【武蔵松山城】
<駐車場他>吉見百穴駐車場
<交通手段>車
<見所>横堀・馬出・曲輪群
<感想>1泊2日埼玉大阪化計画第3弾2日目、ラスト5城目。現地説明板によると松山城の築城は新田義貞説、応永年間初期の上田左衛門尉説、応永23年(1416年)頃の上田上野介などがある。城郭としての体裁を整えたのは太田氏が江戸・川越・岩槻の各城を築いた時期に近いと思われる。城をめぐっての上杉・武田・北条の合戦は有名である。のち豊臣勢に攻められ1590年落城します。歴代の城主上田氏滅亡後は松平家広は松山藩1万石で入城しますが1601年浜松に転封されたため廃城となりました。国史跡の比企城跡群の1つです。
南の登城口から登りました。南の笹曲輪はちょっと藪化して平坦地がちょっと分からなかった。しかし梯郭式の曲輪群は各々横堀で囲んで馬出を取り込んでいます。横堀は繋がっている箇所も多く、堀底道を散策するのも楽しかった。城争奪の激戦地ということで、広い曲輪に大人数を入れて広い堀を防御に戦った様子が浮かびました。
比企城跡群の御城印4城を購入すると「比企城跡群」御城印がもらえます。先週から続いて最後の4城目でGETできました。ちょっと嬉し。これにてこの旅終了。埼玉の百・続百名城と比企城跡群を攻め落としたので翔んで埼玉もだいぶ大阪化してきたかと思うねん。1178㎞無事走破。
<満足度>◆◆◆
<吉見百穴>登城前に城跡隣にある吉見百穴に行きました。吉見百穴は古墳時代後期の横穴墓群の遺跡でここも国の史跡になっています。300円の有料ですが横穴石室が残り一見しても良い所でした。古墳カードなるものももらえます。お土産屋さんもあります。
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