八代城は輪郭式の平城で本丸を中心に南東に二の丸(現、八代市役所)、南西に三の丸(現、八代市民俗伝統芸能伝承館)、北西に北の丸(現、松井神社)、北に出丸が渦巻き状に配置され、それぞれ水堀で区切られていました。
現在は、本丸の石垣と本丸を囲む水堀が残っておりますが、当初、本丸の北西隅に外観5層6階の大天守があり渡り廊下を通して2層2階の小天守と繋がっている、連結式天守がそびえ立っていたとの事です。(この大天守・小天守が建っていた石垣が何とも恰好が良い(*^▽^*)、また、本丸入口の枡形虎口も恰好が良く、この城の見所だと言えます)。
八代城は、熊本を襲った地震により、麦島城が崩壊したため、熊本城主の加藤忠広公が幕府の許可を得て、家臣の加藤正方に命じ、「一国一城令」後に築いた城です。その後、加藤氏の改易により、熊本城主となった細川忠利公の父である、細川忠興公が入城し北の丸を隠居所とし、本丸には四男の立孝を居住させましたが、忠興公が没した後は細川家筆頭家老の松井興長公を城主とし、松井氏が明治維新まで続いています。
続日本100名城のスタンプ設置個所が八代市立博物館未来の森ミュージアムから八代市民俗芸能伝承館に変更されていますので、注意願います。
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