営で行った。豪壮な天守台の上に天守は建てられず、城内最大の坤櫓が代用されたという。

城郭情報

城地種類 梯郭式+連郭式平山城
築城年代 元和4年(1618)
築城者 小笠原忠真
主要城主 松平氏(越前系)
文化財史跡区分 国重要文化財(巽櫓・坤櫓)、国史跡(明石城跡)
近年の主な復元・整備 松平直常
天守の現況・形態 なし(天守台あり)
主な関連施設 塀、石碑、説明板
主な遺構 曲輪、石垣、横堀(水堀)、櫓、移築門
住所 兵庫県明石市明石公園1-27
問い合わせ先 明石市教育委員会事務局地域連携課
問い合わせ先電話番号 078-918-5057