普段は非公開の湯浅城が一般公開されたので訪問してきました。城内は藪や竹林が多くて視界や足場が悪いところも多くありましたが、逆に開発の手が入っていないだけに昔の姿がそのままに残っている感があります。特に主郭東下の土橋は、主郭から土橋を渡る敵をちょうど狙える位置にありました。曲輪の切岸も急な角度になっていて、下から攻めるのは難しそうです。今後とも手を入れない状態で保存されることを願います。令和8年2月28日と3月1日にも一般公開がある予定です。
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2025/12/08 21:48
湯浅党本拠の城 (2025/12/07 訪問)
普段は非公開の湯浅城が一般公開されたので訪問してきました。城内は藪や竹林が多くて視界や足場が悪いところも多くありましたが、逆に開発の手が入っていないだけに昔の姿がそのままに残っている感があります。特に主郭東下の土橋は、主郭から土橋を渡る敵をちょうど狙える位置にありました。曲輪の切岸も急な角度になっていて、下から攻めるのは難しそうです。今後とも手を入れない状態で保存されることを願います。令和8年2月28日と3月1日にも一般公開がある予定です。
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2025/07/29 23:04
2025/06/28 04:52
(東海&関西)遠征14日目:湯浅城と久米崎王寺跡 (2025/05/28 訪問)
湯浅駅から徒歩20分ちょうとで、登り口(34.034774、135.192450)に着きました。
その後、国民宿舎湯浅城(34.036399、135.193320)➡久米崎王寺跡説明板前(34.028112、135.183166)の順番で巡りました。
1143年(康治2年)湯浅宗重によって築かれました。
南北朝時代には湯浅氏は楠木氏や畠山氏とともに南朝方に与して戦いましたが、山名軍の猛攻撃を受けて落城し、湯浅氏も滅亡しました。
その後は楠木氏の残党が後村上天皇の孫・義有王を奉じて入城し、紀伊守護に任ぜられた畠山氏に抵抗しましたが、1447年(文安4年)に畠山氏がこの城を三度攻めてようやく落城させたそうです。
看板の下に連絡先が書いてあり、連絡をするとボランティアの方がいらっしゃって、鍵を開けてくれるようです。
自分は登り口についた時間を考えて、連絡するのを遠慮しました。
・久米崎王寺跡
久米崎王寺は熊野古道の九十九王子のうちの1つです。かつて熊野詣をおこなった人々がここに立ち寄り、旅の無事を祈りました。
現在は説明板があるだけです。
攻城時間は35分(久米崎王寺跡説明板前までの移動時間含み)くらいでした。次の攻城先=白樫城(城びと未登録 和歌山県湯浅町)へ徒歩で向かいました。
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| 分類・構造 | 山城 |
|---|---|
| 築城主 | 湯浅宗重 |
| 築城年 | 康治2年(1143) |
| 主な改修者 | 湯浅氏 |
| 主な城主 | 湯浅氏 |
| 遺構 | 曲輪、土塁、横堀(空堀)、井戸 |
| 再建造物 | 近隣に城郭風建築物(国民宿舎湯浅城)、石碑、説明板 |
| 住所 | 和歌山県有田郡湯浅町青木/有田川町熊井 |