三原城は天文21年(1552)小早川隆景によって因島村上氏ら瀬戸内の勢力を統制する
ために築かれたとされ、天正10年の羽柴秀吉との講和後、さらに強化されたようです。
関ヶ原の合戦後は福島氏の支配下になり、福島氏の失脚後浅野氏の筆頭家老、浅野忠吉が
入り明治まで続いています。城域は市街地化が進み天守台の一部が残っているのですが
本丸南東の船入櫓跡の周辺には石垣が残っているようです。今回は調査が不足していて
実訪問ですが、いずれ訪問してみたいとおもいます。
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2023/10/03 20:09
小早川隆景の築いた海城 (2020/01/05 訪問)
三原城は天文21年(1552)小早川隆景によって因島村上氏ら瀬戸内の勢力を統制する
ために築かれたとされ、天正10年の羽柴秀吉との講和後、さらに強化されたようです。
関ヶ原の合戦後は福島氏の支配下になり、福島氏の失脚後浅野氏の筆頭家老、浅野忠吉が
入り明治まで続いています。城域は市街地化が進み天守台の一部が残っているのですが
本丸南東の船入櫓跡の周辺には石垣が残っているようです。今回は調査が不足していて
実訪問ですが、いずれ訪問してみたいとおもいます。
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2023/04/29 01:42
2023/01/15 21:57
2023/01/05 15:10
「浮城」と呼ばれた備後の名城を訪ねて (2023/01/05 訪問)
広島城天守が6基も入る程の大きな天守台が特徴のお城です。天守台は三原駅の構内と繋がっていて、6時30分から22時の間無料で中に入れます。天守台にはベンチが数台設置されていて木々も多く公園の様な感じです。天守台の隅石は北西部と北東部の積み方が異なっているのがよくわかります。北東部の方が算木積みと呼ばれる新しい技法で積まれています。天守台に寄り添う様に建てられている駅舎の下には本丸の石垣が使用されているのが確認できます。その他三原駅の南側に船入櫓跡、本丸中門跡、東側の和久原川にかかる神明大橋付近の水刎(みずはね)等見所が点在してますが30分もあれば見学できます。
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城地種類 | 梯郭式平城 |
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築城年代 | 永禄10年(1567) |
築城者 | 小早川隆景 |
主要城主 | 小早川氏、福島氏、浅野氏 |
文化財史跡区分 | 国史跡(小早川氏城跡) |
近年の主な復元・整備 | 福島正則 |
天守の現況・形態 | なし |
主な関連施設 | 石碑、説明板 |
主な遺構 | 曲輪、石垣、横堀(水堀)、移築門(順勝寺山門) |
住所 | 広島県三原市館町1-2 |
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問い合わせ先 | 三原歴史民俗資料館 |
問い合わせ先電話番号 | 0848-62-5595 |