地域の避難場所に指定されているようでキレイに整備されているが、空堀等の多少の遺構あり。駐車場もありアクセス・登城も容易。
ちなみに専門書によると玉縄城とは「親子関係」にあるとのこと。双方の修復時に代替的存在だったとか。
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2025/03/15 23:57
2024/11/24 23:21
悪い流れを断ち切るべく… (2024/09/16 訪問)
岡津城で終わると,どうもモヤモヤ感が残りそうなので,小田急江ノ島線に乗り換えて善行駅へ。ここからひたすら西へと向かい,大庭城へと。大庭神社内を抜けるとかなりのショートカットになりました。そのまま引地川を天神橋で渡り,大庭城址公園東口からアクセスしました。かなりマニアックだと思います。しかし,結局西側の正面口にも足を運んでパネルと碑を確認しました。
雨が次第に強く降り出したため,藤沢御殿は次回以降の楽しみに取っておいて,越後へと帰還しました。
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2024/07/28 21:40
2024/06/23 22:33
市民憩いの城址公園 (2024/06/22 訪問)
散歩する人、据え付けの遊具で遊ぶ親子、芝生広場で遊ぶ人たちが多い。桜、バラ、藤など季節の花が楽しめるようだ。
藤沢市関連のHPに、平安時代、付近を領有した大庭氏が築いたものと伝えられ、太田道灌(どうかん)が修築し、15世紀末から16世紀初頭には、道灌の主たる扇谷上杉定正・朝良の父子が相継いで居城したが、永正9(1512)年北条早雲の攻略するところとなり、廃城したものと言われる。この城を北条軍が攻撃し、この付近が戦場になったという記録はないが、城址の右端にある舟地蔵には大庭城にからんだ伝説が伝えられている。掘立柱建物址の表示板に、大庭状は台地上を東西に横断する三本の空堀により、一の郭から四の郭に分かれています。東斜面には腰郭、西斜面には二重の空堀と帯状の腰郭が残っています、と記載あり。
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分類・構造 | 平山城 |
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築城主 | 大庭氏 |
築城年 | 平安時代後期 |
主な改修者 | 太田道灌 |
主な城主 | 大庭氏 |
廃城年 | 永正9年(1512) |
遺構 | 曲輪、土塁、横堀(空堀) |
再建造物 | 石碑、説明板 |
住所 | 神奈川県藤沢市大庭 |
問い合わせ先 | 藤沢市教育委員会教育総務部教育文化センター |
問い合わせ先電話番号 | 0466-81-4777 |