伯耆河口城からの転戦です。東伯郡湯梨浜町から鳥取市に入りますので、ここからは因幡国の城攻めとなります。結構歩きでのある山城に見受けられたので心して登城しました。獣除けフェンスをあけて登城路に踏み込むと、しばらくはなかなかの急坂登ですが、その先の尾根伝いの登城路はさほど急峻ではなく、順調に主郭にたどり着くことができました。主郭後背の土塁と二重堀切の先に進んで山頂も極めることができました。
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2025/05/31 06:52
ゴールデンウイーク後半・因幡の城めぐり① (2025/05/04 訪問)
伯耆河口城からの転戦です。東伯郡湯梨浜町から鳥取市に入りますので、ここからは因幡国の城攻めとなります。結構歩きでのある山城に見受けられたので心して登城しました。獣除けフェンスをあけて登城路に踏み込むと、しばらくはなかなかの急坂登ですが、その先の尾根伝いの登城路はさほど急峻ではなく、順調に主郭にたどり着くことができました。主郭後背の土塁と二重堀切の先に進んで山頂も極めることができました。
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2025/05/05 08:02
会下城 (2024/03/08 訪問)
【会下城】
<駐車場他>駐車場はなし。<35.499113, 134.032060>のポイントの墓地に駐車スペースがあります。
<交通手段>車
<見所>主郭背後の堀切・土塁
<感想>転送したら写真全滅だった件、再訪2城目。現地説明板によると会下城は「因幡志」によると逢坂与十郎が居住しており村に屋敷があったという。1570~1591年頃、敵が攻めてきて逢坂与十郎は青谷に落げ城も落城したと伝えています。
登城口は<35.498369, 134.033451>の石仏や五輪塔が集められた場所の獣柵を開けて入ります。急峻ですがロープが取り付けてあるので伝って登れます。北へ尾根道を進むと薄いが堀切があり切岸が見えます。切岸を登ると立入り禁止の貯水池があります。曲輪を改造したようです。貯水池の北奥も削平地になっていて最奥に堀切土塁があります。ここがどうも主郭のようですが、土塁の背後が2重堀切になっていて、2重堀切の北にも96番の三角点のある削平地があります。結構平坦にしているので城跡かどうかは判別できませんでしたが、ここまでが城跡であれば北の出丸といった感じでしょうか。尾根筋1本だけを改造した小さな城跡でした。
<満足度>◆◆◇
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2020/12/17 17:02
山陰道トンネルの上が城跡 (2020/11/28 訪問)
伯耆河口城を終えて雨の中ですが国道9号線を故郷の青谷町へ、初のコンビニが出来たと旧友言ってましたが寄って故郷の中学校を眺めて無料山陰道青谷ICを入り隣の浜村鹿野温泉ICを降りる、会下城を目指す今回の九州未踏の城廻り累計35城目。
浜村鹿野温泉ICから気高青谷広域農道を青谷方向へ山越えトンネルを通過し県道198号線を越えて青谷方向へ、一本北の道へ進むと尾根筋下に案内板、登城口に在る、駐車場は無く路肩に路駐ギリギリ寄せれば離合は可能。
雨も降って居り登城口は急で縄伝いに登る道、危険に付き案内板と周辺を撮って終了。
城は尾根筋北西に延びてるガイドは古城盛衰記さん案内と写真が大変役に立ちます。
歴史は案内板によると逢坂与十郎が居城、村の前に屋敷、元亀天正の頃日本海の姉泊の浜頭から大軍が押し寄せる、与十郎は村人に助けられ辛うじて青谷方向に落ち延びたが城は落城したと。
この峠道は古代の山陰道辺りに当たり、今回の無料山陰道の工事で青谷浜村トンネルの青谷側で古代の山陰道の遺構が発掘調査で発見されていますので会下城も街道筋の見張り往来で賑わって居たかも?
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分類・構造 | 山城 |
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築城主 | 逢坂与十郎 |
築城年 | 元亀・天正年間(1570〜1592) |
主な城主 | 逢坂与十郎 |
遺構 | 曲輪、土塁、堀切、土橋 |
再建造物 | 説明板(会下城) |
住所 | 鳥取県鳥取市気高町会下 |