こがじょう

古河城

茨城県古河市

別名 : 古河御所
旧国名 : 下総

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本丸跡(石碑の位置は菱櫓跡付近)
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T-Shionoya

初めての古河城跡地巡り (2021/08/28 訪問)

先月は茨城県古河市にある古河城に寄ってきました。

古河城があったのは渡良瀬川の東岸で、沼地に囲まれた半島状の微高地。
下河辺荘の北部に位置し、2代足利義満の時代からは鎌倉公方領となった場所。
元々江戸湾に注いでいた渡良瀬川(太日川)は古くから流通があったでしょうし、陸路は鎌倉期に鎌倉街道中道、江戸期には日光街道が整備され、関東の中心地と東北を結ぶ中継地点でした。

主な城主は、まず鎌倉を奪われ1455年に古河公方を設立する足利氏。
足利成氏は城の整備終了後、古河鴻巣館から移転。
江戸期は小笠原氏らが城を拡張し、長く城主を務めたのは土井氏。
土井利勝により御三階櫓や本丸御殿が建てられました。

現在の古河城は、中核部が渡良瀬川の堤防と河川敷の下。
遺構は住宅地に点在する丸ノ内、観音寺曲輪、諏訪曲輪(古河歴史博物館)の土塁と、公園になっている古河公方鴻巣館跡ぐらい。

個人的に縁ある古河ですが、初めて城郭を巡ると、その広さと諏訪曲輪の立派な土塁に徳川将軍の宿泊地であったことを納得。
カメラトラブルや落し物のタイムロスがあり、クルマと徒歩で滞在時間は3時間。
古河のイメージが少し変わった、私のお城巡りの110城目でした。

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牛若丸

ぜひ復元してほしいお城です。 (2020/07/11 訪問)

舌状台地の要衝にあり、本丸跡には碑が残るのみです。
遺構が、そこら中にある感じで、散策しながら見て回るとかなり巨大だったことがわかります。
歴史館に、在りし日の古賀城の写真がありました。
河川法などで復元が難しいのでしょうが、復元されて欲しいお城の一つです。

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織田晃司

古河城 (2021/05/02 訪問)

河川改修の為消滅したと聞きました。
獅子ヶ崎土塁と古河城乾門が残る。

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昌官忠

宇都宮/小山/古河日帰り遠征④ (2018/05/12 訪問)

「宇都宮/小山/古河日帰り遠征」の4城目は古河城です。小山城からの転戦です。
小山城から小山駅に向かい小山駅からJR宇都宮線で古河駅に到着。古河駅前の「わんぱくステーション」で無料のレンタサイクルを借りて、古河城を目指しました。

古河城の期限は、平安時代末期あるいは鎌倉時代初期に、下河辺行平(下河辺氏は藤原秀郷の子孫である下野国小山氏の一門で、行平は平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての武将・御家人。「吾妻鏡」に記述があるそうです)が、古河の立崎に築いた城館とされている。
室町時代には、古河公方・足利成氏が本拠とし、以後、戦国時代の関東における中心の一つでした。江戸時代には、多くの譜代大名が入れ替わりで城主を務め、近代城郭として整備されました。
古河藩庁が置かれ、行政機能を担うとともに、将軍の日光社参時の宿として、あるいは江戸城の北方の守りとして機能したそうです。

攻城ルートを写真から辿ると、古河駅➡頼政神社➡船渡門跡石碑➡追手門跡石碑➡獅子ヶ崎➡桜門跡石碑➡歴史博物館➡福法寺(乾門)➡坂長➡御馳走番所跡➡御茶屋口跡石碑➡ここから古河公方館(古河総合公園)を見学➡古河公方館見学後、渡良瀬川沿いの本丸跡碑確認➡古河駅に戻り、レンタサイクル返却。
石碑巡り中心の攻城でした。攻城時間は古河公方館込みで90分くらいでした。

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城郭情報

分類・構造 平城
天守構造 独立式層塔型御三階櫓[3重4階/1633年築/破却(廃城令)]
築城主 下河辺行平
築城年 平安時代後期
主な改修者 小笠原秀政、松平康長、土井利勝
主な城主 足利氏、土井氏
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)
指定文化財 市文化財(旧古河城乾門)
再建造物 石碑、説明板
住所 茨城県古河市中央町
問い合わせ先 古河市役所文化課
問い合わせ先電話番号 0280-22-5111