こやまじょう

小山城

大阪府藤井寺市

別名 : 志貫城、三好の城山
旧国名 : 河内

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しんちゃん

なにげに世界遺産。 (2024/11/17 訪問)

久々に訪問しました。小山城は津堂城山古墳を利用して築かれた城です。史跡城山古墳の石碑は二つあって、一つは北西の津堂八幡神社側に付いています。もう一つは東側に付いているのですが、埋もれて「史跡城山古」になっていますね。なんで埋まってるのか知らんけど、そのうち「史跡城山」になったりして(ニヤリ)。主郭部は全長208mの前方後円墳なので、なかなか広いです。
古市古墳群の一つとして国の史跡に登録されており、2019年には世界文化遺産に登録されています。

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昌官忠

公共交通のみで(東海&関西遠征)10日目:小山城 (2024/10/01 訪問)

近鉄バスの小山バス停から徒歩5分くらいで、小山城跡地付近(34.581824、135.593665)に着きました。

築城年代は定かではないようですが、南北朝時代に志貴右衛門によって築かれたと云われています。 志貴右衛門は南朝方として八尾の別当兼幸と争ったそうです。
高屋城主で河内国守護職畠山義就は、重臣の安見備中守清時を小山城主としました。
清時、清範、友重と続きましが、1566年(永禄9年)三好康重によって攻められ落城、安見友重は交野城へ退いています。

小山城は津堂城山古墳を利用した城郭であったそうです。
津堂城山古墳は公園として整備されています。石碑や説明板は城山古墳のもので、城というよりは古墳という感じです。
攻城時間は10分くらいでした。次の攻城先=一津屋城へは、ここから徒歩で向かいました。

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しんちゃん

世界遺産の古墳が本丸 (2019/06/02 訪問)

小山城は2019年に世界文化遺産に登録された古市古墳群の一番北にある城山古墳を利用して築かれています。古墳は4~5世紀ごろのものと見られ被埋葬者は天智天皇の第七皇子・志貴皇子(志紀王)ではないかとされています。
古墳そのものは本丸と見られ、周囲に堀が巡らされていたようです。古墳西側に置かれている津堂八幡社は織田信長の河内攻めの際に焼失したものを享保5年(1720)に津堂古墳後円部頂の西端に移築したものと石碑には記載されています。

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津堂城山古墳 (2023/08/26 訪問)

 津堂城山古墳が跡地です。城址というより古墳の雰囲気を強く感じます。古墳をそのまま利用したのでしょうね。
もよりのバス停は大正橋南詰(津堂城山古墳前)です。

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城郭情報

分類・構造 平山城(古墳利用)
築城主 志貴右衛門
築城年 南北朝時代
主な城主 志貴右衛門、安見氏
遺構 曲輪、堀(周壕)
再建造物 石碑(史跡城山古墳)、説明板(城山古墳)
住所 大阪府藤井寺市津堂44(津堂城山古墳)
問い合わせ先 藤井寺市教育委員会事務局教育部文化財保護課
問い合わせ先電話番号 072-939-1111