蒲生城は標高160mの龍ヶ山の丘陵を利用した、周囲8km余りの県内有数の大規模城郭とされています。二の丸近くに駐車場があり、そこまで車で行くことが出来ます。二の丸から北上して行くと馬場跡にいたり、そこから本丸に入ります。本丸は五段の連郭になっていますが、整備されているのは一部で、残りはヤブになっています。最北の段を本丸の主要部として、その北側に土塁が残っています。
本丸と二の丸を仕切る道の周囲は断崖絶壁となっており、かなりの高さがありました。
保安4年(1123)宇佐八幡宮の留守職・藤原教清の子・舜清によって築かれたとされています。その子孫は蒲生姓を称し、18代範清の時に菱刈重豊の支援を得て島津貴久しますが、島津義弘の奮戦で重豊は自刃し、範清は城に火を放って祁答院氏を頼って逃れました。
これで430余年にわたる蒲生氏の支配は終わりを告げ、あとには比志島美濃守が地頭として入りました。
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