さわやまじょう

佐和山城

滋賀県彦根市

別名 : 佐保城
旧国名 : 近江

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橋吉

ハイキングコース (2023/11/11 訪問)

大河ドラマで関ヶ原の合戦が行われた前日、佐和山城登城にリベンジ登城しました。
佐和山城跡はハイキングコースにもなっており、その出発点には立派な駐車場が整備されています。また、ここでパンフレットをもらい、ガイドに簡単な説明を受けました。

駐車場向かいにある龍潭寺総門脇にハイキングコースの入口があります。
龍潭寺の山門をくぐり、大洞観音堂の右脇を進むと、登山道の始まりです。

しばらく登り、尾根に出るとすぐに西の丸です。
西の丸は階段状に3つの曲輪がありますが、樹木が生い茂っていてわかりにくいです。

さらに、進むと本丸です。
駐車場から30分ほどでした。
すぐ近くに彦根城が見えます。

ハイキングコースは以上でしたが、帰宅してから調べてみると、他にも二の丸,三の丸,太鼓丸,法華丸などの曲輪があったみたいでなかなか立派な城だったようです。

せっかくなので、龍潭寺へも参拝しました。
井伊家の移封にともない遠州から呼び寄せたようで、浜松の龍潭寺と似た雰囲気があります。

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天守無しがアツい

石田三成の居城 (2023/10/29 訪問)

ボランティアガイドの待機する小屋があり、「この先に天守跡への入り口がある。往復で1時間」と説明を受け、その道を歩きました🚶‍♀️

道は狭く、人1人がやっと通れる山道…反対方向からやって来る客を見かけたら傍に逸れて先に通ってもらうようにしました。ここの標高は230mほど…鳥取城ほど急な坂には感じませんでしたが、ガイドの話していた所要時間どおりの道のりとなりました⛰️

頂上の天守跡にあるのはお地蔵さん…ベンチ…それくらいでした。地蔵に佐和山城到達成功の礼を述べるお祈りをし、時間の許す限りその辺りをウロウロしました

「石垣が2つほど残ってる」とガイドから事前情報として案内されており、その際に受け取った地図を元に行き帰りの道とは反対方向に降りてみると、確かにありました…🪨🪨

彦根城建設の際に、木材石材のほぼ全てがここから持ち去られ、天守跡は原っぱ…かつてここに天守が存在したことを示す唯一の痕跡がこの石垣…

けれどよく考えてみれば、今ほど機械文明の発達してなかった時代…木材石材をどうやって麓まで下ろし彦根城まで運んでいたのでしょうか?アルパカみたいな重い荷物を背負う運び屋がいた?それとも下り坂だから力任せに転がした?(事故になりかねんな😅) 何にせよ今より大変だったのは確かそうです

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トベシュン

近江城巡り (2023/09/30 訪問)

近江城巡り 小谷城址、彦根城、安土城址、観音寺城址、長浜城址、佐和山城址、龍胆寺を巡りました。

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トク

66【関ケ原の26人】(23)石田三成 (石田三成と佐和山城) (2023/07/02 訪問)

(23人目)「石田三成」の続きです。
関ケ原当時の居城、「佐和山城」を訪れてきました。

龍潭寺の入口(写真③④)にチャリを止めここから登城します。入口には三成の銅像がありましました(写真①②)。

この三成はとても知的な顔ですね~! しかもかなりリアルです。今にも動き出し、私に何かを語りかけてきそうな・・・ 墓から発掘された三成の頭蓋骨から再現し作ったそうです(なるほど🤔どうりで)。登る前から何やら緊張してしまいました。さあここから20分程の登山です。(写真⑤:猿に注意?)

1591年31才の時に石田三成はこの佐和山城に城代として入ります(この頃、佐吉から三成と改名)。そして1595年、秀吉から近江19万石を与えられ、正式に城主となった三成は、本格的に佐和山城の築城を開始しました。山頂にはかつて三成の築いた五層の天守がありました。しかし、関ケ原の翌日に小早川秀秋軍などに攻められて焼き払われたようで、そのためかあまり記録が残ってないようです。いったいどんな天守だったのでしょうか?

わずかな資料を元に地元の方々が再現した、こんな天守だったという模型が登山口近くにありました。でもこれ何か変では? なぜか豊臣系でない層塔型のような? 彦根城にちょっと似ているような?・・・私はこの城を背景に佐和山を眺めてみました(写真⑧)。やっぱり何か違和感があるような・・・ 本当はどんな天守があの山の頂上に建っていたのでしょうか? ならばこの写真⑧をもとに、こんな城だったのではないかというイラストを自分で作ってみました(写真⑨)。こんな感じの方が近いのではないでしょうか?

1600年3月、伏見での福島ら武断派による三成襲撃事件の後、家康の仲介で奉行職を辞し、三成は佐和山城へ蟄居します。すると家康は三成と対立する武断派の諸将をうまく取り込み、豊臣体制を崩していく事に成功しました。

蟄居した三成は、ここで大谷吉継らが止めるも聞かず、家康が太閤と約束した事を守っていないといった内容「内府ちがひの条々」をせっせと書き、三奉行を通じて全国の諸大名に送り味方を募ります。そして打倒家康の戦術を着々とここで練っていきました。

そして時を同じくして、直江兼続が「直江状」を家康に突きつけると、怒った家康は会津の上杉討伐へ出陣していきます。この隙に、ついに三成も兵を上げ、伏見城を守るの鳥居元忠を攻めた後、大垣城に向かい家康を迎え撃つ事にします(伏見城の詳細は私の(11人目)鳥居元忠を参照下さい)。

次は、関ケ原の前哨戦となった(大垣城)を訪れます。


【余談】彦根レンタサイクル
彦根駅前の井伊直政の銅像から50mくらい彦根城方向に行ったすぐの交差点に、貸自転車屋がありました(写真⑩)。彦根城や佐和山城への移動にオススメです。予約不要で安く借りる事できました(確か3時間500円くらい)。1日で両方回るならチャリが断然便利です(身分証要)。
 

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城郭情報

分類・構造 連郭式山城
天守構造 型式不明[5重?/1595年頃?/破却(廃城)]
築城主 佐保氏?
築城年 建久年間(1190〜1199)
主な改修者 石田三成
主な城主 佐保氏、小川氏、磯野氏、丹羽氏、石田氏、井伊氏
廃城年 慶長11年(1606)
遺構 曲輪、石垣、土塁、横堀(空堀)
再建造物 石碑、説明板
住所 滋賀県彦根市古沢町
問い合わせ先 彦根市教育委員会文化財課
問い合わせ先電話番号 0749-26-5833