平成20年淀城景観
(2008/07/19 訪問)
京阪電車を使って大阪出張の空き時間に寄りました、当時京阪淀駅は天守台東側の近くまで張り付き、持参のデジカメでは天守台全体が撮れず部分部分に成って居ます。現在は京阪電車の高架事業で約300m程北東に移動され高架駅と綺麗に整備再開発されて居ますので撮影はし易く成って来たのでしょうか?
現在の淀城跡は南東に天守台、本丸の南面と西面の高石垣が残り、石垣に沿って内濠が西面、南面が残って居ます、本丸の北に接して二の丸が本丸と同じくらいの広さであり公園化されて居ます、二の丸側に輿杼神社(ヨド)、本丸側に稲葉神社稲葉正成(春日局の夫)が祀られて居ます。本丸西枡形門跡は石垣が残り本丸の天守台東北側にも櫓台などの石垣が残って居ます、二の丸北側には低い石垣が残っている、三の丸、東馬出曲輪、西の丸は内堀、外堀共に市街化され残って居ません。
淀城跡は淀姫とは関係ありません、淀姫の淀城は淀古城跡に成ります。
淀城の築城は伏見城の廃城後幕府が総石垣の回式縄張で元和9年(1623年)築く、城主は久松松平氏、永井氏、石川氏、戸田松平氏、大給松平氏と続き、享保8年(1723年)稲葉正知が入り以後12代10万2千石の居城として明治を迎える。
淀城へは前々から訪ねたいと思って居り、ネットのCGでよみがえる日本の城、デジィタル大工制作の淀城復元図を良く眺めて居ましたので何時か何時かが14年前の平成20年7月中旬に叶い登城しました。
天守台穴蔵の公開はしていないようでした、デジタル画、古絵図の天守閣の様に連立式天守閣で二層櫓が四隅に多聞櫓か土塀で繋がってる姿を穴蔵後で想像してみたいものです。
また、公園内に淀城跡公園整備パネルが在り、「公園整備と市民のロマンである天守閣の復元を市民とともに推進します」京都市建設局緑政課、と記載されて居ました。 是非淀城の天守閣及び周辺建物群の復元整備を待ちたいものです。
コンパクトデジカメの性能で広角写真が撮れず部分部分の写真ですが投稿致します。
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