かせだじょう

加瀬田城

鹿児島県鹿屋市

別名 : 加瀬田ヶ城、平房城
旧国名 : 大隅

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しんちゃん

城址東側・三段の郭 (2025/05/08 訪問)

加瀬田城の東側は整備がされていて、とても歩きやすい。最上部に郭1(主郭)があり、二段構造になっていて西側が高く、端部に土塁が残り祠が立っています。また土塁の下には城址の関係者(?)と思われる五輪塔も有りました。
郭1の下段に郭2、その下段に郭3があり檀状に配置されているので訪問もしやすいです。城址の西側も三段の郭が有るようですが、藪に覆われているようなので今回は訪問はパスしています。東西の境界の大堀切(渓谷)の写真も無いので、訪問がしやすくなったら再度訪れてみたいと思います。

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しんちゃん

肝付氏の意地 (2025/05/08 訪問)

加瀬田城は標高200m・比高50mの位地に築かれた山城です。輝北高原の中心、火山灰層が100m以上も堆積した所を川によって浸食され今の形状になっています。東にはこの地形を造りだしたとみられる堂篭川が流れ、城址南東は急斜面となっています。北側はシラスの絶壁とされ自然の要塞となっていて、山城と言うよりは平山城に近い形態です。
詳細は不詳と言えど、肝付氏によって築かれたと見られます。延元元年(1336)4月、足利尊氏の命で北朝方の島津貞久が肝付兼重の甥・肝付彦太郎兼隆の籠る平房城(加瀬田城)を攻めています。6月に落城するものの、城主兼隆は死亡と見せかけ生き延び、後に平房を奪還したとの事です。肝付氏衰退の後には島津の城となりますが、城址からは戦闘民族島津人に抗った肝付氏の意地を感じます。

中央に谷があり西と東に城址が分かれているようです。東の方が散策しやすいようなので城址東側を散策(西側はヤブ)。こちら側は良く整備されていて歩きやすい。個人的にこの城は好きです。
最上部が一郭で主郭と見られます。下に二郭、三郭と檀状に続き、腰郭も付いていて、途中には土塁も残っています。一郭は二段構造になっていて、西に土塁が残り祠が立っています。じっと見ていると、祠が何か言いたそうにしているようにも見えます。
「島津だけじゃないんだよ」   ・・肝に銘じます。

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零汰

よく掘りましたね 3 (2022/01/04 訪問)

東側に天然の崖と川があり、西側は空堀を配置して、大手が南側にある城跡です。滞在時間30分強、歩行距離720m、累計高低差100m足らずの城跡です。その時は整備も行き届いていて散策が楽でした。毎度の如く場所だけの確認で現地での一発勝負の訪問です。勿論城跡の歴史的背景は今でも把握していません。

道路面に面している大手から階段を上がると左前方に大きな空堀が見えてきます。右側に折れると城内に続きます。早速空堀をチェック、西側を遮断しています。小さな曲輪や土塁、切岸に囲まれた城内を進んで行くと三郭の虎口に辿り着きました。そこは随分広い曲輪です。二郭に登り高さ10m程の切岸に施された九十九折の虎口を登ると主郭に辿り着きます。北側に祠らしい物を設置している20畳ほどの土壇が有りました。そこで土壇裏の北側を意識して確認するのを忘れて折り返しました。自然地形の斜面かも知れませんが何か遺構が有ったかも知れません。




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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 肝付氏
築城年 鎌倉時代後期
主な城主 肝付氏、島津氏
遺構 曲輪、横堀(空堀)
指定文化財 市史跡
再建造物 石碑、説明板
住所 鹿児島県鹿屋市輝北町平房中平房