好きな城の1つが愛媛県の松山城ですが・・・
ゴールデンウィークは埼玉県吉見町の松山城を訪問してきました。
比企の丘陵地帯の東端部、市野川が丘陵地から関東平野に流れ出るポイント。
西と南はその市野川が天然の堀となる比高約40mの丘を城郭とした松山城。
扇谷上杉氏の川越城と山内上杉氏の鉢形城および平井城のほぼ中間に位置し、関東戦国の攻防戦において重要なポジションだったことでしょう。
主に上田氏が城主を務め、1500年代前半までは扇谷上杉氏、後半は小田原北条氏に従属。
秀吉の小田原征伐の後、間もなくして廃城となりました。
現在は城郭南東部が失われているものの、主要部の遺構は健在。
笹曲輪の東から入城すると、あっという間に本曲輪の下に到着。太鼓曲輪やその南側に行くことはできず、曲輪4方面へ。
見所は曲輪4から本曲輪周囲に掛けての見事な空堀。畝堀の畝のような土橋があり、三ノ曲輪から二ノ曲輪、そして本曲輪へは横矢が掛かっているのも更なる注目点でしょうか。
ヤブ化し廃城感があるものの、曲輪4と三ノ曲輪間の堀は歩くことができ、その大きさを体感可能。
信玄がもぐら攻めを行ったとも伝わる城が、私の城巡りの125城目となりました。
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