みんなの投稿

検索結果・・・「」を含む投稿

赤い城

アートの島 (2025/08/14 訪問)

今年開催されている瀬戸内国際芸術祭の夏会期で直島へ。
予約が必要な地下美術館などはすでに満席で入れず、人気の高さを思い知らされます。
それでも草間彌生さんの赤、黃のカボチャや直島新美術館などを見学できました。

相方と一緒だったので少しだけ時間をもらい直島城へ行きました。
todo94さんの「近々赤い城さんが・・・」のレポートからちょっと時間が経過しましたが島のハードルは高く、漸く登城できました。

少しのぼると護王神社、ここにもアート作品がありました。
神社の裏手には綺麗な堀切や竪堀も見られます。
さらに奥の鉄塔が建つ曲輪が主郭のようです。
城主の高原氏は秀吉の備中高松城の戦いの際に水先案内を担っています。

で、ここのアート作品ですが護王神社の階段がクリスタル風(todo94さんの写真4枚目参照)になっていますがそれが地下に繋がっています。
写真8枚目を参照してください。

現在瀬戸芸の秋会期開催中です。
11月初めの3連休までなので興味のある方はぜひ瀬戸内へ。

【見どころ】
 ・護王神社背後の堀切と竪堀

ところで朝田さん、ニアミスでしたか!
あの日は少しバテ気味だったので知立を後にしたのが15時頃でした。
惜しい!!

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

天守無しがアツい

外国人だらけ (2025/10/07 訪問)

この城は大阪城公園として広大な面積を誇る
なので公園内をバスが走行できるほど🚌

幾つかの門を潜り天守へ🏯
8階から構成されていて…3階と4階は撮影禁止
なので今回はそんなに写真撮れなかった

4階には黄金の茶室…薄暗いけど荘厳な彩色
画像を紹介できないのが惜しいくらい

6階では秀吉の生涯が…映像を通じて紹介されてる…個人的に1番目を引くのが…やっぱ三条河原の秀次妻子処刑👩👦👧⚔️💀

各階…外国人だらけ…欧米人…中国人…インド人…外が暑いので肌の露出が多めな人…日本人より多かったな…多分

最上階…8階の展望台から…なんか喋りながら記念写真撮ってる中国人たち…彼らは大阪城の歴史および秀吉の生涯についてどの程度理解してるのだろうか?

そんな事はどうでもよく…展示品はざっと見ればいいから…とにかく観光地で自撮りして…インスタ映えしたい🤳😁というノリなのだろうか?🇨🇳

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんちゃん

長篠・設楽ヶ原の戦い 岡崎信康本陣地(松尾山陣所) (2025/09/28 訪問)

徳川家康本陣の後方やや北寄りの丘陵地が徳川家康の嫡子・岡崎信康の本陣があった場所とされています。丘陵の頂部には松尾神社が祀られ背後の森の中に堀切らしきものがありました。これがいつの時代のものかは不明ですが、合戦の頃の遺構であれば正直嬉しい。
山城の遺構なんていつの物か正直わかりませんからね。
徳川家康の陣の背後、つまり西側には一重柵が築かれていたとされています。馬防柵を迂回して来た敵を防ぐためにも見えますが、一重柵、大宮川の向こうには信康の陣所があります。
なんとなく信康を守っているようにも見えますね。とはいえ、背後に控える信康・信忠・信雄のジュニア武将達も敵が別働隊を動かして背後をついて来た時の守りも担っていると思います。後方とはいえ戦場なので完全に安全な場所は無いですね。羽柴秀吉も信長の陣の北東を守備しています。
信長としては、いろいろ便利に使える秀吉をこんな勝率の高い合戦で失いたくなかったのではないでしょうか。後に秀吉が小田原征伐の際に石田三成に忍城の水攻めを命じたのも有能な官僚をつまらない合戦で失いたくなかったからなのかもしれません。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんちゃん

長篠・設楽ヶ原の戦い 織田信忠本陣地・野辺神社 (2025/09/28 訪問)

設楽ヶ原古戦場の西端・織田信雄本陣跡より北東に程なく行ったところに織田信忠本陣跡である野辺神社があります。つまりまだ織田方の陣の端っこの方になります。当時の信忠はまだ19歳の若武者でした。
信忠は「代々をへん 松風さゆる 宮居哉」という句を野辺神社の羽目板に書き必勝を期したとされています。7年後に設楽貞道は社殿を再建し、これを棟板にしたとのこと。ちなみにその内容を記した「設楽原を守る会」の設置した手描きっぽい案内板は見当たらなかったので「東三河を歩こう」さんに掲載されている写真を参考に書かせていただいています。
私もここに来るのは久しぶりなので、以前訪問した時には見ているかも知れません。
設楽ヶ原古戦場周辺も以前とあまり変わっていないようで、新しい案内板の設置など細部に変化はあります。長篠周辺では新しい道路やバイパスが次々と造られて、急速に開発が進んでいます。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんちゃん

日出(ひい)の石門 (2022/10/02 訪問)

愛知県田原市の先端旧渥美町の太平洋側の海岸に「日出の石門」があります。堆積岩の一種であるチャートの塊で、約二億年前に海底に沈んだ放散虫のカラなどの珪酸分が堆積し太平洋プレーとの移動と共に現在の位地に運ばれて来たとされています。
大河ドラマ「どうする家康」のロケにも使われており、松潤演じる家康が「桶狭間の戦い」の激しさに怖れをいだき、逃亡した所を追ってきた本田忠勝に叱責される印象的なシーンに出てきました(ダメダメ)。
このとき山田裕貴さん演じる忠勝が家康の首根っこ掴んで持ち上げるシーンが有りましたが、松潤さんは鎧の重さで海水で溺れかかっていたので、ヤバいなと思ってアドリブでひきあげた・・らしいです。たしかに、顔がつかる程度の海水で溺れたら洒落にならんですね。

実は田原には旧大戦時の遺構も結構多いです。太平洋に接しているし、内湾もあるので、幕末には烽火台や台場も多数設置されていました。本日のニュースで愛知県の戦争遺稿を紹介していましたが、たいがい訪問しています。
「蓼(たで)食う虫も好き好き」とは言いますが、けっこうそういうのも好きなんですよ。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

朝田 辰兵衛

身延線を甲府駅から…🚊 (2025/09/13 訪問)

甲府駅から身延線で久那土駅に降り立ちました。ここからは公共交通機関には頼れません。菅沼城までは,久那土駅から徒歩約60分。これ以上時間をかけてしまうと,イイ電車のタイミングを逃してしまいます…😱
中富中学校の校舎は残っていました。校庭は荒れ果てていましたので,撮影しておりません。天候も悪かったので,眺望も…。ここだけ時が止まったかのようでした。

8月9日,どこかで赤い城さんとすれ違っていないかな…?
知立の東横インにチェックイン日でした。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

柴犬さくら

根室半島チャシ (2024/09/13 訪問)

ようやく念願がかないました。

+ 続きを読む

WEST

北ノ庄城探訪 (2025/09/30 訪問)

北ノ庄城を訪問しました。このお城は戦国時代、豊臣秀吉に攻められお市の方と自害した柴田勝家公の居城です。
福井城から徒歩で10分程度で行くことができます。柴田神社が鎮座していますので、鳥居が目印です。
現在は北の庄城址公園・柴田公園として整備され、また隣接して資料館もあります。
ただ、残念ながら北ノ庄城の詳細な縄張が不明であり、一部の遺構しか分かっていないようです。今後の調査に期待ですね。

+ 続きを読む

WEST

福井城探訪 (2025/09/30 訪問)

福井城を訪問しました。福井駅からお城入口の御本城橋まで徒歩で約5分で着けます。このお城は街中のお城で、訪問し易いです。
最初に内堀と石垣の立派さに圧倒されますね。さすがに、結城秀康公が天下普請で築いたお城です。
本丸内部は県庁があり、時代は異なりますが、街の中心地の役割を持っているようです。
その他の見どころは、再建された御廊下橋と山里口御門、それに天守跡です。特に天守台は切込接の石垣で、天守が残っていれば荘厳でしょう。
夜間は内堀の石垣がライトアップされますので、散歩がてら寄るのも良いと思います。
なお、福井城は現在、坤櫓復元プロジェクトが実施されており、訪問時お堀の一部の水抜きがされていました。水面下の石垣が見えるのはこの時期だけです。
福井城跡内には建物の遺構はありませんが、自動車で10分程度の瑞源寺には本丸御殿の遺構があります。都合がつけば、立ち寄ってみるのも良いと思います。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

WEST

丸岡城探訪 (2025/09/30 訪問)

丸岡城を訪問しました。ネット情報で、天守の大規模修理が2025年12月から2年間の予定で行われるとのことでしたので、急遽訪問を決めました。
アクセスは北陸新幹線福井駅を降り、越前バスにて向かいました。バス所要時間は約50分です。
丸岡城は地震倒壊を乗り越えて修復再建された現存天守です。その外観は望楼型の古い建築形式で、非常に価値があるお城でもあります。
見どころの野面済みの天守石垣、建物は石瓦の屋根で壁には石落、狭間を見ることができます。建物内部の部材を見ると築城後約400年の重みを感じます。
特に昇降する階段が非常に急であり、注意が必要です。
私事ですが、これで現存12天守をすべて訪問できました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

赤い城

児童公園 (2025/08/09 訪問)

名鉄知立駅から徒歩7分。
西町児童遊園が古城跡です。
立派な石碑と江戸時代の様子を伝える屏風の絵を描いた案内板が立っています。
周囲より少し高くなっていますが遺構は無さそうです。
桶狭間の戦いで今川方の城として機能していました。

江戸時代には将軍が上洛する際の宿泊所となり、旧東海道が直ぐ側を通ります。
旧東海道は公園の北東でクランクしており城の匂いもします。
この道を少し北に曲がり進むと知立神社があります。
先述の説明板にも描かれていました。
ここには於万の方の石碑があります。
結城秀康の母、於万の方の実家でもあり、東海道三社の一つにも数えられる立派な神社でした。

出張の後延泊しての城めぐりはここまで。
猛暑でバテたのとスマホの充電も怪しくなったので名駅まで戻ります。
新幹線までの時間はビールでクールダウンしたことは言うまでもありません🍻

【見どころ】
 ・側を通る旧東海道のクランク
 ・知立神社

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんちゃん

長篠・設楽ヶ原の戦い 北畠信雄本陣地(新御堂山陣所) 原隼人昌胤の墓 (2025/09/28 訪問)

織田信長の旗本陣のある平井神社より東にほどなく行くと織田信長の次男・信雄の本陣が有った八幡神社があります。八幡神社に矢部公民館が隣接しているので、車はここに駐車させていただくと良いでしょう。信雄の陣は合戦時には最後尾にあたります。この時、信雄はまだ18歳なので合戦の様をここで良く見ておくようにとのことでしょうか。北東側すぐ近くに織田信長の嫡子・信忠の陣も有ります。織田信長の戦地本陣は信忠の陣の東北東800mの所にあり、設楽原PA(下り)からすぐ近くです。武田軍の相手は徳川家康や家臣の佐久間達に任せている感じですね。大変ですな家康さん。

設楽原歴史資料館の南には武田二十四将の一人、原昌胤の墓があります。原氏は美濃土岐氏の庶流とされています。上野国では土屋昌続らと共に上野衆の取次を行い人脈も有ったようです。二十四将の中では地味なイメージがありますが、要所要所で活躍してるようです。
設楽ヶ原の戦いで討死しています。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんちゃん

新城の彼岸花 土屋昌続の墓 (2025/09/28 訪問)

長篠・設楽ヶ原の古戦場に向かう途中、新城城の近くの車道沿いに彼岸花の群生地が有りました。古戦場の周りには武田軍の名だたる武将の墓や供養塔がたくさんあるのですが、各所に彼岸花が咲いており供養に来ているような気がしてきます。
土屋昌続(次)の墓は設楽原資料館のやや北東にあります。
昌続は武田二十四将の一人で、重臣の中では最も若い部類に入ります。「片手千人切り」で有名な土屋惣蔵昌恒の兄に当たり、初陣は激戦で知られる第四次川中島の戦いとされています。また元亀3年(1573)の三方ヶ原の戦いでは徳川方の鳥居忠広と一騎打ちを行い、忠広を討ち取っています。忠広は後に徳川十六神将と呼ばれるようになり、十六神将と二十四将の一騎打ちが行われた稀有な例になると思います。数々の戦で武功を挙げてきた昌続ですが設楽ヶ原の戦いでは真田信綱、真田昌幸とともに天王山に陣を敷き、馬防柵の二段目までを突破したが火縄銃の一斉射撃を受け討死したとされます。誰に討たれたのかすら分からぬ非業の最期と言えるのではないでしょうか。昌続の墓の脇には従士の温井左近の塚があります。良く見ると木の影から頭だけ出ています。
温井は昌続が討たれた後、すかさず首を斬り取り、信州まで逃れたところで首を埋め、殉死したとされています。壮絶ですな。

さらに北上すると堀 無手右衛門(むずえもん)の墓があります。無手右衛門は勝頼の叔父・一条信龍の家臣で長篠・設楽ヶ原の戦いでは織田・徳川連合軍相手に殿を務め、討死したとされていますが、この時点では生存していたとする説もあるようです。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんちゃん

武田軍ストッパー   (2025/09/28 訪問)

吉田城の投稿です。自宅から一番近い続百名城でたまに散歩に行っています。地味な印象の城址ですが実は三河侵攻を狙う武田軍は一度もこの城を敗れていないんですね。元亀2年(1571)武田信玄は徳川家康との密約を反故にして大井川を越え、12000の兵を以て遠江と三河に兵を進めました。信玄は足助城や長篠城などを落としながら吉田城へ進軍。家康は吉田城を守る酒井忠次から知らせを受けただちに浜松城から吉田城へ向かいました。二連木城で忠次が敵を引きつけている間に、家康は吉田城に入ることが出来ましたが、この時に多大な損害を出したとされています。家康と忠次が吉田城に籠って守りを固めたので、信玄も無理強いはせずに甲斐に引き返しました。
この時、忠次と武田方がどのような交渉をしたのかは知れませんが、この時期の忠次の活躍は目覚ましいものがあります。この翌年、信玄は3万(諸説あり)もの大軍を率いて青崩峠から侵攻し、三方ヶ原の戦いに至ります。
長篠・設楽ヶ原の合戦の前にも武田勝頼の軍勢が吉田城まで攻め込んで来ています。その時、家康が吉田城に引き籠っているので勝頼は長篠城攻めに引き返しています。

※二連木城の投稿の内容を一部修正しました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

江戸城天守を再建する会オンライン講演会「天守台の石垣について」~なぜ名古屋城木造天守再建計画は進まないのか~ (2025/10/08 訪問)

10月8日(水)19:00~20:30 講師:三浦正幸広島大学名誉教授 参加自由(参加費無料:申込不要)
視聴用URL:https://us02web.zoom.us/j/87602396159 資料:https://5.gigafile.nu/1012-c3780cb1d367ebcb13d27e5dd5e9fe80d
2016年に策定された名古屋城天守閣木造再建計画は、関係者間で現存石垣の上に木造天守を再建することに疑念が提起され、
現在に至っても、合意が成立せず、計画は停滞しています。江戸城天守再建を考えるに当たっても、これは避けて通ることの
できない重要課題となります。当会顧問三浦正幸名誉教授が、新たな視点から、解決策を提言します。

+ 続きを読む

tsuchinari

海城萩城 (2025/10/06 訪問)

萩城本丸から北側の海岸線を歩くと、
強固な石垣に目を奪われる。
比較的新しい石垣に日本海の波が直接打ち寄せる様子を見ていると、萩城が海城であることに気づかされる。

城として存在していた時代から現在も変わらず、
このように城自体が海に剥き出しになっている城は
私の知る限り此処萩城だけではないかと思う。

とても壮観に立つ石垣と、勢いよく打ち寄せる日本海の荒波と、この日の真っ青な空のコラボレーションがとても美しく、心が癒された。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

左大弁

忍城 (2025/10/07 訪問)

行田市郷土博物館と三階隅櫓セットで約45分。
その後、本丸内ぐるっと約15分の計約1時間で攻城完了。
現代では沼地がなくなってしまい、忍城の難攻不落さが感じにくくなっていました…

+ 続きを読む

駿府城

駿府城跡天守台発掘調査現場および「発掘情報館きゃっしる」の開館日変更・閉館のお知らせ

駿府城跡天守台発掘調査現場および「発掘情報館きゃっしる」は新たな展示施設整備工事に伴い、下記の通り開館日を変更し、閉館いたします。

・2025年10月1日(水)より:平日のみの開館(土日祝は休館)
・2025年12月26日(金):公開終了・閉館
なお、開館時間(9:00~16:30)の変更はありません。

現在、駿府城をより体感いただけるよう、デジタル技術を活用した天守のVR(仮想現実)映像を制作中です。2026年にはプレ公開を予定し、2027年4月の新施設オープンにあわせて本格公開を目指しております。
長きにわたりご来館いただきました皆さんに心より感謝申し上げますとともに、新たに生まれかわる展示施設にぜひご期待ください。

+ 続きを読む

駿府城

「駿府城夏まつり」に出店しました!

9月20日(土)・21日(日)に駿府城公園で開催された「駿府城夏まつり」に皆さん足を運ばれたでしょうか?
「駿府城夏まつり」は、学生と地元企業が協力して作り上げる、音楽ステージや飲食ブースなど、多彩な企画が魅力のイベントです。会場は多くの来場者でにぎわい、夏の終わりを華やかに盛り上げました。
駿府城公園エリア活性化連絡会では、駿府城にまつわるDVDの上映やフォトスポットの設置、限定の御城印やビール販売を行いました。
20日は不安定な天候に見舞われ、21日は猛暑となりましたが、多くの方々にブースにお立ち寄りいただき、静岡の歴史とまちの魅力にふれていただく機会となりました。

静岡市には、徳川家康公ゆかりの史跡をはじめ、美味しいグルメや文化に触れられるスポットが数多くあります。市街地からのアクセスも良い駿府城公園を拠点に、歴史探訪や散策を楽しんでみてはいかがでしょうか?ぜひ静岡市へ、そして駿府城跡天守台発掘調査現場へお越しいただき、静岡ならではの歴史の奥深さを体感してください。

+ 続きを読む

左大弁

広い城 (2025/10/07 訪問)

先ずは資料館で約20分お勉強してから攻城。
城内は広く、本曲輪が道路でぶった切られる程!
ただ説明文があまり無いので、見て周るだけなら約40分あれば周れそうです。
ここも堀が深く、城域が広いので、攻城戦は大変だっただろうと思いました!

+ 続きを読む

ページ15