日本100名城

あかしじょう

明石城

兵庫県明石市

別名 : 喜春城、錦江城
旧国名 : 播磨

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明石城
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トク

【宮本武蔵】(16)明石城(小笠原忠真と武蔵) (2025/06/05 訪問)

宮本武蔵の続き(16)です。

家康の曾孫にあたる「小笠原忠真」は、1615年大坂の陣で父と兄を失うも、「あっぱれ!さすがは我が鬼孫じゃ」と家康から褒められる程の活躍をし、1617年信濃松本8万石から播磨明石10万石へ加増転封となり「船上城」へ入ります。そこで秀忠より西国監視役を命ぜられ、1619年忠真はそれにふさわしい「明石城」の築城を開始します。この時に武蔵を客分に招き、城下の町割りを託したようです。

武蔵は城下の南側を町人町とし、西国街道と合わせた町割りを作りました。今でも鍛冶屋町・細工町・東魚町・西魚町などの名前で残り、諸国を旅して学んだ軍略的知識も取り入れて攻めにくい構造し、かつ西国街道を中央に通し経済発展の基礎をも築いていたようです。

さらに武蔵は忠真のための憩いの場として、山里曲輪に庭園を造ります。その庭園が再現されていました。庭園の横のサービスセンターにはカフェがあり、暑かったのでお茶ならぬ抹茶アイスを食べながら庭園を眺めてみました。ちょっとだけ武蔵の気分に浸る事ができました(写真⑦)。

武蔵はここで、実兄の田原久光の子でこの時15才の「伊織」を二番目の養子に迎えます。そして忠真に仕官させてほしいと懇願し、近習として取り立ててもらったようです。その宮本伊織は忠真の下でめきめきと才能を表し、わずか5年後の20才で何と家老に抜擢されました。

明石城が完成した1624年頃、武蔵は同じく完成した名古屋城の「徳川義直」の元へ招かれます。というか明石城が一段落したこの機に、尾張へ自分を売り込みに行ったようです。そして義直の面前で、当時剣術指南役をしていた「柳生利厳」(柳生宗矩の長男)の弟子たちをあっという間に倒し、何とここで自分を利厳に代わり剣術指南役にするよう要求したそうです。この時、年俸として1億円を要求したとか(利厳はこの時3千万円)。この頃の武蔵は相当プライドも高くなり、ちょっと図に乗っていたようですね。しかし義直から断られて仕官できず、結局また明石の伊織の屋敷へ戻ります。

それから1630年頃になると、九州では各地で不穏な動きが始まります。譜代大名である小笠原忠真は九州目付の職を与えられ、播磨明石から豊前小倉15万石へ転封となり、九州の外様大名を監視せよ命ぜられました。せっかく苦労して明石城を完成させたのに、今度は九州に行けと命ぜられ、忠真はどんな気分だったのでしょうね。武蔵は伊織に同行し、再び小倉へ行く事にします。そして小倉で、またしても問題が起きてしまいます。

次は(小倉城)島原の乱に続きます。

明石駅でお腹が空いたので、明石名物で昼は「たこやき」、夜は「たこ蕎麦・たこめし」とたこづくしを堪能しました🐙。駅構内にあった店に二度も吸いよせられ、まさに「おもうつぼ」にハマってしまいました~😋!(写真⑧⑨⑩)。
 

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明石焼やない玉子焼きです (2025/10/13 訪問)

明石と言えばお城好きはともかくとして(すいません😅)天体好きには“子午線の町”、競馬好きには“メイショウさんが住む町”、橋好きには“明石大橋のある町”として有名、でも忘れちゃいけないのが“🐙の町”ということ。昼網と言って早朝じゃなしにお昼前に漁船が帰ってくる“昼網”で有名、そんな昼網で採れたタコで作るのが「明石焼」、あっ、間違えた😅“玉子焼き”。メリケン粉より卵をベースにしたたこ焼きを出汁で食べるのが玉子焼き、たこ焼きももちろん出汁の美味しさが人気の秘訣です。ぜひ明石城から歩いてごふんの「魚の棚」(うおんたな)であなた好みの玉子焼きを探してください。

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翡翠

明石城 (2025/02/16 訪問)

駅をおりてすぐなんですね。こんなに近くだと思いませんでした。櫓の中は公開されてなかったですが、良かったです。

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HKISD

明石城散策 (2025/01/31 訪問)

姫路城より大きい敷地だったそうで櫓は素晴らしいのは当然ですが野球場含め色んな競技のフィールドがありました。

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概要

大坂夏の陣で豊臣氏が滅んだ後、一国一城令が下されてから4年後に完成。西国大名を牽制するため徳川秀忠が小笠原忠真に命じて築かせた城は、明石海峡を望む丘陵地に建つ連郭式。本丸・二の丸・三の丸の石垣・堀の工事は幕府直営で行った。豪壮な天守台の上に天守は建てられず、城内最大の坤櫓が代用されたという。

城郭情報

城地種類 梯郭式+連郭式平山城
築城年代 元和4年(1618)
築城者 小笠原忠真
主要城主 松平氏(越前系)
文化財史跡区分 国重要文化財(巽櫓・坤櫓)、国史跡(明石城跡)
近年の主な復元・整備 松平直常
天守の現況・形態 なし(天守台あり)
主な関連施設 塀、石碑、説明板
主な遺構 曲輪、石垣、横堀(水堀)、櫓、移築門
住所 兵庫県明石市明石公園1-27
問い合わせ先 明石市教育委員会事務局地域連携課
問い合わせ先電話番号 078-918-5057