日本100名城

わかやまじょう

和歌山城

和歌山県和歌山市

別名 : 竹垣城、虎伏城

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和歌山城
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つちなり

和歌山城の耳より情報! (2018/12/01 訪問)

その1
やっぱりお城といえば天守。和歌山城の天守は愛媛の松山城の天守と共通点が多い。
まず、連立式であること。これは天守建築の中で最も防御に優れた作りと言われています。それと何より見た目がカッコイイ!
そして三層三階であること。和歌山城は天守が虎が伏せている様子と似ていることから虎伏城とも呼ばれています。五層並みの天守台に実際には三層の天守を乗せたので、ややずんぐりに見えるようです。
あとはどちらも平山城で、天守は小高い丘の上に立っているので、麓から見上げると天守がより凛々しく映ります。
ただ逆に違いを一つだけ付け加えると、松山城は現存天守で和歌山城は外観復元であること。ここは如何ともしがたい...(*´∇`*)
その2
和歌山城には大手門に当たる門が2つあります。現存する岡口門と一の橋の大手門です。岡口門は豊臣秀長の時代、豊臣家にとって最大の脅威だった徳川家を監視するため門は東に作られています。そして江戸時代御三家の紀伊徳川家の居城となってからは今度は逆に大阪の豊臣家を牽制するために一の橋は北側につくられました。和歌山城は時代の流れに合わせて180度役割が変わった城でもあります。
その3
和歌山城は本丸が天守と分離しています。私の知る限り、他の城にはない、かなりレアな縄張りです。多くの場合は天守のある場所が本丸または天守曲輪とかと呼んだりするのだが、和歌山城のように完全に切り離しているのは極めて珍しい。その天守と本丸の間にある堀のように窪んだ場所は、駆け込んだ敵兵なら即死ですね笑笑 この2つに曲輪を分けることで防御機能は格段に上がったことは間違いないと考えられます。
その4
万葉集などにも登場する和歌山。弟に築城を命じた豊臣秀吉が風情あふれる風土に心打たれ、この地を「若山」から「和歌山」へ変えさせたとの事。でもこれはもしかしたら地元の人の間では常識なのかも...

江戸時代、徳川御三家として将軍を2人(8代吉宗、14代家茂)も輩出した紀州徳川家。その高い格式に相応する和歌山城の存在感。是非一度は登城してみてください^ - ^

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初公開の和歌山城の埋門 (2018/10/20 訪問)

今日は、和歌山城の埋門の初公開ということでやって来ました!
天守群北側に、石垣内に組み込まれた小さな出入口が有ります!
これを「埋門」または「石門」と言います!
有事の際の逃げ口と思われることが多いが、その場に適した大切な役割の持った重要な門で、単なる逃げ口では有りませんでした!
小天守に接続する多門櫓内の台所から外に通じているのが埋門で、門内部は結晶片岩の細かい石で囲まれています!
側壁と底の一部は岩盤をくり抜いて造られており、この構造を見ると、天守群周辺が岩盤であることが分かります!
埋門内部へは台所から降りる石段があるが、暗くて急で段差が一定ではないので、普段は公開されておりません!
今回、初めて公開されたのです!
石段を下って埋門を出ると、かつては水ノ手曲輪に至る小道が有りました!
水ノ手門跡を潜って小道を下ると、水ノ手櫓を守られる「金明水」と呼ばれた井戸跡にぶつかったので有ります!
つまり、この埋門は天守台所と井戸を結ぶ生活通路であったので有ります!
しかし、残念なことに台風でこの通路が遮断されていました!
楠門も埋門構造なのであります!
天守曲輪に入る正面の門で、石段を登って右折れで天守曲輪に入れます!
門内は小さな穴蔵のような空間があって、有事の際には埋めて敵の侵入を防ぐので有ります!
したがって、天守曲輪は籠城を余儀なくされた時には、北側の埋門と南側の二ノ門の扉を閉じて、内側から埋めてしまえば要害に変わり、敵の天守曲輪への侵入を食い止め、多門櫓内を移動して四方から敵を攻撃できる、連立天守の特徴を活かせる構造で有りました!




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徳川御三家紀州55万石の居城 (2018/10/08 訪問)

和歌山城は、紀伊国紀ノ川河口の平野、標高約49mの岡山北端に築かれました!
山頂に登れば、平野から海まで見渡せる景勝の地になっている!
1585年に豊臣秀長が築いた!
関ヶ原の戦いの功績により、1600年に浅野幸長が入り、天守を建てています!
1619年に徳川頼宣が入城、拡張修築して紀伊徳川藩を創設した!
豊臣秀長の時代の城は、旧本丸(現天守曲輪)、旧二の丸(現本丸)、堀之内曲輪(現二の丸・三の丸他)の規模でした!
浅野時代に内堀、外堀、石垣を改修し、城としてほぼ完成しました!
徳川時代の縄張は、山上に本丸、南側中腹に松の丸、山下北方に二の丸、その西側に西の丸、南に南の丸、西下に砂の丸を置き、これを囲んだ総構が有りました!
南の丸に櫓や高石垣を築き、多くの石垣を普請し直しています!
これにより、梯郭式と輪郭式併用の近世型平山城が出来上がった!
山上部分は、西側の天守曲輪と東側の本丸で構成されています!
天守曲輪の広さは約2640mで、天守、小天守、台所、乾櫓、ニの門(楠門)が、多聞で連結されていました!
江戸時代初期の天守は、1846年の落雷で焼失、4年後に再建されています!
この天守も1945年の戦災で焼失、1958年に鉄筋コンクリートの天守が外観復元されたが、二の門のみ木造にて復元された!
また、内郭に造営された三つの御殿が有りました!
本丸御殿は、岡山の頂上と天守曲輪を挟んだ頂部に位置していました!
二の丸にあった二の丸御殿は、宮様御殿とも呼ばれてて大奥も存在していました!
西の丸にあった西の丸御殿は、頼宣の隠居所として築造され、御座之間や御数奇屋、能舞台などからなり、内堀を取り入れた庭園が設けられていました!
和歌山城の門は、大きく櫓門と高麗門に分類されます!
このうち櫓門は、外郭部の正面入口で三の丸の北側入口でもある京橋門や、西側入口である吹上大御門、内郭部の東側入口である岡口門など重要な場所に置かれました!
また高麗門は内郭への正面入口である大手門や、西側入口である追廻門などに建てられています!
この内、現存する門は、岡口門と追廻門、そして復元された大手門で有ります!
江戸時代の絵図には、和歌山城の櫓は15基有ります!
巽櫓や乾櫓、東櫓・西櫓に水の手櫓や岡口御門続櫓、駿河櫓に月見櫓や御太鼓櫓などが有りました!

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こしつぶあんぱん

和歌山城 (2018/01/04 訪問)

石垣の刻印が興味深いです。

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概要

羽柴秀吉の命令で弟の秀長が築城を始め、その後、桑山重晴、浅野幸長によって拡張され、さらに徳川家康の十男・頼宣が御三家の格式にふさわしい大城郭へと拡張した。復元された連立式天守群も目を引くが、注目したいのは石垣。豊臣期・浅野期・徳川期で石の種類が異なり、工法も野面積・打込接・切込接へ変化している。

城郭情報

城地種類 平山城
築城年代 天正13年(1585)、慶長5年(1600)、元和5年(1619)
築城者 羽柴(豊臣)秀長、浅野幸長、徳川頼宣
主要城主 羽柴(豊臣)氏、桑山氏、浅野氏、徳川氏
文化財史跡区分 国指定史跡、国指定名勝
近年の主な復元・整備 平成18年に御橋廊下を復元、表坂入口付近・西の丸西側石垣修理など
天守の現況・形態 層塔型 三重三階 鉄筋コンクリート造(一部木造)
主な関連施設 和歌山市立博物館、和歌山県立博物館、時鐘堂から吉宗生誕碑・寺町など
主な遺構 岡口門、岡口門続土塀、追廻門、西の丸庭園(紅葉渓庭園)、石垣、堀
住所 和歌山県和歌山市一番丁
問い合わせ先 和歌山城管理事務所
問い合わせ先電話番号 073-435-1044