いいだじょう

飯田城

長野県飯田市

別名 : 長姫城
旧国名 : 信濃

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毛利秀頼 (2024/10/31 訪問)

 久しぶりの飯田城です。天竜川の支流の松川と野底川にはさまれた河岸段丘の先端部分に築かれた城です。城郭の東部に本丸を置き、西部に向かって二の丸、桜丸、出丸と曲輪を配置していました。本丸は長姫神社となっています。水の手御門にある石垣が少しですが残っています。

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ぴーかる

飯田城 (2024/04/20 訪問)

【飯田城】
<駐車場他>飯田合同庁舎駐車場に駐車しました。庁舎が休みの日は観光駐車できます。平日は不可。
<交通手段>車

<見所>桜丸御門
<感想>日帰り伊那郡河岸段丘平山城の旅3城目。飯田城は13世紀初め頃に坂西氏が築城したとされます。1554年に武田氏が下伊那に侵攻してから30年間武田氏の城となります。1582年織田信長の甲州征伐にて城は落城しますが、明治維新まで城が残りました。
 桜丸御門から本丸跡の長姫神社までゆっくりと散策しました。本丸が河岸段丘の先端部分にあたります。城跡内はほぼ現代の建物が建てられています。水の手御門跡やら移築門などは見落としてしまいました。

<満足度>◆◆◇

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刑部

城址は温泉宿 (2024/04/15 訪問)

宿と神社辺りが城址のようです、遺構はほとんどありませんがよく見れば面影があります。

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しんちゃん

城址一帯が飯田市の中心として活用されている。 (2023/11/11 訪問)

飯田城は坂西氏によって築かれ、江戸時代は小笠原氏、脇坂氏が入り寛文2年(1642)堀親昌が2万石で入り明治まで続きました。天竜川の支流の松川と、その支流の野底川に挟まれた河岸段丘の先端部に築かれた城で本丸周辺は長姫神社と駐車場、山伏丸は宿泊施設、二の丸周辺は美術博物館になっているようです。遺構はあまり残っていないようですが、本丸と二の丸の間に堀切の跡があり見学が可能です。長姫神社の背後の石積と土塁がかつての遺構とされているようです。他にもかつての赤門や八間門などがが周辺の民家や合同庁舎の近くに移築されています。城址一帯は北側から見ると全体がコンクリで補強されていて、いかにもな雰囲気を漂わせています。

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城郭情報

分類・構造 平山城
築城主 坂西氏
築城年 13世紀前期
主な改修者 秋山虎繁、毛利秀頼、京極高知
主な城主 坂西氏、秋山氏、毛利氏、京極氏、小笠原氏、脇坂氏
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)、赤門、八間門(移築)
再建造物 石碑、説明板
住所 長野県飯田市追手町
問い合わせ先 飯田市上郷考古博物館
問い合わせ先電話番号 0265-53-3755