離島にある南北朝時代の城跡、名古屋城築城の石丁場
(2024/06/22 訪問)
知多半島の南先端にある師崎港からフェリーで篠島港へ渡り、篠島内は徒歩で巡りました。
南北朝時代に室賀秋季が築城したと云われます。
南朝の義良親王(後の後村上天皇)が東国へ向かう途中に暴風雨に遭遇して篠島に漂着し、滞在したとされます。
山頂部の広い主郭は城山水神天狗となっており、低いですが北側に土塁状が見られました。
主郭の周囲に郭が見られますが、薮や個人宅になっていて、どこまでが縄張りか分かり辛いです。
大した遺構は見られませんでしたが、愛知県では唯一島に残る城跡ということで(日間賀島に「城ノ山」と記される伝承地があるそうですが)、尾張に住む私としては行くことができて良かったです。
篠島には、加藤清正が名古屋城築城のため、石垣の石を切り出した石丁場(採石地)があります。
海岸の石丁場は、篠島小・中学校の北西側の小山べた・ホラボウズといわれる所から、南西側の南風ヶ崎にかけて矢穴石が多いです。
小山べた・ホラボウズへは、干潮時でも濡れた岩場を渡る必要があり危険ですが、見事な矢穴石があります。
南風ヶ崎では篠島内で最も矢穴の数と列も多い巨石を間近で見ることができ、切出し途中の状態がよく分かり、1番の見所と思います。矢穴の残石もいくつか見られました。
陸上の弁財採石地でも矢穴の数が多い巨石があり、矢穴の残石も見られました。
お寺の庭や街中に再利用残石があるとのことで、狭い道が入り組んだ街で探すのは難しかったですが、いくつか見付かりました。
篠島城に行かれる際は石丁場・残石にも併せて行かれることをお勧めしたいです。
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