むさしまつやまじょう

武蔵松山城

埼玉県比企郡

別名 : 城山
旧国名 : 武蔵

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🏯城好きのメガネ

「武蔵松山城」 (2020/03/24 訪問)

<オススメ>★★★☆☆
武蔵松山城は丘陵先端部に位置し、広大な低湿地に囲まれた天然の要害である。境目の城として後北条氏や武田氏、上杉氏と数度にわたり奪い合いが行われた。1563年に上田友直が後北条氏に寝返り支配下に入る。1590年、小田原征伐では城主・上田憲定は小田原城に詰めていたため城代の上田河内守が約2300名が籠城した。前田利家や上杉景勝率いる北国勢の猛攻により落城した。徳川家康の関東入封後は松平家広(桜井松平家)が城主となり領した。1601年、浜松へ転封となり武蔵松山城は川越藩に組み入れられ、廃城となった。現在、土塁や堀が遺されている。

<アクセス>
東武東上線 東松山駅 川越観光自動車「武蔵丘短期大学前」下車すぐ

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ホトトギス

松山城 (2015/10/12 訪問)

吉見百穴の隣

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オモイカネ

松山城趾碑 (2020/04/19 訪問)

本曲輪の物見櫓跡に立つ石碑(昭和12年)
先年から倒れかかっていましたが、先日訪問時に完全にぶっ倒れていました。

早く復旧して欲しいですね。

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カズサン

戦国攻防戦で有名な関東の名城 (2017/02/19 訪問)

 加須市の騎西城を終えて関東でも有名な武蔵松山城を初探訪しました、車は吉見百穴を目指し隣接の埋蔵文化センターの駐車場に停める。(情報とガイドは何時もの城郭放浪記さん余湖図コレクションさん)
 武蔵松山城は数十年以前から認知して折り訪れる機会が有りませんでした今回周辺を含めて城廻り。
 ルートは駐車場に行く前に見つけた案内看板の有った南側の比高の高い登城口から→笹曲輪→本曲輪→本曲輪石碑→本曲輪と2曲輪堀切→2曲輪→堀切→3曲輪→堀切→4曲輪→北側登城口→北側を東に曲がって根古屋虎口手前で遠望して駐車場へ。
 縦横無尽の堀切個々の曲輪群が無数に繋がり初登城では見切れませんし案内が是非必要です、人の歩いた道を通ったのみ季節的に良い時期でしたが藪下の所草が刈って無い所樹木がもう少し伐採して有ればと思いましたが充分に堪能できました。

 帰りに吉見百穴も見学して来ました土産屋さんにも寄って資料も頂きました。

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城郭情報

分類・構造 梯郭式平山城
築城主 上田友直
築城年 応永6年(1399)
主な改修者 上杉朝定、北条氏康、松平家広
主な城主 上田氏、難波田氏、扇谷上杉氏、太田氏、桜井松平氏
廃城年 慶長6年(1601)
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)
指定文化財 国史跡(比企城館跡群)
再建造物 石碑、説明板
住所 埼玉県比企郡吉見町大字南吉見字城山
問い合わせ先 吉見町教育委員会生涯学習課文化財係
問い合わせ先電話番号 0493-54-9111