こやまじょう

小山城

大阪府藤井寺市

別名 : 志貫城、三好の城山
旧国名 : 河内

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岡ミサンザイ古墳前方部南東隅
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イオ

藤井寺城(大阪府藤井寺市藤井寺) (2025/07/27 訪問)

藤井寺城は、古墳中期に築造された岡ミサンザイ古墳(仲哀天皇陵)が戦国期に城郭化されたもので、詳細は不明ながら三好氏の陣城と考えられます。

岡ミサンザイ古墳は世界文化遺産に選定されている巨大な前方後円墳で、宮内庁作成の測量図に基づく復元図によれば、後円部墳頂を二重の横堀がめぐり、前方部は土塁囲みの曲輪、西面と南面にいくつもの竪堀を落としています。墳丘を囲む周濠は現在は水をたたえていますが、当時は空堀だったようです。天皇陵であり城跡へは立ち入りできないので、せめて周囲を歩いて一周しましたが、藤井寺城としての遺構を確認することはできませんでした。周囲には割塚古墳や鉢塚古墳などの小さな古墳も見られ、往時はこれらも出城的に活用されていたのかな…などと考えつつの散策でした。

この日は船形埴輪と修羅をモチーフにしたというアイセルシュラホールに駐車して登城しましたが、2階の世界遺産 百舌鳥・古市古墳群ガイダンスコーナーには藤井寺城と小山城のジオラマや説明パネルが展示されており、見学してからの登城がおすすめです(散歩MAPもあります)。また、ふじいでら再発見コーナーには在りし日の藤井寺球場と近鉄バファローズゆかりの品が展示されていて、かつての近鉄ファンとしてはあまりの懐かしさにこみ上げてくるものがありました…。

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todo94

万博翌日の攻城② (2025/05/11 訪問)

一津屋城からの転戦です。徒歩にてアプローチしました。一津屋城も古墳でしたが、河内小山城に向かう途中には、古市古墳群の一つ・雄略天皇陵もありました。生憎、スルーしてしまいましたけれども。そして、河内小山城は世界遺産「百舌鳥・古市古墳群」の構成資産の中では最も北に位置する津堂城山古墳です。南方の前方部から後円部へと登って行って菖蒲園の方に下りてしまったため、津堂八幡神社をスルーしてしまいました。

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しんちゃん

なにげに世界遺産。 (2024/11/17 訪問)

久々に訪問しました。小山城は津堂城山古墳を利用して築かれた城です。史跡城山古墳の石碑は二つあって、一つは北西の津堂八幡神社側に付いています。もう一つは東側に付いているのですが、埋もれて「史跡城山古」になっていますね。なんで埋まってるのか知らんけど、そのうち「史跡城山」になったりして(ニヤリ)。主郭部は全長208mの前方後円墳なので、なかなか広いです。
古市古墳群の一つとして国の史跡に登録されており、2019年には世界文化遺産に登録されています。

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昌官忠

公共交通のみで(東海&関西遠征)10日目:小山城 (2024/10/01 訪問)

近鉄バスの小山バス停から徒歩5分くらいで、小山城跡地付近(34.581824、135.593665)に着きました。

築城年代は定かではないようですが、南北朝時代に志貴右衛門によって築かれたと云われています。 志貴右衛門は南朝方として八尾の別当兼幸と争ったそうです。
高屋城主で河内国守護職畠山義就は、重臣の安見備中守清時を小山城主としました。
清時、清範、友重と続きましが、1566年(永禄9年)三好康重によって攻められ落城、安見友重は交野城へ退いています。

小山城は津堂城山古墳を利用した城郭であったそうです。
津堂城山古墳は公園として整備されています。石碑や説明板は城山古墳のもので、城というよりは古墳という感じです。
攻城時間は10分くらいでした。次の攻城先=一津屋城へは、ここから徒歩で向かいました。

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城郭情報

分類・構造 平山城(古墳利用)
築城主 志貴右衛門
築城年 南北朝時代
主な城主 志貴右衛門、安見氏
遺構 曲輪、堀(周壕)
再建造物 石碑(史跡城山古墳)、説明板(城山古墳)
住所 大阪府藤井寺市津堂44(津堂城山古墳)
問い合わせ先 藤井寺市教育委員会事務局教育部文化財保護課
問い合わせ先電話番号 072-939-1111