続日本100名城

さどわらじょう

佐土原城

宮崎県宮崎市

別名 : 田島城、田島之城、鶴松城、松鶴城
旧国名 : 日向

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佐土原城
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赤い城

切通の登城路がいい感じ (2024/05/02 訪問)

伊東48城の1つで続100名城。
スタンプは佐土原いろは館に置いてあります。
いろは館から道路を渡り二の丸御殿の鶴松館ヘ。
この日は平日だったので閉まっていました。
裏手に回り、大手口から登ります。
少し進むといきなり切通になった大手道、なかなか良いです!
岩盤が鋭く削られています。
ただし雨上がりだったので足元はベチャベチャ、滑らないように気をつけて進んでいきます。

大手道はまだ途中通行禁止になっていますが迂回路が設けられていて本丸まで行くことができます。
ただ南の丸は通行禁止で入れません。

本丸は広く、標柱が立っています。
下草が伸びていてノアザミに蝶が舞い、初夏を感じながら天守台跡に進みます。
島津氏唯一の天守があったことでも知られる佐土原城、石積が少し残っています。

帰りは中の道で下山、こちらの見どころは岩盤を削った虎口ですね。
崖面には門を建てたほぞ穴が残っています。

災害の影響ですべてを見るに至りませんでしたが実態は不明な点も多い城、追加情報が楽しみです。

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しんちゃん

あの島津豊久の居城 (2023/01/08 訪問)

佐土原城は14世紀に伊東氏の一族・田島休助によって築かれたとされています。その後、島津氏の侵攻を受け島津家久が入りますが豊臣秀吉の九州平定後に家久は謎の死を遂げます。その跡を継いだのが有名な島津豊久です。オタク的な話で申し訳ないが私は漫画やアニメの「ドリフターズ」の豊久の印象が強いです。
この日は二度目の来訪だったのでスタンプを押して退散しています。本丸の写真は2014年に最初に訪問した時のものになりますが、さすがに古い感じは否めません。10年たって少しは城の訪問の仕方も覚えたかなと感じる今日このごろです。

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虎の子

城への交通手段実践レポート (2024/04/26 訪問)

平日に行ったので、鶴松館は休館日で金箔瓦などは見れませんでした。
大手道は過日の台風で土砂崩れがあったらしく、迂回路ができていて本丸へは行き来可能でした。ただ残念ながら松尾丸への道はロープが張られて立ち入りできませんでした。
前日の雨で大手道はぬかるんでいて靴は泥だらけになったので、雨の日などは注意が必要です。

本日の行程は以下の通りです
※宮崎、鹿児島の城廻第一日目、佐土原城と飫肥城に登城
※宮崎交通バス1日券1800円(乗換案内アプリ専用)は佐土原や飫肥エリアも使えるので活用しました
7:50羽田(航空機)、9:35,9:48宮崎空港(路線バス)、9:59,10:15宮交シティ(路線バス:2番:花ヶ島・西都行)、11:00交流センター前
 (徒歩1分)佐土原城(続百名城スタンプ:城の駅佐土原いろは館9:00-18:00無休)
      (歴史資料館鶴松館9:00-16:30土日祝のみ開館)
11:47交流センタ前(路線バス)、12:24,12:30宮崎駅(JR)、13:40飫肥駅
(徒歩19分)飫肥城跡(百名城スタンプ:飫肥歴史資料館9:30-16:30無休)
 ※飫肥駅横でレンタサイクル(9:30-16:30,500円/日)があるので飫肥駅との往復ならおすすめです
16:25飫肥城下(路線バス)、17:07,17:39南郷(JR)、18:44志布志
 泊:ホテル志布志(19時朝付7300円)

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トク

94【関ケ原の26人】(25)島津豊久 (佐土原城④-豊久と日本最南端の天守台) (2023/11/04 訪問)

(25人目)島津豊久の続き⑦です。佐土原城の本丸に到着しました。

ここは日本最南端の天守台で有名です(写真①②③④)。ここにはいったいどんな天守が建っていたのでしょうか? 古絵図には天守が描かれており金箔瓦も出土されたため(写真⑤)、ここに天守が建っていた事は間違えないようです。しかし、その天守が二層であったか三層であったかなどの詳細はまだ解っていないそうです。金箔瓦は秀吉から許された者にしか使えないので・・・となると🤔? 発見された瓦は、家久か豊久の時代の瓦という事になるのでしょうか? 見ているだけでなぜか想像をかき立てられます。

島津豊久は、根白坂の戦いの翌年に死んだ父の家久の跡を継ぎ、18才で城主となります。そしてここから叔父の義弘と共に秀吉の命で二度朝鮮へ出兵して行きました。そして二度目の慶長の役から帰国後しばらくして、1599年大坂へ参勤中に島津家の内乱「庄内の乱」が勃発します。豊久は家康から「薩摩の当主義久とよく相談しながらこの乱を鎮めよ!」と命じられ佐土原へ戻ってから薩摩へ行き、義久とともにこの乱の鎮圧にあたります。

そして1600年5月には乱も鎮圧し、当主義久(当時67才)に代わって家康へその報告をするため再び大坂へ戻ります。しかし、そこで何と関ケ原に巻き込まれてしまう事になるのです。

私は、佐土原城の本丸から佐土原城下を眺め考えてみました(写真⑦)。義久とともに乱を鎮圧した豊久は、大坂へ旅立つ前日、どんな思いでここにあった天守から、同じようにこの城下を眺めていたのでしょうか? この後、まさか関ケ原で戦が起こり、自分がそこに巻き込まれるとは、まして生きて再びこの佐土原の地へ帰る事ができぬとは、思ってもいなかったのではないでしょうか?

乱の状況やいきさつを、どのように家康様に報告し、どうやって内乱を起こした島津家の恥を詫びればいいのか? その事で頭がいっぱいのまま、大坂へ旅立って行ったのではないでしょうか?・・・

次は、豊久が関ケ原へ巻き込まれる事になった要因で、庄内の乱の舞台となった「都之城」を訪れます。


【余談】宮崎名物「チキン南蛮と冷汁」
宮崎駅前で、以前から気になっていた宮崎名物「チキン南蛮と冷汁」の定食を食べてみました(写真⑩)。冷たい冷汁に薬味をのせてごはんの上にぶっかけ、タルタルのチキン南蛮と合わせて食べるようですが、食べてみると(うわ最高!)。歩き疲れた体に冷汁がしみわたり胃も元気回復、さらに少し揚げた南蛮に甘酸っぱいタルタルが口の中に広がり・・・思わずビールをもう一杯おかわりしてしまいました(😊笑)。
 

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城郭情報

城地種類 平山城
築城年代 建武年間(1334〜1336)
築城者 田島休助
主要城主 田島休助、伊東氏、島津氏
文化財史跡区分 国史跡(佐土原城跡)
天守の現況・形態 型式不明[3重/築年不明/破却]
主な関連施設 復元御殿、碑、説明板
主な遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)、天守台
住所 宮崎県宮崎市佐土原町上田島追手
問い合わせ先 宮崎市教育委員会文化財課
問い合わせ先電話番号 0985-47-8012