ひらしまやかた

平島館

徳島県阿南市

別名 : 平島塁、阿波公方館
旧国名 : 阿波

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しんちゃん

公方一族の栄枯盛衰 (2023/08/14 訪問)

平島館は室町時代11代将軍足利義澄の次男、義維(後の義冬)
が阿波守護職、細川持隆に招かれ天文三年(1534)に当地に
入って以来250年間、平島公方の居館でありました。
文化2年(1805)徳島藩主蜂須賀氏の陰湿かつ執拗な嫌がらせに
ついに耐え兼ね、平島公方家は紀州へ去り、その後、京都に
帰還したのですが、誰も暖かく迎えてくれず、流浪同然の
暮らしだったと伝わります。
平島公方が平島を退去した後、居館は破壊され、玄関・書院は
小松島市地蔵寺に移築、花垣門は阿南市吉祥寺に移築され
往時をしのばせます。那須川町赤池西光寺には公方一族の
墓所があります。

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昌官忠

2022夏の青春18キップ遠征2日目:平島館 (2022/07/21 訪問)

上桜城からの転戦です。阿波公方民族資料館駐車場(33.951699、134.655141)に駐車し、標柱場所(33.951994、134.655939)に向かいました。

築城年代は定かではないようですが、藤原清兼によって築かれた平島塁がその前身だそうです。
1534年(天文3年)室町幕府11代将軍足利義澄の二男足利義維(後の義冬)が、阿波国守護職細川持隆に招かれ、3,000貫の所領を与えられて阿波へ移り、平島塁を修築して住んだのが平島館だそうです。
平島館に代々住んだ足利氏は阿波公方あるいは平島公方と呼ばれ、足利義冬の長男が1568年(永禄11年)に三好三人衆に奉じられて第十四代室町幕府将軍となった足利義栄です。
江戸時代になって蜂須賀氏が支配するようになると平島公方の所領は減らされ、わずか100石となりました。
四代義次のときには足利から平島に改めるように命じられ、以後平島氏を称するようになります。
1805年(文化2年)九代義根のとき阿波から脱出して紀州経由で京へ上りました。これにより平島館は廃城となりました。

阿波公方民族資料館(時間的に閉まっていました)の北東に見える小さい丘に土塁が残っているだけです。
信行寺(阿南市那賀川町)と吉祥寺(阿南市長生町西方)に山門、地蔵寺(小松島市松島町)に書院と玄関が移築され現存しているそうですが、時間の都合で行っていません。
攻城時間は10分くらいでした。次の攻城先=牛岐城に向かいます。

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小城小次郎

蜂須賀氏のイジメにも耐え (2020/10/17 訪問)

影が薄すぎる14代将軍・足利義栄を輩出した阿波(平島)公方家は、蜂須賀氏のイジメにも耐え、実に270年もの長きにわたって平島館に居住し続けた。生活のため「足利家」と書いたマムシ除けのアヤシイお札も売っていたらしい。

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todo94

阿波公方民俗資料館 (2014/10/11 訪問)

資料館に行く前に平島館の花垣門が移築されている吉祥寺へ。9時を回った所で平島館跡に建つ阿波公方民俗資料館に入館した。その後、山門が平島館の移築門である信行寺、それから書院、玄関が移築されている小松島市の地蔵寺と見て回った。

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城郭情報

分類・構造 平城
築城主 足利義維
築城年 天文3年(1534)
主な城主 足利氏
遺構 移築門、移築書院、土塁
指定文化財 市史跡(平島公方跡)
住所 徳島県阿南市那賀川町古津
問い合わせ先 阿南市文化振興課
問い合わせ先電話番号 0884-22-1798