しのじまじょう

篠島城

愛知県知多郡


旧国名 : 尾張

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義良親王 (2024/09/19 訪問)

 1338年南朝の義良親王(後村上天皇)が東国へ向かう途中、遠州灘で暴風雨に遭い、篠島に漂着しました。島の東に在った寺「妙見斎」に館を造り、滞在された場所ということです。山の上ということ以外、城跡らしい雰囲気はありません。

 名鉄河和駅から徒歩約5分の場所にある河和港から名鉄海上観光船の定期高速船に乗ると約30分で篠島港へ着きます。港から徒歩15~20分くらいで城址とされる城山水神天狗へ行くことができます。登城口から細い民家の脇の道を通りますが、迷うことなく行くことができました。

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キンヤ

離島にある南北朝時代の城跡、名古屋城築城の石丁場 (2024/06/22 訪問)

知多半島の南先端にある師崎港からフェリーで篠島港へ渡り、篠島内は徒歩で巡りました。

南北朝時代に室賀秋季が築城したと云われます。
南朝の義良親王(後の後村上天皇)が東国へ向かう途中に暴風雨に遭遇して篠島に漂着し、滞在したとされます。
山頂部の広い主郭は城山水神天狗となっており、低いですが北側に土塁状が見られました。
主郭の周囲に郭が見られますが、薮や個人宅になっていて、どこまでが縄張りか分かり辛いです。
大した遺構は見られませんでしたが、愛知県では唯一島に残る城跡ということで(日間賀島に「城ノ山」と記される伝承地があるそうですが)、尾張に住む私としては行くことができて良かったです。

篠島には、加藤清正が名古屋城築城のため、石垣の石を切り出した石丁場(採石地)があります。
海岸の石丁場は、篠島小・中学校の北西側の小山べた・ホラボウズといわれる所から、南西側の南風ヶ崎にかけて矢穴石が多いです。
小山べた・ホラボウズへは、干潮時でも濡れた岩場を渡る必要があり危険ですが、見事な矢穴石があります。
南風ヶ崎では篠島内で最も矢穴の数と列も多い巨石を間近で見ることができ、切出し途中の状態がよく分かり、1番の見所と思います。矢穴の残石もいくつか見られました。
陸上の弁財採石地でも矢穴の数が多い巨石があり、矢穴の残石も見られました。
お寺の庭や街中に再利用残石があるとのことで、狭い道が入り組んだ街で探すのは難しかったですが、いくつか見付かりました。
篠島城に行かれる際は石丁場・残石にも併せて行かれることをお勧めしたいです。

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しんちゃん

南北朝 後村上天皇ゆかりの城。清正の枕石。 (2022/11/12 訪問)

2022に三河湾三島めぐりをして日間賀島、篠島を訪問した際に登城しました。
知多半島の南端 師崎から観光船で出発。比較的メジャーな便なので値段もリーズナブルです。
日間賀島と比べるとマイナーな感は否めないのですが、自然は美しく
なんといっても篠島城があります。
南北朝の時代、後醍醐天皇の皇子の義良親王が東国に向かう途中で漂流し
篠島城を住居として6~7か月滞在したと有ります。
親王はこのあと無事吉野に戻り、のちの後村上天皇になるわけです。
城跡は見たとこ岡地の上部が扁平地となっており、基本単郭のようですが
周囲に帯郭があったかもしれません。
港でレンタサイクルを借りて島めぐりをしながら訪問。
島にはほかにも名古屋城の石材を切り出したといわれる
弁財採石跡地や清正の枕石があります。
ぜひ合わせて訪問していただきたいと思います。

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sakappa

港から篠島城趾は歩いて10~15分ほど。 (2021/09/10 訪問)

知多半島の先っぽの師崎から、船に乗って行ってきました。
行きは5分ほどで篠島に着きます。
主郭みたいなところは、そこそこ広く平らになっています。
土塁もなさそうだったので、柵だけで囲んでいたのかなと。
いくつかの民家の敷地内みたいな道を登っていくのですが、それが、段郭だったところに家を建てたのか、家を建てるから平らにしてみたのかはよく分かりません。
東海道も伊勢湾は海の道ですし、篠島は、位置的に渥美半島の先っぽや志摩にも近く、戦略上にも交通上にも要衝だったことが行くとよく分かります。

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城郭情報

分類・構造 丘城
築城主 室賀秋季
築城年 南北朝時代前期
主な改修者 義良親王(後村上天皇)
主な城主 室賀氏
遺構 曲輪
再建造物 石碑
住所 愛知県知多郡南知多町篠島字東山