日本100名城

わかやまじょう

和歌山城

和歌山県和歌山市

別名 : 虎伏城、伏虎城、竹垣城
旧国名 : 紀伊

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和歌山城
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侍ホリタン

「徳川御三家」のひとつ紀州徳川家の居城を訪ねて (2022/08/16 訪問)

豊臣秀吉公が紀州平定後に弟の秀長公に築城を命じたのが始まりで、藤堂高虎公が普請奉行を務めました。秀長公の郡山移封後は桑山家、浅野家が城主を務めました。1619年徳川家康公の10男、徳川頼宣公が城主となり紀州徳川家が設立され、八代将軍吉宗公、十四代将軍家茂公を輩出しました。天守は昭和10年に国宝に指定されますが、昭和20年7月の空襲により焼失しました。現在の天守は昭和33年市民の要望により鉄筋コンクリートによって再建されたものです。
アクセスは徒歩の場合、JR和歌山駅改札出てけやき大通りを真っ直ぐ進めば迷わず行けます。徒歩で20分ぐらいです。天守の展望は和歌山市内を360度見渡すことができます。場内の動物園は祝日以外は火曜日が休園なので注意が必要です。

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イオ

紀州東照宮と和歌浦 (2023/01/21 訪問)

大河ドラマにあわせて…でもないんですが、仕事ついでに紀州東照宮と和歌浦を訪れました。紀州東照宮は、紀州徳川家初代・頼宜が父・家康を祀るため万葉集にもうたわれた景勝地・和歌浦に創建した神社で、例大祭「和歌祭」は昨年に創始四百年を迎え、松平健さんが徳川吉宗公(暴れん坊将軍)として渡御行列に参列されました(観に行きたかった…)。

紀州東照宮の駐車場に車を駐めると、係員が車まで来るので駐車料金(1時間300円)を支払います。一応は有料ですが、社務所で駐車券を示すと1名分の拝観料(大人300円)が無料になるので、実質的にはタダです。
鳥居をくぐって参道を進むと、両脇に紀州藩士が奉納した石灯篭が立ち並んでおり、創建時からの石灯篭も見られました。参道の石橋を渡った先には壁のような急斜面に侍坂と呼ばれる石段が続いています。その名のとおり頼宜の指揮のもと藩士が一段一段積み上げて築いたもので、108段の石段を上りきることで全ての煩悩を落として参拝できるんだとか。侍坂の上には楼門が建ち、楼門の両脇には祭神の家康・頼宜父子と思しき木像が祀られています。
境内は広くはないものの、朱塗りの唐門と権現造の社殿が目にも鮮やかです。神域のため撮影禁止でしたが、本殿は左甚五郎の彫刻や狩野探幽の壁画で華やかに装飾されていて、関西の日光と呼ばれるのも納得です(さすがに日光東照宮には遠く及びませんが)。境内をひとめぐりして楼門を出ようとすると、楼門越しに和歌浦が一望できました。和歌浦の景観は往時からずいぶん変わっているんでしょうけど、頼宜がこの地に東照宮を創建したのは亡き父にこの景色を見せたかったからだ、とするブラタモリ説にも頷くところのある情景でした。

また、紀州東照宮が頼宜が亡父を祀った神社なら、東照宮から南東に約1km、和歌浦に浮かぶ妹背山と呼ばれる小島には、頼宜が亡母・養珠院を弔うために建てた海禅院の多宝塔が現存しています。多宝塔下の石室の調査では、家康の三十三回忌供養として養珠院が埋納した多数の経石に加えて、養珠院のものと思われる遺髪が発見されているようです。妹背山には頼宜が築造した県内最古の石橋とされる三断橋が続いており、紀州青石(和歌山城の石垣にも用いられている緑色片岩)が敷き詰められています。
三断橋から南西に徒歩2分には東照宮和歌祭の御成道として幕末期に架けられた不老橋があり、九州以外では珍しい江戸期のアーチ型石橋で、和歌浦の名所のひとつになっています。

# 位置的には雑賀城が最寄ですが、紀州徳川家ゆかりの史跡なので和歌山城の周辺観光で投稿します。
 

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宗春

紀伊半島中央突破シリーズその3 和歌山城 (2022/11/22 訪問)

紀伊半島中央突破シリーズその3
地元の友人と一緒に名古屋から紀伊半島の中央を車で突破してきました。

その友人から渡された「ブラタモリ」和歌山の回で予習。大砂丘に立つお城だったんですね。で、他のお城には無い「砂の丸」てのがあります。
連立式天守はRC造の外観復元天守でしたが、国や市の(重要)文化財に指定されている建造物や石垣・水堀等の遺構もあり、見応え十分でした。流石御三家の城。

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宗春

紀伊半島中央突破シリーズその3 和歌山城(前夜) (2022/11/21 訪問)

紀伊半島中央突破シリーズその3
地元の友人と一緒に名古屋から紀伊半島の中央を車で突破してきました。

和歌山市に到着した時には既に暗く、和歌山城はライトアップされていました。宿泊は和歌山城がよく見えるビジネスホテル。部屋はお城を見れる側ではなく残念でしたが、エレベーターホールからは何とか見られました。
ホテルから眺めているだけでは物足りなくなり、折角ライトアップされているので天守まで行ってみる事に。天守や門はライトアップされているとは言え、城内はほの暗く恐怖との闘いでした。まあお城のライトアップってそんなもんですよね。

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概要

羽柴秀吉の命令で弟の秀長が築城を始め、その後、桑山重晴、浅野幸長によって拡張され、さらに徳川家康の十男・頼宣が御三家の格式にふさわしい大城郭へと拡張した。復元された連立式天守群も目を引くが、注目したいのは石垣。豊臣期・浅野期・徳川期で石の種類が異なり、工法も野面積・打込接・切込接へ変化している。

城郭情報

城地種類 梯郭式平山城
築城年代 天正13年(1585)
築城者 豊臣秀長
主要城主 豊臣氏、浅野氏、徳川氏
文化財史跡区分 国重要文化財(岡口門・続塀)、国史跡(和歌山城)、国名勝(西の丸庭園)、市文化財(追廻門)
近年の主な復元・整備 浅野幸長、徳川頼宣
天守の現況・形態 連立式層塔型[3重3階/1605年築/焼失(落雷)]、連立式層塔型[3重3階/1850年再/焼失(空襲)]、連立式層塔型[3重3階/1958年再/RC造外観復元]
主な関連施設 天守、櫓、門、橋、石碑、説明板
主な遺構 曲輪、石垣、横堀(水堀)、門、塀、庭園
住所 和歌山県和歌山市一番丁
問い合わせ先 和歌山城管理事務所
問い合わせ先電話番号 073-435-1044