西佐久良バス停から歩いてすぐ、城址碑説明板前(35.045303、136.254641)に着きました。
そこから八幡神社に行く途中に登り口があり、設置してあるポストの中に貸出縄張図及び各種資料が入っています。
築城年代は定かではないようですが、「応仁の乱」において東軍に属して活躍した小倉左近将監実澄(實澄)の居城として知られています。
実澄は1505年(永正2年)に没し、その二代後には蒲生定秀の三男実隆(實隆)が養子に入っているが、1564年(永禄7年)実隆は小倉右近太夫との合戦で討死しました。
その後、小倉氏は衰退して蒲生氏に取り込まれたようです。
散策路は整備されており案内表示も充実していますが、山に入ると真っ暗で雨も降ってきました。
土塁と堀切、土橋などを確認することができ、北山腹には馬洗池もあります。
真っ暗の中、傘をさしている状態で撮った写真はブレまくりピンボケ状態です。
なんとか見える状態の写真を投稿しましたが、写りの状態はご容赦ねがいます。
町営の最終バスの時間が迫っているので、攻城時間は25分くらいで撤退しました。
暗くなったので、次の攻城先の後藤館は断念し、本日の城巡りは、ここをラストにしました。
本日の宿泊先に戻る為、西佐久良バス停から日野町営バス➡近江鉄道➡JRを乗り継出で草津駅に向かいました。
本日の攻城徒歩=24159歩、攻城距離=16.91Kmでした。
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