日本100名城

あかしじょう

明石城

兵庫県明石市

別名 : 喜春城、錦江城
旧国名 : 播磨

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明石城
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虎の子

城への交通手段実践レポート (2022/05/19 訪問)

※姫路城、赤穂城とともに登城
※JR関西1dayパス(敦賀から赤穂まで乗車可:3600円)利用

6:07品川(新幹線)、8:02,8:18米原(JR)、10:11播州赤穂,10:25播州赤穂駅前(路線バス)、10:29大石神社東
 (徒歩3分)赤穂市歴史博物館(続百名城スタンプ 9:00-16:30水休)+赤穂城散策
 ※本丸櫓門下にもスタンプあり

12:09播州赤穂(JR)、12:40姫路
 徒歩15分、姫路城管理事務所(スタンプ入場前)
 ※三度目の登場のため天守は入らず

14:12姫路(JR)、14:35明石
 (徒歩3分)明石公園サービスセンター(百名城スタンプ 9:00-17:00)+明石城散策

16:20明石、18:37,18:42長浜(JR)、19:20敦賀
 泊:敦賀駅前

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POYO58

明石城 最後! (2023/11/03 訪問)

天守台を間近にした後は坂道を下って外へ出ました。振り返ってみると稲荷曲輪の石垣と天守台の石垣によっていい感じに枡形虎口になっていました。天守は当時建っていませんが、これは考慮したうえの配置なのでしょうか?
坤櫓台の石垣で十字の刻印を見つけました。ってかどうやら明石城には1445個も刻印があるそうですよ。一個しか見てませんでした😭
坂道を降りると稲荷曲輪の高石垣が見えてきますが、なんとなく当時の石垣には見え難い感じが… でも当時の石垣なんですね。
南の広場から櫓が綺麗にみえますね。櫓は下から撮るのが一番かっこいい気がします。
その後は城景を写真に収めようとしましたが、この日はイベントで人が多く、城の下の部分が入れられず…さらにはスマホが小さいせいか横向きにしてギリギリ櫓が2つ入りました。写真撮影で苦労💦
最後は東不明門跡に行きました。枡形虎口石垣をみて引き返しました。
長々とありがとうございました。完

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POYO58

本丸、稲荷曲輪探訪 (2024/11/04 訪問)

二の丸と本丸をつなぐ石垣の橋を渡ると巽櫓に到着します。たぶん巽櫓は残念ながら入れないです。巽櫓から坤櫓にかけて長い復元土塀が建っています。坤櫓は入ることができますが2階には行けません。でも現存建造物なのでなかなか貴重です。
スタンプは坤櫓の前の受付で押すことができます。坤櫓の入城は無料です。これもなかなかいいですね。
一軒櫓がこの城の見どころかと思われがちですが、実は櫓に匹敵するほど見どころ満点なものがまだあります。
それが明石城の石垣なのですが、明石城の石垣はほとんどが高いもので算木積みの綺麗な石垣となっています。特に天守台は天守がたった経歴はないようですが、さすが家康の城、かなりの大規模さです。
本丸から見ノ門跡を通って稲荷曲輪まで行くと高石垣が立ちはだかっています。稲荷曲輪からは天守台を見ることができ、魅力を目の当たりにできます。稲荷曲輪の南側まで来ると坤櫓が見え、天守台とセットで撮るのがおすすめです。
さて次で明石城の最後を締めます。 続く

朝田さんの投稿の内容に同感しましたね。最近の日本は本当に地震が多いんですね。私は2000年代に生まれていますが、生涯十数年の中で3回も大きな地震がありました。特に熊本地震は私も経験してものすごく大変でした。
地震については本当に日々地道に対策していくべきだと思います。避難リュックは準備したほうが良さそうです。

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POYO58

やっと行けました 評価★★★☆☆ (2023/11/04 訪問)

姫路城探訪後は一夜おいて翌日(11月4日) に明石城へ行きました。駐車場は市営駐車場に駐めました。
東側にあった駐車場を出ると早速広い水堀があり、門跡のような石垣が建っていました。東側から城に入れるようですが、東虎口は後ほど行きました。
水堀を周って大手門跡に着きました。今日はなんと菊の展覧会がやっていて結構人がいました。大手門は当時枡形虎口になっていたようですね。
大手門跡から城までは結構遠いですね。なんで城前にこんな広場があるのでしょうか?
大広場から巽櫓と坤櫓を写真にとって二の丸へと続く階段を登って行きました。石垣が建っていましたが、虎口だったのかな?東の丸の方には高石垣が建っていました。
二の丸下からは巽櫓と坤櫓を一直線上に見ることができます。
階段を登ると大きな堀切があり、とてつもなく高い高石垣が見れます。おそらく大堀切下から攻城する人もいると思います。大堀切は二の丸と本丸を大きく分断していますね。
さあ、次は本丸へと向かいます。続く

申し忘れていましたが、能登地震の被害が相次いでいると聞いております。北陸地方の早期復興を願いたいと思います。朝田辰兵衛さん、ご無事でなによりです。

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概要

大坂夏の陣で豊臣氏が滅んだ後、一国一城令が下されてから4年後に完成。西国大名を牽制するため徳川秀忠が小笠原忠真に命じて築かせた城は、明石海峡を望む丘陵地に建つ連郭式。本丸・二の丸・三の丸の石垣・堀の工事は幕府直営で行った。豪壮な天守台の上に天守は建てられず、城内最大の坤櫓が代用されたという。

城郭情報

城地種類 梯郭式+連郭式平山城
築城年代 元和4年(1618)
築城者 小笠原忠真
主要城主 松平氏(越前系)
文化財史跡区分 国重要文化財(巽櫓・坤櫓)、国史跡(明石城跡)
近年の主な復元・整備 松平直常
天守の現況・形態 なし(天守台あり)
主な関連施設 塀、石碑、説明板
主な遺構 曲輪、石垣、横堀(水堀)、櫓、移築門
住所 兵庫県明石市明石公園1-27
問い合わせ先 明石市教育委員会事務局地域連携課
問い合わせ先電話番号 078-918-5057