くつかけじょう

沓掛城

愛知県豊明市

別名 : 沓懸城
旧国名 : 尾張

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橋吉

今川義元が最後に軍議を開いた城 (2021/03/03 訪問)

永禄3年5月18日(1560年6月11日)すなわち桶狭間の合戦の前夜、今川義元は前日に沓掛城に入り、(結果的に)最後の軍議を開きました。

現在は沓掛城址公園として整備されています。
10台くらいは駐められそうな駐車場があります。

侍屋敷→本丸→二の丸→諏訪曲輪と見学しても15分くらいでした。

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姫街道

桶狭間の戦い前夜 (2020/12/20 訪問)

今川義元が最後に入った城、沓掛城。
有名な桶狭間の二城五砦や桶狭間古戦場の前に行ってきました。城は非常に綺麗で整備されてます。
スケールの大きな平城で、堀も土塁も大きい!縄張りはシンプルだが、曲輪が階層的で迫力がある。古地図では大手門のところに馬出しが書かれているが、消滅してしまったのか現況ではない。
鳴海城に向かう鎌倉往還、大高道、東海道と、街道が分岐する要所に位置する立地環境は要塞である事の由縁でもあるだろう。

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野良犬

今川義元が最後の夜を過ごした沓掛城 (2020/04/22 訪問)

沓掛城(沓懸城とも)は、今川義元が桶狭間の戦い前夜に軍議を開いた場所です。
旧鎌倉街道沿いの要衝ですが、現在では周囲を田畑と住宅に囲まれた平城です。
遺構としては本丸、曲輪、空掘、土塁、土橋?が残っております。
本丸は現在の城の規模にしては大きく、当時はもっと大きな城であったのではないかと思わせます。
曲輪は高台になっており物見櫓があったとも言われております。
幅8mほどもある当時は水も湛えていたであろう空堀が巡らされておりますが、その外側には土塁や外堀などの遺構はない平地です。
城周辺は小高い丘がいくつもある丘陵地で、そちらの方が見張りにも、防御にも適していたと思えるのですが、ここを選んだ理由は何かあるのでしょうか。
今川義元は2万5千の大軍もの大群でやってきたそうですが、本隊は城に泊まれてもその他大勢はどこにいたのでしょう。

桶狭間の合戦当日、今川軍本隊は5000人程で沓掛城を出陣。その際に落馬してしまったので塗輿に乗り換えていた。
本体より先に出陣した先発隊が、松平元康が兵糧入れを行なった大高城を取り囲む信長方の鷲津砦、丸根砦を攻略したのを聞いて、義元は桶狭間山で休憩・昼食中(酒宴?)に悪天候となったところで、義元が乗っていた輿が目印となってしまい、信長に急襲されてしまった。

隣接する慈光寺は、パッと見ると館城のようで当時の沓掛城を偲ばせます。
駐車場は10台分程あり、トイレもあります。
堀を探索していたら隣接する乗馬クラブの厩舎からお馬さんが顔を覗かせました。
春は桜の名所としても有名で、初夏の空堀には蛍が舞うようです。

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がっくん

今川義元公立ち寄りの城 (2012/07/28 訪問)

沓掛城には入らなかったという説もありますが、通説通りだとすれば色々思うことがあります・・・

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城郭情報

分類・構造 平山城
築城主 藤原義行
築城年 応永年間(1394〜1428)
主な城主 藤原氏、近藤氏、梁田氏、織田氏、川口氏
廃城年 慶長5年(1600)
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)
指定文化財 県史跡(沓掛城址)
再建造物 石碑、説明板
住所 愛知県豊明市沓掛町東本郷
問い合わせ先 豊明市生涯学習課
問い合わせ先電話番号 0562-92-8317