はっちょうめじょう

八丁目城

福島県福島市

別名 : 松川城、西館
旧国名 : 陸奥

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南曲輪・八幡館への虎口スロープ
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カズサン

八丁目城-2/2 南曲輪・八幡館編 (2025/06/06 訪問)

 八丁目城-1/2 本曲輪・愛宕館編の続です。

 八丁目城本曲輪・愛宕館を終えて大手道を降りて大手口まで戻る、左手の登城路を南曲輪(八幡館)へ進み登る、南曲輪までは4段の曲輪が在り、祠と墓石の曲輪、巨木の江戸ヒガン桜が植わってる曲輪、江戸ヒガン桜は樹齢450年、稙宗、晴宗、輝宗、実元、成実の時代には植わっていたかも?、帯曲輪、南曲輪・八幡館と多段で曲輪が重なっている。
 本曲輪には忠魂碑と小さな祠が祀られている、本曲輪の案内板には「八丁目城の第2の曲輪、南端は物見とした」と記されてる。
 遊歩道は草刈がされて歩きやすい。

 比高も低く草刈整備されて見学しやすく成って居ます、常の環境保全に感謝です。

 旧松川小学校は体育館が松川地区体育館として住民の活用施設と成って居る、西隣には松川いきいき交流センターとしてゲートボール場に成っており当日もゲートボール競技を住民が楽しんでいました。
 最近はゲートボールよりグラウンドゴルフが盛んなのですが、まだまだ根強いものが有る様です。
 
 この後はしんちゃんが紹介投稿してる、南東に1.5km程の【陸奥 土合館】を目指します。
 

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カズサン

八丁目城-1/2 本曲輪・愛宕館編 (2025/06/06 訪問)

 多賀城復元外郭南門と東北歴史博物館で約3時間半充分堪能して、東北道沿いの未踏の城は?と探し、直近のしんちゃん投稿の八丁目城は比高も比較的低く足腰の弱い私でも登城できるのではと目的を定めました。
 多賀城ICから東北道南下約100km超、福島市の福島松川SICを降りて東に約1km程の旧松川小学校跡体育館を目指す。

 駐車場:松川地区体育館(旧松川小学校)下のグラウンド、もう一段下の駐車場、利用。
 参考資料:余湖図コレクションさん城郭放浪記さん城びと投稿者グーグルマップに依る。

 県道52号線沿い旧小学校入り口に白い「八丁目城址」の標柱が立っている、グラウンドの駐車エリアに駐めて、いざ登城グラウンドの北東隅の坂道脇に、古木手造りの「八丁目城址」標柱と解説板がある、表には文章解説、裏には八丁目城址案内図、坂道を登って東横に「まつかわ西幼稚園」、北に大手口、大手道が北上に真直ぐ伸びて居る、草刈されて歩きやすい、大手口の指示案内板に北に愛宕館(本曲輪)西に八幡館(南曲輪)と出ている、北の本曲輪を目指す、両脇は多段曲輪の様ですが、畑耕作が続いていた畑跡かも?、現在は草が茂っている、多段曲輪の切岸が連なり見ごたえあり、愛宕神社下の階段を登って帯曲輪、東側に愛宕神社鎮座、奇麗にして祀られている、帯曲輪から虎口階段を登って本曲輪(愛宕館)内部へ、カラスが二羽鳴き叫びうるさい、この時期はカラスの繁殖中?以前青森県の七戸城でカラスに襲われた経験があり、急いで下城。
 
 歴史は案内板に依ると
 八丁目城は伊達稙宗桑折西山城の支城として築かれた。伊達稙宗と子息晴宗と争った天文の乱の頃には稙宗が在城、勝利した晴宗は清野備前守・遠江守父子を城主に据えた。
 遠江守が晴宗の子輝宗に切腹させられた後、復帰した堀越能登守はやがて伊達氏に背き、二本松畠山氏に通じたが天正2年(1574年)大森城主伊達実元(サネモト)(晴宗の弟)が、この城を奪回した。
 実元が八丁目城に隠居した後は、その子成実(シゲザネ)が、また天正14年以降は政宗の重臣片倉小十郎景綱が、大森城主として八丁目城を支配した。
 天正18年の秀吉の奥州仕置により破却廃城、おおよその城構えは残されて現在に至る。

 八丁目城-2/2 南曲輪・八幡館編に続く。
  

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しんちゃん

土合館 (2024/09/16 訪問)

土合館は八丁目城と縁の深い城館で、八丁目城の支城とも見られ、本城である八丁目城が西館と呼ばれ、土合館は東館と呼ばれます。実際には八丁目城に劣らぬ規模と縄張りを持っており、八丁目城と合わせて奥州街道の守りを担っていたと思われます。
現在は土合館公園となっており、紫陽花の名所でもあり主郭には神社が祭られています。周囲に郭が残り、土塁も各所に残っています。北西の出丸らしき郭には観音様(?)が祭られ周囲を見渡すことが出来ます。八丁目城主の清野遠江守の父・備前守の隠居城ともされ、伊達家の内乱の末、敵対する伊達晴宗が勝利したため八丁目城と共に落城したと思われます。

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しんちゃん

愛宕館と八幡館 (2024/09/16 訪問)

八丁目城は愛宕館と八幡館から成り、北の愛宕館が本曲輪とされています。大堀切の先、南にある丘陵が八幡館で南曲輪とも呼ばれていて、二の丸の役割を果たしているようです。八幡館の北側は藪化してますが、土塁が残っていて腰曲輪もついています。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 不明
築城年 不明
主な城主 堀越氏、清野氏、伊達氏
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)
再建造物 碑、説明板
住所 福島県福島市松川町諏訪山2