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しんちゃん

出丸 (2025/04/06 訪問)

どもっSちゃんです。今、出丸跡に居ます。向横田城は領家氏の城で南北に長い城い城域の北端の丘陵部に出丸が築かれています。主要部との間の長い尾根上にもいくつかの扁平地があり出丸の下にも堀切と、馬場と呼ばれる扁平地があります。
ところで残っていた清水城、Aさんが攻略しましたか。いや、失礼しました。
城びとだったら3000城すべて自分の城だ!
ぐらいの気持ちでいいと思います。私個人の考えですが、過剰な馴れ合いは要らないと思いますね(気遣いはします)。
和歌山未踏の城、5つのうち2つを攻略されて悔しがるイオさんをちょっと見たかった(4つになっちゃたけど)。
でもそれ以上に涼しい顔をして残り3城を攻略する、カッコいいイオさんを見たかったですね(1つになっちゃた)。
けっこうエゲつない城が残っちゃったけど、
「地元民の責務」と言われたイオさんの決意を、敬意をもって尊重したいと思います。
でも無茶はしないで下さいな、私ごとき外野は無責任にけしかけるだけなので。また要らぬ気遣いだったかもしれません。

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ぴーかる

小倉城 (2025/02/09 訪問)

【小倉城】
<駐車場他>小倉城跡駐車場に駐車しました。
<交通手段>車

<見所>堀切・土塁・曲輪・石垣
<感想>1泊2日埼玉大阪化計画第2弾2日目、5城目。現地で貰えるリーフレットによると小倉城は、後北条氏の重臣遠山氏あるいは上田氏の城であったと伝えられています。国史跡である比企城跡群の1つです。
 上記駐車場の大福寺から登ると腰郭を経てすぐに主郭に到達してしまうので腰郭の石垣や主郭の北側にある北枡形虎口跡から北郭群の堀切を見て主郭に行きました。主郭は広大で2段構造、高い土居で郭全体を囲んでいます。虎口が3カ所あり、北には石積み跡が残ります。東の虎口から3郭へ行く木橋が腐って通行止めになっていたので、南の2郭・4郭・腰郭群の方へ。2郭も広大で郭全体を土居で囲み、最南端に櫓台跡があります。郭内部も発掘調査を行っていますが、郭壁までにはいっておらず、郭壁には少し石垣が表面に出ています。相当埋もれていそうです。2郭の南側にも大堀切があり見応えがあります。最大の見所の3郭石垣が立入禁止になっていて超残念だが、主郭と3郭を繋ぐ主郭の虎口郭の方にも石垣が残り、そこは立入禁止になっていないのでいい石垣が見られます。
 主郭・2郭が広大で多くの郭群が残る大城郭です。国史跡にふわしい見応えある城跡で、また関東にも素晴らしい石垣が残る中世の山城があるのだと驚きました。

<満足度>◆◆◆

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関ケ原古戦場散策(大谷吉継陣跡など) (2025/04/05 訪問)

 玉城に登城した後、近くに大谷吉継の陣跡があり立ち寄りました。関ケ原古戦場は何度か散策していますが、大谷吉継の陣跡は初めてです。近くには大谷吉継と湯淺五助の墓もあり、墓前には新しい花が供えられていました。手を合わせている方もいて大谷吉継の人気を再認識しました。下りてきた所で藤川台の説明板がありました。「大谷隊が最初陣した宮上の丘陵上には空堀が縦横に連なっており、地形をうまく生かした陣の構築跡が見られます」と記載してあります。ネットで調べると大谷吉継陣碑の後方に空堀遺構があったようですが、あまり気にしないで散策していました。

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todo94

2巡目の続100名城スタンプラリー81城目その2~一ノ城戸から山頂へ (2025/03/30 訪問)

一ノ木戸から山頂へは、「対馬お城大使・萩原さちこの金田城まるごと探訪ブック」によると上級者コースで登山の装備と経験者の同行がマストとのことですが、過去に2度の踏破経験があり、此処より厳しい山城も攻略済みの私にとっては、どうってことありません。スニーカー、平服で探訪ブックに50分と記されている一ノ城戸から山頂まで半分の25分で到達することができました。砲台跡の遺構や山頂からの絶景を堪能することができました。帰路はなだらかで歩きやすい軍道経由なので非常に楽です。トータル100分ほどの攻城。2018年に比べて20分も短縮できたのは日ごろの鍛錬の賜物だと思います。

このあと、拝観予約を入れておいた黒瀬観音堂にて日本遺産の銅造阿弥陀如来坐像も拝むことができました。撮影禁止の張り紙がいくつもあったのですが、「許可なく」ではなく許可をしたのでどんどん撮ってくださいと区長さんに勧められてしまって恐縮しきりでした。晴天にも恵まれていうことなしの金田城攻略となりました。

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しんちゃん

攻略しました (2025/04/06 訪問)

ど〜もSちゃんです。向横山城に来ています。今、二郭に居ます。イキって島根県に来たものの地元オヤジに入山を拒否られ力がㇲ〜っと抜けました。素に戻ってます。
道標に従って城址に向かって歩いて行くと、熊のふんらしきものがあります。
第三堀切と第一堀切を経て二郭に到着。北に土塁と堀切があり、南に土塁と虎口があります。西側にもうっすら土塁が残っています。大きな堀切を経て、南に主郭があります。
構造的に見るとニ郭が主要な場所であったのでは、と感じます。熊のふんの2つ目がここにありました。
ここから郷に向かったのかな? なんかガサガサ音がしますが威嚇しながら、レポートをしています。

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にのまる

8泊9日城旅最終日の① (2025/01/26 訪問)

「南蛮BVNGO交流館」の開館時間に合わせて行きました。
450年前の大名庭園の復活!
所謂「史跡公園」とは異なる極上の〈市民の憩いの場〉が完成するだろうと思いました。

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Tokyobay

品川宿から登城 (2025/04/05 訪問)

現在「御殿山通り」と呼ばれている箇所は江戸時代から存在する道。よって、品川宿から登城すればそれなりに江戸時代を感じることが可能。ただし、肝心の御殿山が幕末の台場造営で削りとられたり、明治期の鉄道開通で分断されたり、戦後は森ビルによる再開発があったりと、痕跡が殆どない。そもそも御殿山に城があったか否かもハッキリしないらしい。ちなみに御殿山は江戸時代から桜の名所であるが、現在のは戦後の再開発で植林されたものである。

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玉城 (2025/04/05 訪問)

 関ケ原の戦いで豊臣秀頼が出陣したときのための陣城ではないかという説もある城址です。城びとには未登録の城址で、関ケ原近郊のため松尾山城の周辺観光で投稿しました。関ケ原古戦場の西方、大谷吉継ら西軍武将の陣跡よりさらに奥まった場所に位置しています。登城路は大谷吉継の陣の西側にある林道を北へ進むと左手に城山への案内があります。登城路は整備されていて20分くらいで主郭へ行くことができました。東側の登城路は尾根道になっていて西側は堀切があり防御されています。北と南は腰曲輪があり、その下は急斜面になっていていくつかの竪堀を観ることができます。竪堀は浅くなっていますが、ほぼネットなどで見た縄張り図どおりにありました。
 説明板には南北朝時代に佐竹義春がここに砦を築き、戦国時代には浜六兵衛や杉山内蔵助がいたと書いてありました。杉山内蔵助は竹中氏の家臣と思われます。自分としては現地に行って見て規模などから豊臣秀頼本陣予定地説には違和感を持ちました。この地は北国街道や中山道が走る要衝地であり城は戦国時代に修復され、斎藤氏、織田氏などが街道の監視、抑えとしていたのではないでしょうか。ただ豊臣秀頼本陣予定地説もおもしろいので、今後も経過を注視していきます。
 ところで玉地区には旧軍時代に名古屋陸軍兵器補給廠関ケ原分廠(玉の火薬庫)が置かれていました。玉城の遺構もその範囲に含まれていますが、ほとんど改変がされていなかったようです。ただ「陸軍境」の石柱とコンクリート柱が西尾根まで続いていました。曲輪内にはいくつか穴があり井戸跡かと思いましたが、陸軍の蛸壺壕の跡のようです。
 比較的遺構も残り登城路も整備されていて散策しやすい城址です。

 豊臣秀頼本陣予定説が出る前から気になっていた城址です。花粉症に悩まされる今日この頃ですが、山城のシーズンもそろそろ終わりのため思い切って行って来ました。主要な部分だけであれば夏に来ても見学できると思います。ただ近くには「クマ出没注意」の看板がありました。

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朝田 辰兵衛

ここでリーチをかけました… (2025/04/05 訪問)

都心部では花見で盛り上がっている中,こちらではようやく春が訪れたといえる陽気になりました。動いていれば暖かいですが,じっとしていれば寒いという,ビミョーな空気感。山城攻城には絶好のコンディションです。
高楯城ですが,登城口,主郭以外のパネルや案内板は折れて,いたる場所に転がっていました。もったいないです。
みなさんの書き込みを拝見し,攻城のタイミングを見計らっておりました。GWでは遅いだろうな…と。雪解け後,すぐの晴天を狙わなければ,冬前を狙おうかな…と構えていました。
ここの空堀は見事ですョ。

山形県の城びと登録城,ここでリーチをかけました。

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和歌山県の未投稿城に行く (2025/04/05 訪問)

 上山路小学校の右の道を進んでいきます。いかにもな形の切り立った山が鶴ヶ城です。写真7が登城口です。右手の池が終わったところに掛けてある網板の橋(写真8)を渡って進むと、城域まで道があります。急斜面の山腹に幅30cmほどのところや、とても急な尾根を直登で登っていく個所もありますが、藪漕ぎはありません。写真8のところを直進すると、谷頭を直登→尾根を藪漕ぎになります。
 主郭へ登っていく尾根の途中に、二段の郭があります。さらに数十m登り、主郭下にも帯郭が設けられています。斜面が急なうえに、切岸が高いです。北側に続く尾根に対し、主郭下に二の郭、その先に、岩盤を削って作った堀切があります。
 しんちゃんさんが登城道をレポートしてくれた赤松城や残るもう一つの未投稿城も予定していたのですが、清水城で転んで足首を痛めてしまい、長く歩くことになる両城はあきらめて撤収しました。近畿で残る未投稿は一つになりましたなあ。
 

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にのまる

すごくしつこいのですが9枚目の写真に🐈がいます。 (2025/01/25 訪問)

角牟礼城から戻ってきたその足で行きました。
24時間見学可能なので助かります。

見学の途中でスマホの電池がなくなり、モバイルバッテリーも接触不良(?)であまり写真が撮れませんでしたが、ずっと気にしていたことー、前回薄すぎたスタンプの押し直しができたのスッキリしました😊

ホテルの部屋で充電してから「えび福」さんに食事に出かけました。
今回の九州城めぐり旅、最後の晩餐です。まだ余力はあったのですが、翌々日から雨予報だったので翌日3城まわって終わりにすることにしました。

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あらぎ島(棚田) (2025/04/05 訪問)

 和歌山県の未投稿城、清水城を下調べしていると、棚田のあらぎ島が出てきました。見たかったところです。Sちゃんさんの投稿に、勝手に煽られて、あらぎ島も見たいしと言い訳にして、清水城に行ってきました。
 清水寺、八幡神社の右脇に、コンクリート打ちの道があり、柵を開けて入っていきます。後世のものと思われる平削地を越えると、大きな竪堀が出迎えてくれます。予想外の規模にテンションが上がりすぎて、切岸を無理に降りようとして、転げました↘。主郭の反対側(北側)にも堀切。西の斜面には、大きな横堀、竪堀があります。
 有田川は大きく蛇行して山間に、時に開けた場所を作っています。あらぎ島は、ほぼ360°有田川が回り込んでおり、等高線に沿ってきれいに棚田が作られています。庄屋初代が指揮して開墾したのですと。

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シャンシャン

四国・淡路城巡りの旅⑥ (2025/04/03 訪問)

徳島から橋を渡って淡路島に移動。
洲本城は築90年以上の日本最古のかわいらしい模擬天守が建つ。
でもこの模擬天守はあくまで飾り。縄張り全域に張り巡らされた高石垣や全国でも珍しい登り石垣など多くの見どころがある。
島にこれだけの規模の城を築いたということは、大阪湾や和歌山湾を見張る重要拠点だったと想像できる。山の上から見える景色も絶景!
山の麓にある博物館回りにもきれいに石垣が残されている。近くに足湯があるので、そこに浸かると足の疲れも癒される(^^)

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シャンシャン

四国・淡路城巡りの旅⑤ (2025/04/03 訪問)

四国・淡路城巡りの旅2日目。
まずは阿波九城のひとつ撫養城(別名:岡崎城)へ。
完全な模擬天守で中は災害時の備蓄倉庫になっているらしく中には入れない。
でもすぐ横の神社の奥に元々の石垣が残されていて、こっちの方が見どころ。
山の上にあるので眼下の景色はとてもいい。

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小城小次郎

国境を睨む段丘上の軍事要塞 (2024/06/22 訪問)

青梅市の今井城の方が若干知名度が高い上によく似ているので写真だけだと判別が難しい。隣の赤沢城ともども信濃川の河岸段丘上にあって信越国境最前線にあるが、国境を睨む上では赤沢城以上に軍事的色彩が強いお城なのだろう。

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シャンシャン

四国・淡路城巡りの旅④ (2025/04/02 訪問)

ずっと来たかった徳島城。
広い敷地内に多くの石垣が残されており、野面積みや打ち込み接ぎ、一部切り込み接ぎもあり多くの種類を見ることができる。
全国でも珍しいという舌石も残されている。
本丸に至る高石垣も見る者を圧倒する迫力がある!
博物館の敷地にある表御殿庭園もきれいに整備されていて見どころのひとつ。

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城とマスク

桜とお城 (2025/04/04 訪問)

宇都宮でアントニオ猪木展が開催されているので少し足を伸ばし唐沢山城まで来てみました。以前から行きたかったのですがやっと来れました。桜は少し散り始めましたが、富士山はしっかり見れました。

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しんちゃん

超難攻不落 無理です (2025/04/05 訪問)

登城道の途中の民家の前を通りかかったら柴犬にすごく吠えられて、出てきた家主にこの山は個人の山なので入っちゃだめだよと言われました。誰か家主と仲良くなって主郭まで行けた人が現れたら、この記事は削除します。
最近、山火事も多いし不審がられるのも仕方ない、山城にもいきにくくなってきたなあ。
さあ松江城で桜でも見てこよう。
その前に、近くに有る城山公園も砦跡のようで、狭い主郭に土塁と堀切が付いています。主郭周囲には地元小学校の生徒達による作品が並べられています。案内板には、この城山は尼子十砦の一つ高尾城の見張所(支城)として重要な地点であったとして記載があります。あっ 馬乗り馬場 の写真撮り忘れた。

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しんちゃん

高守山城ダイレクト

現在尾根上の南東の郭と分岐の箇所にいる。正直、この城は危なそうなのでパスしようかと思ったが、人任せにするのも性に合わんので登ってみることに。
自分が登らなくても、ぴーかるさんや他のツワモノが来て、さらっと攻略しそうな気がするが。ヤブもきつそうなので最短、かつ安全なルートを探りながら攻略。いきなり、熊の巣穴のような大きな穴があった。大丈夫かこの山。未踏の山城にはたいがい熊の痕跡が有る。
これから主要部だが下側の堀切は石で補強してあるようにも見える。主郭が楽しみだ。
主要部は案外地味で二段目の郭には土塁がついていて周辺には浅いが堀切のようなものも有る。二段目の郭を経て、三段目が主郭のようだ。案内板は無いが、高森山の標識が有る。北側の郭を見て引き返すことに。
さっきの堀切の周囲の石は岩山を削ったさいに出たものか?

縄張りを見ると一段目の郭の下にも二つ郭が有るようだ。

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しんちゃん

訪問しやすいルートを発見。 (2005/04/05 訪問)

某サイトに記載のあった、無線中継施設からヤブを突っ切っていくと難渋するが、その南の入口から入って行くと簡単に入ることが出来た。
良かった、これで誰にでもオススメできる城になった、と思いきや北側の比高の低いところに熊のふんがいっぱいあった。結局城攻めは危ないレジャーで、どこまで行っても自己責任ということか。そういえば北側の大堀切を縦断していた土橋は後世のものだろうか。

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