ゆあさじょう

湯浅城

和歌山県有田郡

別名 : 平野城
旧国名 : 紀伊

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①登城口と城址碑
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昌官忠

(東海&関西)遠征14日目:湯浅城と久米崎王寺跡 (2025/05/28 訪問)

湯浅駅から徒歩20分ちょうとで、登り口(34.034774、135.192450)に着きました。
その後、国民宿舎湯浅城(34.036399、135.193320)➡久米崎王寺跡説明板前(34.028112、135.183166)の順番で巡りました。

1143年(康治2年)湯浅宗重によって築かれました。
南北朝時代には湯浅氏は楠木氏や畠山氏とともに南朝方に与して戦いましたが、山名軍の猛攻撃を受けて落城し、湯浅氏も滅亡しました。
その後は楠木氏の残党が後村上天皇の孫・義有王を奉じて入城し、紀伊守護に任ぜられた畠山氏に抵抗しましたが、1447年(文安4年)に畠山氏がこの城を三度攻めてようやく落城させたそうです。

看板の下に連絡先が書いてあり、連絡をするとボランティアの方がいらっしゃって、鍵を開けてくれるようです。
自分は登り口についた時間を考えて、連絡するのを遠慮しました。

・久米崎王寺跡
 久米崎王寺は熊野古道の九十九王子のうちの1つです。かつて熊野詣をおこなった人々がここに立ち寄り、旅の無事を祈りました。
 現在は説明板があるだけです。

攻城時間は35分(久米崎王寺跡説明板前までの移動時間含み)くらいでした。次の攻城先=白樫城(城びと未登録 和歌山県湯浅町)へ徒歩で向かいました。

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小城小次郎

紛らわしいが (2024/11/04 訪問)

同名の温泉施設が城地に隣接し立派過ぎる天守も建っているので湯浅城を検索するとまずこっちが普通に出てくる。城としての湯浅城は鎌倉~南北朝に活躍した湯浅党の本拠地で本当に鎌倉時代から存在していたことがわかっている。

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キンヤ

整備され遺構を見学し易い 湯浅氏の居城 (2018/01/01 訪問)

ここは入口に鍵が掛っていて電話して係りの方に来て頂く必要があるとのことでしたので、お正月に行くべき城ではありませんが、同地区の有田郡の広城にたどり着けず、代わりの城がここしか思い当らなかったので行こうと思いました。

ダメ元で恐る恐る電話するとお正月にも関わらず、歓迎され快く鍵を開けに来て下さりました。

急遽行ったので縄張り図を持っていませんでしたが、カラーの城跡図パンフレットも頂けましたし、本当に感謝です。

和歌山県では珍しく良く整備され、曲輪・土橋・竪堀などの遺構を見学し易かったですし、しっかり造られた堅固な城だと思いました。
整備して下さった方々にも感謝です。

直ぐ近くにある国民宿舎 湯浅城は結構立派な模擬天守・櫓でした。
千葉真一さん登場のローカルCMが放送されていたので、和歌山県では割と知られているかと思います。

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カズサン

湯浅城ホテルに宿泊したくて (2017/05/15 訪問)

 一昨年の5月中旬和歌山県湯浅町醬油の町に在る国民宿舎湯浅温泉湯浅城に何時か泊まりたいと思っておりましたが鳥取帰省の帰り宿泊予約が取れたので紀伊の国未踏の城廻り計画をしました。
 和歌山県日高郡の手取城を終えて、亀山城、小松原館、入山城、遠望、探訪し太鼓櫓の在る本願寺日高別院、安珍、清姫で有名な道成寺を参拝し湯浅温泉湯浅城に到着。
 チェックイン後本物の湯浅城に連絡しないと入れないとの情報も有り、ホテル前の湯浅城を眺め、湯浅城の登城口まで行き登城口、湯浅城麓から眺めて終わり、また想像俯瞰図を見て脳裏で夢想再構築。
 ホテルをお城風に作ってくれる事は私としては有難い、美味しくビールと冷酒でひとり酒。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 湯浅宗重
築城年 康治2年(1143)
主な改修者 湯浅氏
主な城主 湯浅氏
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)、井戸
再建造物 近隣に城郭風建築物(国民宿舎湯浅城)、石碑、説明板
住所 和歌山県有田郡湯浅町青木/有田川町熊井