日本100名城

わかやまじょう

和歌山城

和歌山県和歌山市

別名 : 虎伏城、伏虎城、竹垣城
旧国名 : 紀伊

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和歌山城
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姫街道

野面積みに親近感 (2026/08/13 訪問)

天守と大手から天守に続くつずら折りの城道の石垣が、野面積みが多く、地元の浜松城に似ていて親近感を感じた。
堀幅が広く、城がより大きく見えた。

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ボン

和歌山城:2024年7月14日:100名城ー41 (2024/07/14 訪問)

別名:虎伏城、竹垣城
城内の有料駐車場を利用して登城。
復元天守だが、外観はオリジナルを再現できている。
御橋廊下、歴史館もあり。

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イオ

御殿跡めぐり (2025/08/31 訪問)

養翠園(と湊御殿奥御殿)に続いては、和歌山城の御殿跡と移築建物をめぐります。

湊御殿(和歌山市湊御殿)
紀州藩二代藩主・徳川光貞が造営した別邸で、歴代藩主の隠居所となりました。十一代藩主・徳川斉順は江戸城本丸御殿に倣った壮麗な御殿を新たに造営し、隠居所にとどまらない藩の政庁として機能しましたが、十三代藩主・徳川慶福(後の十四代将軍・家茂)の命により政庁機能は二ノ丸御殿に戻され、湊御殿は廃されたようです。現在、湊御殿跡は宅地化されて正確な位置も不明ですが、大浦街道西側・舟津町バス停のすぐ北に湊御殿跡の標柱が立てられています。また、養翠園に奥御殿が、感応寺(和歌山市鷹匠町)に女中部屋が移築(非公開)されています。

湊御隠殿(和歌山市有田屋町)
初代藩主・徳川頼宣が造営した隠居所で、頼宣はこの地で亡くなりました。頼宣の没後、湊御隠殿は廃されて遺構は見られませんが、跡地には光明寺が入って現在に至ります。

西浜御殿(和歌山市西小二里・和歌山市西浜)
二代藩主・徳川光貞が造営した別邸(西浜中学校西側)と、十代藩主・徳川治宝が造営した隠居所(現・和歌山工業高校)の2か所が西浜御殿と呼ばれています。治宝の西浜御殿は図面が遺っているものの、いずれも遺構は消滅しており、和歌山工業高校の西門脇に西浜御殿跡の標柱が立っているくらいです(その標柱も樹木に隠れて文字も消えかかっていますが…)。

巌出御殿(和歌山県岩出市清水)
初代藩主・徳川頼宣が造営した御殿で、参勤交代の際の宿所とされ、五代藩主・徳川吉宗が幼少期の大半を過ごしたと伝わります。巌出御殿は江戸中期に廃され、御殿跡の御殿山も昭和の河川改修で失われましたが、御殿の一部が横浜市の三渓園に「臨春閣」として移築されています。お城EXPOのついでに見に行きたいと思ってはいるんですが、未だ果たせずです。なお、御殿跡近くにはいわで御殿の名を冠した健康施設があり、敷地内にいわで御殿の由来と沿革の説明板が立てられています。

あわせて和歌山城の移築建物にも。

光恩寺(和歌山市大垣内)
本丸御殿の台所が庫裡として移築されています。棟瓦には三葉葵紋が用いられ、庫裡内には虎や鵞鳥の杉戸絵もあるようですが、内部は非公開のため未確認です。本丸御殿も本堂として移築されるはずでしたが、移築工事中の暴風雨で倒壊してしまったんだとか。何とも惜しいことです…。

宗善寺(和歌山市和歌浦中)
女中門が山門として移築されたと伝わります。鬼瓦に三葉葵紋、屋根の四隅には桃型の留蓋瓦が用いられています。
 

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イオ

養翠園と湊御殿奥御殿 (2025/08/31 訪問)

この日は和歌山城周辺の大名庭園や御殿跡、移築建物をめぐりました。

養翠園(和歌山市西浜)は紀州藩十代藩主・徳川治宝が造営した庭園で、海浜部に位置しながら海の景色でなく天神山や章魚頭姿山の山の景色を借景とした池泉回遊式大名庭園です。田畑の四季の実りを庭園の景観とした北の庭は失われていますが、海水を取り入れた3500坪に及ぶ潮入の池を中心に、稲荷社と弁天社を祀る守護神島に三ツ橋と太鼓橋を架け、藩主別邸の養翠亭(現存・建物内は通常非公開)、狐山や鴨寄せを設け、潮の干満に応じて三浦樋と薬研樋の2つの樋門で潮入の池の水位を調整していました。薬研樋の奥は御船蔵になっていて、船で来遊した藩主は御船蔵から御馬場に上陸し、帰りも御馬場で供揃えをして乗船したのだとか。

御船蔵から養翠園を退出したところには、湊御殿の奥御殿が移築されています。現在見られるのは十一代藩主・徳川斉順が新築した建物で、明治以降、個人宅に移築されていたものを和歌山市が購入して再移築したものです。内部も公開されていて、係員さんに案内いただきながら三葉葵紋の飾金具が施された書院造の部屋や「唐人人物画」などの杉戸絵を見学することができました。養翠園の半券提示で観覧無料になるので、養翠園とあわせてどうぞ。


> あ さん

早速の平須賀城レポート、ありがとうございます。全くの荒れ放題も覚悟していましたが、一応整備はされているんですね。ただ、ススキや茨がのびる早さに追いついていない、と。今週末は天気も良さそうなので赤松城とあわせてリベンジして、来週末あたりに写真ともども投稿するようにいたします。
 

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概要

羽柴秀吉の命令で弟の秀長が築城を始め、その後、桑山重晴、浅野幸長によって拡張され、さらに徳川家康の十男・頼宣が御三家の格式にふさわしい大城郭へと拡張した。復元された連立式天守群も目を引くが、注目したいのは石垣。豊臣期・浅野期・徳川期で石の種類が異なり、工法も野面積・打込接・切込接へ変化している。

城郭情報

城地種類 梯郭式平山城
築城年代 天正13年(1585)
築城者 豊臣秀長
主要城主 豊臣氏、浅野氏、徳川氏
文化財史跡区分 国重要文化財(岡口門・続塀)、国史跡(和歌山城)、国名勝(西の丸庭園)、市文化財(追廻門)
近年の主な復元・整備 浅野幸長、徳川頼宣
天守の現況・形態 連立式層塔型[3重3階/1605年築/焼失(落雷)]、連立式層塔型[3重3階/1850年再/焼失(空襲)]、連立式層塔型[3重3階/1958年再/RC造外観復元]
主な関連施設 天守、櫓、門、橋、石碑、説明板
主な遺構 曲輪、石垣、横堀(水堀)、門、塀、庭園
住所 和歌山県和歌山市一番丁
問い合わせ先 和歌山城管理事務所
問い合わせ先電話番号 073-435-1044