日本100名城 現存12天守

ひろさきじょう

弘前城

青森県弘前市

別名 : 鷹岡城、高岡城
旧国名 : 陸奥

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弘前城
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カズサン

水濠と鏡石-7/7 (2024/05/20 訪問)

 本丸石垣の積直し工事で内濠は水が抜かれて居り、中濠、外濠を廻った個々の写真と馬出から続く本丸枡形虎口の巨石、立派な大石の存在感が在り併せ投稿を致します。
 東門口の弘前城案内図、弘前文化センター前の津軽為信公像も終わりに投稿させて頂きます。

 青森1日目夕刻に弘前城で無事終了、長く7編に分けての投稿ご覧お付き合い頂きましてありがとうございます。

 今回の企画、東北城探訪青森2日目の飯詰城へ続きます。
  

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カズサン

現存桝形櫓門の北門と+α-6/7 (2024/05/20 訪問)

 弘前城には現存桝形櫓門が五つあります、先に写真投稿した追手門、南内門、東門、東内門の他に北を守る四の丸の北に枡形櫓北門が在ります、またの名を亀甲門と称し大光寺城の追手門が移築されてと言われています。
 更に三の丸と四の丸の間に丘陵差が在り築城当初は賀田御門が在り賀田城(大浦城)の大手門が移築されて三の丸の北門として折れを持った桝形で厳重な護りであったそうです。
 北門から外濠を東に廻り込んで東門、弘前文化センター駐車場へ戻りました、約1時間40分の探訪でした。
 北門と賀田御門跡の写真投稿を致します。

 水濠と鏡石-7/7に続きファイナルです。
 

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カズサン

現存桝形櫓門の東門と東内門-5/7 (2024/05/20 訪問)

 弘前文化センターに車を駐めて弘前城への登城口が三の丸東に在る東櫓門枡形を潜り三の丸内へ西に進み中濠に架かる弘前城唯一の石橋、渡って二の丸桝形東内門を潜り二の丸へ、本丸へと繋がります。
 弘前城に残る五つの桝形櫓門の内、東門と東内門、石橋の写真投稿を致します。

 現存桝形櫓門の北門と+αに続きます。
 

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カズサン

現存桝形櫓門の追手門と南内門-4/7 (2024/05/20 訪問)

 本丸を終えて二の丸南内門、未申櫓、辰巳櫓を中濠越しに撮影し三の丸追手門を見学撮影、弘前城には現存の桝形櫓門が健在です、南の三の丸に追手門桝形、二の丸の南に南内門桝形、先に登城入口の東の三の丸に東門桝形、二の丸の東に東内門桝形、北の四の丸に北門桝形またの名を亀甲門桝形と五つの桝形を備えた現存櫓門が有ります、国内でも稀な現存桝形櫓門の残りを誇っています。
 先ずは追手門と南内門の写真投稿致します。

 現存桝形櫓門の東門と東内門に続きます。
 

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概要

津軽地方を平定した津軽為信の子・信枚が、本丸を囲むように曲輪を配した輪郭式として築城。本丸だけが石垣造で、曲輪は土塁によって造られた。築城時は五重の天守だったが落雷で焼失し、江戸後期に改築された三重三階の辰巳櫓が天守の代用となり現存している。

城郭情報

城地種類 梯郭式平山城
築城年代 慶長16年(1611)
築城者 津軽為信、津軽信枚
主要城主 津軽氏
文化財史跡区分 国史跡(津軽氏城跡)、国重要文化財(天守・辰巳櫓・丑寅櫓・未申櫓・三の丸追手門・三の丸東門・二の丸南門・二の丸東門・北の郭亀甲門)
近年の主な復元・整備 津軽寧親
天守の現況・形態 型式不明[5重6階?/1610年築/焼失(落雷)]、独立式層塔型[3重3階/1810年再/現存]
主な関連施設 二の丸東門与力番所、石碑、説明板
主な遺構 曲輪、石垣、土塁、横堀(水堀)、天守、櫓、門
住所 青森県弘前市大字下白銀町1-1
問い合わせ先 弘前市みどりの協会
問い合わせ先電話番号 0172-33-8733