加瀬田城は標高200m・比高50mの位地に築かれた山城です。輝北高原の中心、火山灰層が100m以上も堆積した所を川によって浸食され今の形状になっています。東にはこの地形を造りだしたとみられる堂篭川が流れ、城址南東は急斜面となっています。北側はシラスの絶壁とされ自然の要塞となっていて、山城と言うよりは平山城に近い形態です。
詳細は不詳と言えど、肝付氏によって築かれたと見られます。延元元年(1336)4月、足利尊氏の命で北朝方の島津貞久が肝付兼重の甥・肝付彦太郎兼隆の籠る平房城(加瀬田城)を攻めています。6月に落城するものの、城主兼隆は死亡と見せかけ生き延び、後に平房を奪還したとの事です。肝付氏衰退の後には島津の城となりますが、城址からは戦闘民族島津人に抗った肝付氏の意地を感じます。
中央に谷があり西と東に城址が分かれているようです。東の方が散策しやすいようなので城址東側を散策(西側はヤブ)。こちら側は良く整備されていて歩きやすい。個人的にこの城は好きです。
最上部が一郭で主郭と見られます。下に二郭、三郭と檀状に続き、腰郭も付いていて、途中には土塁も残っています。一郭は二段構造になっていて、西に土塁が残り祠が立っています。じっと見ていると、祠が何か言いたそうにしているようにも見えます。
「島津だけじゃないんだよ」 ・・肝に銘じます。
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