前の日が雨だったのでぬかるみが多かったけど本丸迄行きました。
ただ、草が多くて天守閣があった場所迄は行けませんでした。(泣)
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2025/07/27 22:42
2025/05/30 19:31
島津家久・豊久 (2025/05/06 訪問)
佐土原城は建武年間(1334~1338)に伊東氏の一族である田島氏によって築かれたとされています。応永34年(1427)伊東祐賀が入り佐土原氏を名乗ったとされ、後に伊東48城の一つとなります。天文5年(1536)に焼失するも、新たに鶴松城として再建され、島津氏によって伊東氏が豊後国に追いやられると、伊東家久が入りました。「ドリフターズ」で有名な島津豊久は家久の息子で、天正15年(1587)豊臣秀吉の九州平定の直後に家久が急死すると、後を継いで城主となっています。
この日は朝から雨ですが、佐土原城は傘をさしながらでも訪問できました。最もこのあと、ヤブきつめの那珂城や田野城を攻略しているのですが・・。宮崎市佐土原歴史資料館 鶴松館の裏より大手道が城山まで続いており、本丸までたどり着くことが出来ます。残念ながら台風被害の影響で南の城、松尾ノ丸は立入禁止になっています。本丸の入り口は枡形と記載があり、土塁も残っています。北側に天守台跡とされる場所があり、そこから東屋のある郭を経由して麓に降りてきました。
個人的には豊久がモンタージュ顔のままなので、オリジナル顔になるといいなと思っています。
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2025/03/14 07:12
やっと行けました。 (2025/01/23 訪問)
2018年の年末に登城を計画していましたが夏の豪雨被害のため叶わなかったので、6年越しのチャレンジとなりました。
宮交バスの一日乗車券(¥2,000)を使って宮崎駅から路線バスで向かいました。
鶴松館裏手の大手道から入ります。いきなり現れた切り通しのかっこよさに不安でドキドキしていたのがワクワクに変わりました!
まだ通行禁止のところもありましたが迂回路を設置してくださっていたので安心して進めました。松尾丸と南の城も通行止めでしたが、誤って進入してしまわないように看板を立ててくださっていたので迷ったり悩んだりすることもなかったです。
「日本最南端の天守台」のあった場所を無事に見終えてホッとしました。
大手口に戻ってから中の道の方へも少しだけですが行ってみました。次回があれば大手〜中の道と通り抜けてみたいです。
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2024/05/21 07:17
切通の登城路がいい感じ (2024/05/02 訪問)
伊東48城の1つで続100名城。
スタンプは佐土原いろは館に置いてあります。
いろは館から道路を渡り二の丸御殿の鶴松館ヘ。
この日は平日だったので閉まっていました。
裏手に回り、大手口から登ります。
少し進むといきなり切通になった大手道、なかなか良いです!
岩盤が鋭く削られています。
ただし雨上がりだったので足元はベチャベチャ、滑らないように気をつけて進んでいきます。
大手道はまだ途中通行禁止になっていますが迂回路が設けられていて本丸まで行くことができます。
ただ南の丸は通行禁止で入れません。
本丸は広く、標柱が立っています。
下草が伸びていてノアザミに蝶が舞い、初夏を感じながら天守台跡に進みます。
島津氏唯一の天守があったことでも知られる佐土原城、石積が少し残っています。
帰りは中の道で下山、こちらの見どころは岩盤を削った虎口ですね。
崖面には門を建てたほぞ穴が残っています。
災害の影響ですべてを見るに至りませんでしたが実態は不明な点も多い城、追加情報が楽しみです。
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城地種類 | 平山城 |
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築城年代 | 建武年間(1334〜1336) |
築城者 | 田島休助 |
主要城主 | 田島休助、伊東氏、島津氏 |
文化財史跡区分 | 国史跡(佐土原城跡) |
天守の現況・形態 | 型式不明[3重/築年不明/破却] |
主な関連施設 | 復元御殿、碑、説明板 |
主な遺構 | 曲輪、土塁、横堀(空堀)、天守台 |
住所 | 宮崎県宮崎市佐土原町上田島追手 |
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問い合わせ先 | 宮崎市教育委員会文化財課 |
問い合わせ先電話番号 | 0985-47-8012 |