てらなかじょう

寺中城

和歌山県海草郡


旧国名 : 紀伊

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埋谷池の堤(登城口)
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イオ

明瞭に遺る二重横堀 (2025/02/03 訪問)

詳細は不明ながら野上荘荘官・寺中氏の城と伝わり、高野山勢の影響の下、野上八幡山本陣と一体となって機能したと考えられるようです。

野上八幡山本陣東側の平坦地からストックを頼りに急斜面を下り、埋谷池の堤を渡って東に谷を上った先が寺中城です。堤の上はススキと笹が生い茂っていますが、藪はすぐに終わるので覚悟を決めてGo!

寺中城は楕円形の主郭と東接する長方形の副郭からなり、主郭は中央部にうっすらと土壇らしきものがあり、北辺を除く三方を低い土塁で囲んでいます。主郭土塁の外周には二重の横堀がめぐっていて、内堀と外堀の間の土塁は分厚く高さもありました。二重横堀は主郭の東側に回り込んで、副郭との間の堀切になっています。副郭は広さはあるものの削平が甘く、東側に緩やかに傾斜していました。副郭の南側には主郭・副郭間の堀切から分岐した外堀が続き、副郭東端の堀切(南方向へは竪堀)と繋がっています。

主郭と副郭だけの小さな城ながら、二重横堀と土塁は明瞭に遺っていてなかなか見応えがありました。ちょっと訪れにくい城ではあるものの、野上八幡山本陣とあわせて挑戦してみてはいかがでしょうか。
 

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イオ

野上八幡山本陣(和歌山県紀美野町小畑) (2025/02/09 訪問)

野上八幡山本陣(城びと未登録)は、野上荘を領する高野山勢が戦国期に野上八幡宮背後の八幡山に築いた陣城で、根来寺勢との抗争の舞台となったようです。

寺中城に向かう道中に位置することから、ついでに登城しました。南麓の野上八幡宮内から主郭まで舗装道が通じているようなので車で行くつもりでしたが、道が思ったより狭かったことにひるんで野上八幡宮の駐車場から徒歩で登城しました(結果から言えば、道が狭いのは境内付近だけなので、車で問題ないと思います)。

いくつかの分岐を経て電波塔の横を過ぎたところに野上八幡山本陣の主郭が広がっています。主郭は駐車場兼広場として整備され、奥の櫓台には八王子厳島神社が祀られていました。神社奥の腰曲輪の脇を下って行くと堀切があり、堀切の先が副郭…ですが、柵で囲まれた通信施設によって占められています。通信施設の北側を回り込むと、副郭東辺には土塁があり、竪堀が南側に設けられていました。副郭から少し下って尾根の鞍部を上ったところには平坦地が広がっていて、駐屯地とも考えられます。この平坦地から東に急斜面を下りて行くと寺中城の登城口(埋谷池の堤)に至ります。

主郭は駐車場兼広場、副郭は通信施設に改変されていて、明瞭な遺構は数えるほどですが、西側から寺中城に向かう場合はどうせ野上八幡山本陣を通り抜けることになるので、ちょっと意識を向けてみるのも悪くないかと。
 

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ぴーかる

見事な2重空堀 (2024/03/02 訪問)

【寺中城】
<駐車場他>野上八幡宮駐車場に駐車しました。八王子厳島神社まで車で行けます。野上八幡宮に一旦入って駐車場北側から狭い道が北に伸びているので道なりに進んで行けば着く。
<交通手段>車

<登城路>八王子厳島神社から西方向の山道に入ります。⇒すぐに電波塔の基地があり、左脇を通り抜けます。⇒谷を降り登りピークに出ます。⇒ピーク(一帯が削平地みたいになっている)を右折し杭に沿って進みます。⇒削平地の先端からロープが要りそうな崖になっています。ピンクリボンが僅かに見えているので、ズルズルと少し降りると貯水池が見えてきます。⇒降りきったら貯水池のほとりに出て堤防上を渡ります。⇒踏み跡の道があるので左手の谷を登ります。⇒登り切ったら土橋に出ます。⇒登った土橋の右手の山、切岸風になったピークを登る。⇒登り切ったら左手の鞍部(植林整備されているのが見える)を行くと主郭が見えてきます。

<見所>2重空堀
<感想>日帰り和歌山山城攻め2城目。初投稿のつもりが投稿にもたついてる間にキンヤさんの2番手になってしまいました。城跡は円形の主郭を2重空堀で囲んでいます。1重目は深い堀で、主郭西側にある長方形の副郭の横堀と繋がっています。2重目の横堀は現在は浅くはなっていますが、1・2重間の土塁は高く見応えがあります。副郭の横堀は曲輪西端に堀切竪堀となっています。城跡手前の土橋・ピークの削平地辺りも城跡かと感じました。小規模ながらなかなか見応えある城跡でした。帰路は貯水池手前のズルズルと降りてきた斜面を今度は急斜面、登るのに少しキツイです。

<満足度>◆◆◇

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キンヤ

二重の横堀・土塁が見応えある高野山勢力の城 (2024/04/29 訪問)

野上荘の荘官であった土豪の寺中氏の城と伝わり、高野山勢力が築城又は改修したのではとされます。

南側麓の埋谷橋から谷筋を登り、明確な道がなく難儀しましたが、城の西側の尾根に辿り着きました。

西側に主郭があります。
西・南・東側の三方を二重の横堀と土塁が取り巻き見応えがあり、南側は比較的木が少なく1番の見所です。
二重横堀の内堀は深いですが、外堀は浅いです。その間の土塁は高さがあります。
以前行った伊都郡かつらぎ町の皮張城も高野山勢力の城とされ、皮張城の西城には浅いですが二重・三重の横堀と土塁が取り巻いてましたので、共通していると思います。

東側に副郭があります。
主郭南側の外堀が東に延び、副郭の南東側まで続いてます。
西側は横堀・土塁、東側は堀切・土塁で遮断されています。
南東側には、横堀と堀切から下の竪堀へ交わる箇所があり見所でした。

遺構がほぼ完存し見応えがあり、和歌山県北部で屈指の山城だと思います。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 寺中氏?
築城年 不明
主な城主 寺中氏
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)
住所 和歌山県海草郡紀美野町小畑