こがじょう

古河城

茨城県古河市

別名 : 古河御所
旧国名 : 下総

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古河歴史博物館 土塁らしきもの
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天守無しがアツい

古河歴史博物館 (2025/05/30 訪問)

お休み処坂長にて御城印・(古河宿の)御宿場印・足利成氏の武将印を購入

(お休み処坂長 HP)http://sakacho.com/

それから古河歴史博物館へ…江戸時代には宇都宮城と共に、将軍が日光まで参拝する際の重要拠点…臨時的な幕府という意味合いもあったらしい

けれど現在は…城の遺構はほとんど残っておらず…古河歴史博物館の諏訪曲輪跡くらいしか…痕跡がない

博物館ではストリートオルガンが唯一の撮影OK
中で鷹見泉石の生涯ならびに肖像画(西洋画法で割と有名)を見学

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本丸は河川敷 ~町なかに遺構が点在~ (2023/11/11 訪問)

 JR東北本線(宇都宮線)古河駅西口から諏訪曲輪跡(古河歴史博物館)まで徒歩約20分。古河歴史博物館に駐車場があります。
 駅から諏訪曲輪への道中にあるお休み処坂長は、古河城の文庫蔵と乾蔵を移築したもののようです。お休み処坂長では、古河城の御城印が販売されています。
 その南にある福法寺には古河城二の丸御殿 乾門が移築されています。
 福法寺から西に進み、古河歴史博物館へ移動。
 博物館の周辺が諏訪曲輪(出城)跡で、こちらには土塁と空堀跡が残っており、きれいに整備されていました。
 古河歴史博物館の入り口部分には、「古河城出城諏訪曲輪跡」の石碑が立っています。博物館の常設展の方では、古河城の模型が展示されており、展示室で古河城の解説シートも配布されていたので、せっかくなのでいただきました。
 博物館を見学後、諏訪曲輪跡から移動し、西に5分ほど進むと桜町曲輪の獅子ヶ崎土塁も現存しており、案内板も設置されています。この周辺に、徳川将軍の日光社参の時に使用されていた御成門があったようですが、石碑等は設置されていませんでした。
 そこから西に進み、渡良瀬川の河川敷の堤防を南に進んでいくと堤防上に古河城の本丸跡の石碑が建っています。石碑は御三階櫓がデザインされています。堤防から見て、河川敷の野球グラウンドの周辺が本丸跡だったようです。
 本丸などの主要部は河川敷になってしまいましたが、諏訪曲輪や建造物が残っているので、かなり楽しめました!!

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しんちゃん

古河公方の本拠 (2023/05/04 訪問)

古河城を散策したく、古河歴史博物館と渡良瀬川周辺を
散歩してきましたが、郭跡の石碑以外は特に遺構を見ることは
出来ませんでした‥が、肉球さんや他の方の投稿を見ると
まだ、いろいろ見るべきところは有った様子。
グーグルマップにも門跡や櫓跡などいろいろ出ている。
これ、前からあったっけ?
なんにせよ、古河城もう一度行かねばなりませんな。
何気なしに歩くのと、どこに何があったのか分かっていて
歩くのでは視点が違ってきます。
古河歴史博物館では特別展をやっていて、刀剣乱舞の堀川圀廣との
コラボをやっていました。刀剣の展示もいっぱいあったのですが
堀川圀廣といってもいろいろあるようです。古河城の模型もありました。
博物館自体が出城の諏訪原曲輪跡に建てられています。

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三浦の晃ちゃん

幻のお城です (2023/07/25 訪問)

今は、明治や昭和の改修工事だ、渡良瀬川の底に、沈んでしまった幻のお城です。

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城郭情報

分類・構造 平城
天守構造 独立式層塔型御三階櫓[3重4階/1633年築/破却(廃城令)]
築城主 下河辺行平
築城年 平安時代後期
主な改修者 小笠原秀政、松平康長、土井利勝
主な城主 足利氏、土井氏
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)
指定文化財 市文化財(旧古河城乾門)
再建造物 石碑、説明板
住所 茨城県古河市中央町
問い合わせ先 古河市役所文化課
問い合わせ先電話番号 0280-22-5111