日本100名城

わかやまじょう

和歌山城

和歌山県和歌山市

別名 : 虎伏城、伏虎城、竹垣城
旧国名 : 紀伊

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和歌山城
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イオ

雨の和歌山城 (2026/10/25 訪問)

日帰りの場合は雨予報だと日を改めるので、雨の中を城めぐりすることはあまりないんですが、和歌山城の野面積石垣に用いられている緑泥片岩(紀州青石)は雨に濡れると青みを増すと云われますし、たまには雨の和歌山城も風情があって良いかな、と雨予報の中、和歌山市内での所用の合間に登城しました。

一ノ橋から登城開始。一中門を抜けると目の前にそびえる紀州青石の本丸石垣は、雨に濡れていつもと違った雰囲気がありますが、バチバチと傘にも地面にも叩きつけるように降る雨の中では風情も何もあったものではありません。表坂から山上を目指すと、表坂を雨水が激しく流れ下っています。早くも足元はびしょびしょ、靴はじゃぶじゃぶです。本丸御殿跡からの天守も、本丸下ノ段から天守を仰ぐ定番ショットも雨にかすんでいました。

裏坂から虎伏山を下りて鶴ノ渓へ。天守曲輪北面の紀州青石の高石垣を眺めながら鶴ノ渓まで行こうと階段を下りていくと、さながら流水階段のように雨水が流れ落ちています。どうせもう靴はじゃぶじゃぶなんだから通路が冠水していても今さら関係ないと思っていましたが、足元が見えないくらいになるとさすがに不安になり、紅葉渓庭園から砂ノ丸に脱出しました。砂ノ丸側から見下ろす鶴ノ渓は水没していて、高石垣の下には地面でなく水面が広がっていました…。これまで「鶴ノ渓」の名は、浅野期に鶴が飼われていたからと承知しつつも「渓」に注目することはありませんでしたが、この日、水没しているのを目の当たりにして渓部に設けられた庭園であることを再認識しました。

砂ノ丸散策中に防災行政無線で和歌山市内に大雨警報が発令されたことを知り、この降り方ならそりゃそうだろうな、と納得しつつ、雨の和歌山城ならぬ「豪雨の」和歌山城めぐりはここで切り上げて、岡口門から東堀をたどって駐車場に戻りました。東堀沿いの道路も冠水していて一段高い歩道にまで水があふれ、東堀越しに見る天守はこれまで見たことがないほど真っ白くかすんでいました。

帰宅してからニュースを観てみると、台風接近の影響により和歌山市ではこの日10月の1時間降水量の観測史上最大を記録し、線状降水帯直前予測も発表されていたとのことで、よりによってとんでもない日(それも観測史上最大を記録した時間帯)に登城したものだなぁ…と呆れつつも、そう滅多にない光景が見られたのでこれはこれでヨシ! ということにしておきましょう。風情ある雨の和歌山城めぐりは、またいつかの機会に。
 

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イオ

「扇の芝」定点観測 (2026/08/29 訪問)

和歌山城南西部の砂の丸は、その名の通り砂丘に造成された曲輪であることから外周には水堀に代えて高石垣をめぐらせ、見通しをきかせるために南西隅部には芝を植えた三角地を設けていました。三角地は扇に見立てて「扇の芝」と呼ばれ、城下の人々にとって馬場(西側)や射場(南側)での武術練習を見物できる憩いの地だったようですが、廃城により扇の芝が払い下げられると建物が建ち並び往時の姿は失われていました。和歌山市では10年前に整備計画を改訂し、扇の芝の復元に向けて土地の公有化を進めてきましたが、昨年度に建物の撤去が完了し、今年7月4日には市民参加で芝張りイベントが開催され、127年ぶりに扇の芝が往時の姿を取り戻しました。

扇の芝の復元の話は以前から耳にしていましたが、和歌山ローカルのニュースでついに芝が張られたことを知り、他の用事のついでに見に行ってきました。まず県庁前交差点の歩道橋から扇の芝の全景を。建ち並んでいた建物が撤去され、植栽された芝の奥には砂の丸高石垣、そして木々の上には連立式天守群がそびえています。電柱と電線がちょっと邪魔ですが、天守群がよく見えるように木々を刈り揃えれば和歌山城の新たなビュースポットになる予感! 歩道橋を北に渡り、さらに北側の歩道橋を東に渡って扇の芝へ。芝は養生中のためまだ立ち入りできませんが、芝の向こうに屏風折れの高石垣、木々の合間には天守が覗いています。芝だけでなく建物に隠れていた砂の丸高石垣も草木が刈られて綺麗になっていました。扇の芝北西角部の歩道沿いには扇の芝の標柱が立てられています。かつては扇の芝の存在を示すものがこの標柱しかなかったことを思うと感慨深いものがありますね。

そういえば、以前に復元整備途中の扇の芝あたりを撮った写真があったはず、と思って探してみていくつか見付けましたので、ついでに載せておきます。3年ほど前(2023/10/28)に撮影したもので、更地になっているところもあれば建物も残っている状態の扇の芝(写真8)と、建物が無くなって道から見えるようになっているけれど、草木が茂った状態の石垣(写真9)です。これも定点観測といえるでしょうか。扇の芝が公開されたら(令和9年度予定)またレポートしたいと思います。


> トクさん

【豊臣秀長をたどる旅】、興味深く拝見しました。大河ドラマに先行して晩年までたどってしまわれる行動力(あるいは計画性)はさすがですね。及ばずながら確かにバトンタッチされました…と言いたいところですが、私のほうは年内どころか来年中には何とか…という体たらくなので、気長にお待ちいただければ(笑)
 

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姫街道

野面積みに親近感 (2026/08/13 訪問)

天守と大手から天守に続くつずら折りの城道の石垣が、野面積みが多く、地元の浜松城に似ていて親近感を感じた。
堀幅が広く、城がより大きく見えた。

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ボン

和歌山城:2024年7月14日:100名城ー41 (2024/07/14 訪問)

別名:虎伏城、竹垣城
城内の有料駐車場を利用して登城。
復元天守だが、外観はオリジナルを再現できている。
御橋廊下、歴史館もあり。

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概要

羽柴秀吉の命令で弟の秀長が築城を始め、その後、桑山重晴、浅野幸長によって拡張され、さらに徳川家康の十男・頼宣が御三家の格式にふさわしい大城郭へと拡張した。復元された連立式天守群も目を引くが、注目したいのは石垣。豊臣期・浅野期・徳川期で石の種類が異なり、工法も野面積・打込接・切込接へ変化している。

城郭情報

城地種類 梯郭式平山城
築城年代 天正13年(1585)
築城者 豊臣秀長
主要城主 豊臣氏、浅野氏、徳川氏
文化財史跡区分 国重要文化財(岡口門・続塀)、国史跡(和歌山城)、国名勝(西の丸庭園)、市文化財(追廻門)
近年の主な復元・整備 浅野幸長、徳川頼宣
天守の現況・形態 連立式層塔型[3重3階/1605年築/焼失(落雷)]、連立式層塔型[3重3階/1850年再/焼失(空襲)]、連立式層塔型[3重3階/1958年再/RC造外観復元]
主な関連施設 天守、櫓、門、橋、石碑、説明板
主な遺構 曲輪、石垣、横堀(水堀)、門、塀、庭園
住所 和歌山県和歌山市一番丁
問い合わせ先 和歌山城管理事務所
問い合わせ先電話番号 073-435-1044