日本100名城

わかやまじょう

和歌山城

和歌山県和歌山市

別名 : 竹垣城、虎伏城

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和歌山城
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徳川御三家紀州55万石の居城 (2018/10/08 訪問)

和歌山城は、紀伊国紀ノ川河口の平野、標高約49mの岡山北端に築かれました!
山頂に登れば、平野から海まで見渡せる景勝の地になっている!
1585年に豊臣秀長が築いた!
関ヶ原の戦いの功績により、1600年に浅野幸長が入り、天守を建てています!
1619年に徳川頼宣が入城、拡張修築して紀伊徳川藩を創設した!
豊臣秀長の時代の城は、旧本丸(現天守曲輪)、旧二の丸(現本丸)、堀之内曲輪(現二の丸・三の丸他)の規模でした!
浅野時代に内堀、外堀、石垣を改修し、城としてほぼ完成しました!
徳川時代の縄張は、山上に本丸、南側中腹に松の丸、山下北方に二の丸、その西側に西の丸、南に南の丸、西下に砂の丸を置き、これを囲んだ総構が有りました!
南の丸に櫓や高石垣を築き、多くの石垣を普請し直しています!
これにより、梯郭式と輪郭式併用の近世型平山城が出来上がった!
山上部分は、西側の天守曲輪と東側の本丸で構成されています!
天守曲輪の広さは約2640mで、天守、小天守、台所、乾櫓、ニの門(楠門)が、多聞で連結されていました!
江戸時代初期の天守は、1846年の落雷で焼失、4年後に再建されています!
この天守も1945年の戦災で焼失、1958年に鉄筋コンクリートの天守が外観復元されたが、二の門のみ木造にて復元された!
また、内郭に造営された三つの御殿が有りました!
本丸御殿は、岡山の頂上と天守曲輪を挟んだ頂部に位置していました!
二の丸にあった二の丸御殿は、宮様御殿とも呼ばれてて大奥も存在していました!
西の丸にあった西の丸御殿は、頼宣の隠居所として築造され、御座之間や御数奇屋、能舞台などからなり、内堀を取り入れた庭園が設けられていました!
和歌山城の門は、大きく櫓門と高麗門に分類されます!
このうち櫓門は、外郭部の正面入口で三の丸の北側入口でもある京橋門や、西側入口である吹上大御門、内郭部の東側入口である岡口門など重要な場所に置かれました!
また高麗門は内郭への正面入口である大手門や、西側入口である追廻門などに建てられています!
この内、現存する門は、岡口門と追廻門、そして復元された大手門で有ります!
江戸時代の絵図には、和歌山城の櫓は15基有ります!
巽櫓や乾櫓、東櫓・西櫓に水の手櫓や岡口御門続櫓、駿河櫓に月見櫓や御太鼓櫓などが有りました!

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こしつぶあんぱん

和歌山城 (2018/01/04 訪問)

石垣の刻印が興味深いです。

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ブラタヌシ

紀州徳川の居城 (2018/07/09 訪問)

広大な敷地の中、石垣に特徴の有る城

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ぽんたっく土佐守

和歌山城 (2017/03/18 訪問)

100名城35城目!

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概要

羽柴秀吉の命令で弟の秀長が築城を始め、その後、桑山重晴、浅野幸長によって拡張され、さらに徳川家康の十男・頼宣が御三家の格式にふさわしい大城郭へと拡張した。復元された連立式天守群も目を引くが、注目したいのは石垣。豊臣期・浅野期・徳川期で石の種類が異なり、工法も野面積・打込接・切込接へ変化している。

城郭情報

城地種類 平山城
築城年代 天正13年(1585)、慶長5年(1600)、元和5年(1619)
築城者 羽柴(豊臣)秀長、浅野幸長、徳川頼宣
主要城主 羽柴(豊臣)氏、桑山氏、浅野氏、徳川氏
文化財史跡区分 国指定史跡、国指定名勝
近年の主な復元・整備 平成18年に御橋廊下を復元、表坂入口付近・西の丸西側石垣修理など
天守の現況・形態 層塔型 三重三階 鉄筋コンクリート造(一部木造)
主な関連施設 和歌山市立博物館、和歌山県立博物館、時鐘堂から吉宗生誕碑・寺町など
主な遺構 岡口門、岡口門続土塀、追廻門、西の丸庭園(紅葉渓庭園)、石垣、堀
住所 和歌山県和歌山市一番丁
問い合わせ先 和歌山城管理事務所
問い合わせ先電話番号 073-435-1044