日本100名城 現存12天守

ひろさきじょう

弘前城

青森県弘前市

別名 : 鷹岡城、高岡城
旧国名 : 陸奥

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弘前城
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雪残る弘前城 (2023/03/06 訪問)

弘前駅西口を出てすぐのバス停から「土手町循環100円バス」に乗車し、弘前市役所前で下車し、追手門→三の丸→辰巳櫓→未申櫓→南内門→与力番所→丑寅櫓→北の郭→本丸→天守→北の郭→三の丸→東門の順で見学。
雪が積もっていましたが、通路は除雪されていました。
追手門をはじめとして、櫓門は5棟が現存、三重櫓は3基が現存しており、天守以外の見どころも盛りだくさんです!!
天守は本丸内に移動されており、間近で見ることができました。
また本丸から岩木山を望むことができました!!
11月末〜3月末まで天守内には入れませんが、本丸・北の郭は無料で見学することできます。
帰りは、東門を出てすぐにある文化センター前のバス停から100円バスで弘前駅へ向かいました。

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カズサン

桜と岩木山も映える初弘前城 (2003/05/01 訪問)

 弘前城は天守閣、三層櫓の二の丸辰巳櫓、未申櫓、丑寅櫓、二の丸櫓門の南内門、東内門、三の丸櫓門の東門、追手門、北の丸櫓門の北門・亀甲門が現存で残る津軽氏の城郭です。
 19年前の5月連休に、弘前城、松前城、五稜郭の三城廻りで家内と出掛けました、羽田から青森空港、レンタカーで弘前城へ駐車場は連休でどこも満車状態で訪ね訪ねて弘前工業高校辺りの臨時駐車場をやっと利用。
 
 探訪ルートは駐車場の弘前工業高校から近い西濠の西の桜道を北に散策、内北の丸の南東角から、内堀越しに天守閣を眺め、本丸搦手より本丸へ本丸の枝垂れ桜は満開、染井吉野桜は葉桜に近い、花見客で一杯、天守閣を内から眺めて、登閣、岩木山も晴れて良く見える絶景です、元天守台へここには五層の天守閣が在ったそうですが落雷で焼失、後の文化7年(1810年)に本丸辰巳櫓を改修し御三階櫓として天守代用にしたそうです、本丸北西の戌亥櫓跡など本丸を巡り南の角馬出、下城橋辺りから天守を眺めて撮影、人が多い、絵になるビュースポットですが染井吉野桜は散り今一に写真、枝垂れ桜の満開を入れて撮ったり眺めたり、南内門を通り三の丸側から二の丸未申櫓、辰巳櫓を撮影見学、二の丸東内門、三の丸東門を抜けて、三の丸東側外周の外堀を北へ、北の丸の北門、亀甲門を通って北の丸へ入り二の丸丑寅櫓見学撮影、二の丸を通り天守閣を再び眺めて、南内門、追手門を見学撮影し、近くの観光館で家内とツーショット写真が撮れなかったのでプリクラを弘前城天守桜満開の写真をバックに撮影、今でも記念の写真に成って居ます。
 弘前城初登城で桜に岩木山も観れて弘前城の現存建物も全て観れて大変満足の探訪でした、写真はフィルムカメラ主体で予備のデジカメに残っていた数少ない写真から投稿します。

 夜はホテルで食事をした後、津軽三味線のライブをやってる店に出向き。津軽三味線の腹に沁み込むような演奏を堪能しました。
 翌日は青函トンネルを初めて通って北海道入り。
 

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Tokyobay

吉田松陰とか太宰治とかレトロ駅舎とか (2022/10/18 訪問)

追手門前に旧図書館や旧東奥義塾教師館があるが、その裏手に幼稚園に隣接した「松陰堂」という吉田松陰が宮部鼎蔵と共に訪れた屋敷が現存している。ただし、要予約だったので中は見学できず。他には太宰治が旧制高校時代に下宿していた「太宰治まなびの家(旧藤田家住宅)」というのも現存。こちらは当初の建築場所から約100メートル南東に建物の向きを変えることなく移築されたようである(芥川龍之介を真似した写真を撮影したのはここで、部屋がそのまま残っている)。その他、弘南鉄道大鰐線の終点の中央弘前駅もレトロな感じで風情がある。ちなみに北門を出たところにある武家屋敷通りも自転車で走ったが、生垣等はあるものの、建物自体は殆どが普通の住宅なので、そんなに風情があるわけではない。

※「GAIJIN」が差別用語らしく漢字やカタカナではエラーになるので省いて書いてますが、正規名称は写真に記載してある通り旧東奥義塾「GAIJIN」教師館です

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Tokyobay

西の郭から天守が見られるのは大変貴重 (2022/10/18 訪問)

工事で天守が移動中だが、逆に言えば今だからこそ見られる風景がある。特に、西の郭から天守が見られるのは大変貴重で、平山城であることがよくわかる。また、移動中の天守内部は鉄筋補強がモノスゴイので必見。その他、櫓や門も多数あるが見どころが多すぎるせいか現地の案内が少々不親切なので地図を参照しつつ各々を見逃さないようにじっくり巡る必要がある。尚、追手門と南門は工事中で外観は見えず。ちなみに城内はとても広いが、自転車通行可能なのでレンタサイクルが便利。

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概要

津軽地方を平定した津軽為信の子・信枚が、本丸を囲むように曲輪を配した輪郭式として築城。本丸だけが石垣造で、曲輪は土塁によって造られた。築城時は五重の天守だったが落雷で焼失し、江戸後期に改築された三重三階の辰巳櫓が天守の代用となり現存している。

城郭情報

城地種類 梯郭式平山城
築城年代 慶長16年(1611)
築城者 津軽為信、津軽信枚
主要城主 津軽氏
文化財史跡区分 国史跡(津軽氏城跡)、国重要文化財(天守・辰巳櫓・丑寅櫓・未申櫓・三の丸追手門・三の丸東門・二の丸南門・二の丸東門・北の郭亀甲門)
近年の主な復元・整備 津軽寧親
天守の現況・形態 型式不明[5重6階?/1610年築/焼失(落雷)]、独立式層塔型[3重3階/1810年再/現存]
主な関連施設 二の丸東門与力番所、石碑、説明板
主な遺構 曲輪、石垣、土塁、横堀(水堀)、天守、櫓、門
住所 青森県弘前市大字下白銀町1-1
問い合わせ先 弘前市みどりの協会
問い合わせ先電話番号 0172-33-8733