西溝口城は成願寺の周辺に築かれていたと見られ、成願寺の境内に顕彰碑が残っています。城主は逸見左衛門尉勝政とされ、当地に移って溝口の姓を称したとされています。城域は東西約72m、南北47mほどで勝政の子、秀勝は織田信長や豊臣秀吉に仕え、上杉景勝の転封後は新発田5万石の城主となり、子孫は十万石にまで躍進したそうです。
城址はパッとしませんが、そこから日本百名城までいったわけです。う~ん、あなどれない。
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2024/04/12 00:25
新発田十万石にまで出世 (2024/04/10 訪問)
西溝口城は成願寺の周辺に築かれていたと見られ、成願寺の境内に顕彰碑が残っています。城主は逸見左衛門尉勝政とされ、当地に移って溝口の姓を称したとされています。城域は東西約72m、南北47mほどで勝政の子、秀勝は織田信長や豊臣秀吉に仕え、上杉景勝の転封後は新発田5万石の城主となり、子孫は十万石にまで躍進したそうです。
城址はパッとしませんが、そこから日本百名城までいったわけです。う~ん、あなどれない。
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2023/09/06 19:43
溝口秀勝生誕地 (2023/07/22 訪問)
【西溝口城】
<駐車場他>駐車場はなし。農道の<35.219001, 136.765061>ポイント辺りは停車しやすい。
<交通手段>車
<感想>2週連続日帰り濃尾平野ちょこ城巡りの旅、第2弾13城目。承久の乱で功のあった溝口氏は美濃国大桑に領地を与えられたが、応永年間(1394~ 1428年)にここに移り住んだ時に築城したとされます。築城者が溝口勝政となっており、子孫の初代新発田藩主である溝口秀勝の父も溝口勝政となっていることから150年以上生きてたはずもなく時代がずれています。築城年代や他が間違っているか、または秀勝の父勝政は先祖と同名を名乗ったかと考えます。
現在は遺構は残っておらず、民家みたいな成願寺の正面入った所の植え込みの中に古い城跡碑があるのみです。
<満足度>◆◇◇
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2022/04/06 22:43
分類・構造 | 平城 |
---|---|
築城主 | 溝口勝政 |
築城年 | 応永年間(1394〜1428) |
主な城主 | 溝口氏、奥田蔵人 |
廃城年 | 不明 |
遺構 | 消滅 |
再建造物 | 石碑 |
住所 | 愛知県稲沢市西溝口町坪之内 |