豊臣秀吉公が紀州平定後に弟の秀長公に築城を命じたのが始まりで、藤堂高虎公が普請奉行を務めました。秀長公の郡山移封後は桑山家、浅野家が城主を務めました。1619年徳川家康公の10男、徳川頼宣公が城主となり紀州徳川家が設立され、八代将軍吉宗公、十四代将軍家茂公を輩出しました。天守は昭和10年に国宝に指定されますが、昭和20年7月の空襲により焼失しました。現在の天守は昭和33年市民の要望により鉄筋コンクリートによって再建されたものです。
アクセスは徒歩の場合、JR和歌山駅改札出てけやき大通りを真っ直ぐ進めば迷わず行けます。徒歩で20分ぐらいです。天守の展望は和歌山市内を360度見渡すことができます。場内の動物園は祝日以外は火曜日が休園なので注意が必要です。
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