18きっぷ(4回目)で行きました。
中央本線長坂駅から北杜市民バスで旧JA大泉支店前下車です。
早朝5時半に家を出てから4時間の長旅。北杜市考古資料館はあいにく休館日でしたが、登城口(大手虎口)で満開の桜と大きな空堀に迎えられ気分上々↑↑です。
園路入口の案内に従って進みました。北斜面から東斜面にかけて帯曲輪と長大な空堀があり、さらに進むと竪堀が出現。搦手にも城外へ続く堀があります。
落ちていた(!?)説明板には「堀…堀…堀…また堀…そして堀……さらに堀」(意訳)とあり、堀造りに特化した城であったようです。これらの堀は防御のためというより兵を隠しながら移動させる通路だったと考えられているそうで、現在はかなり埋まっていますが、搦手の斜面の痕跡を見上げると往時の姿が浮かんできて、城兵の気分になってきます。
搦手から一旦外に出て西の出丸跡へ行きました。「城南」と「町屋」の境界標のあるこの道路も堀跡だったようで六郭、大手口へとつながっています。
搦手から再度戻って西帯郭へ。説明板に、現在二段に見える帯郭の上段がかつては二段構えで下段外側には土塁があったとあります。のちの時代に均されてしまったのは堅城ゆえの不便さからだろうかと考えると、遺構がないのはそれだけスゴイお城だったのかもしれないと想像でき、空想をめぐらすのが楽しくなってきます。
続いても帯郭。北側の四郭には食違い虎口がありますが土塁は低く防御性は感じられません。この四郭と南の五郭は縄張り図で見ると大きさや形状、配置がよく似ています。平時でも戦時でも、その場の状況に応じてフレキシブルに使える空間だったのではないかと想像してみました。
帯郭南側の二郭と三郭は土塁の内側に堀がつくられています。堀は土塁の外側が定石ですが、防御の役割をもつ帯郭が何重にも造成されているので、兵の移動のための通路を内側に掘って土塁を築く方が有効だと考えたのではないかと思いました。虎口付近のみ薬研堀なのは、せめてここぐらい何か仕掛けをつくろうよと誰かが言ったのか、実は箱堀だとバレないようにしたのか……な?
一郭は虎口が二か所。段差のある土塁が特徴です。三郭から一郭にかけての斜面は階段状だったそうですが、三郭の外側は西帯郭。一郭防衛の本気度が伝わってきます。
二郭・三郭の南虎口はスロープ状の堀に食違い虎口が設けられており、まっすぐ入らせないための仕掛けだということは一目瞭然なのですが、それだけではなく虎口から堀への出入りを迅速にするためのくふうでもあるとありました。シミュレーションしてみるとホントにすっと降りられて、辣腕設計者による一貫したテーマをもったデザイナー物件のすごさに最後まで感動させられ、気づけば3時間くらい滞在していました。
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