福島正則は元和5年(1619)広島55万石から高井野4万5千石に移封され、寛永元年(1624)7月13日、堀之内館で64歳で亡くなりました。
64歳と言うのは、おそらく「数え」で、死没は現在の暦だと8月26日になります。
豊臣家の滅亡後、すぐに家康公が亡くなり、少し自暴自棄になっていた気がします。場府から見ても危険な人物と思われていたのではないでしょうか。豊臣家と懇意だったり、いさかいを起こした徳川の旗本の首をしつこく要求したり・・はたから見てもヤバイよね。
館跡は通称「福島正則屋敷跡」で通っています。フルネームで登録されているのはここぐらいじゃ、ないかしら。
かつては103m×70mの郭の周囲に土塁や空堀を巡らせていたようですが、現在残されている石垣は高井寺の改修によるものらしいです。
他にも、小布施町の岩松院の「霊廟」と高山村の「荼毘所跡」も訪れています。ここでも幕府の検死を待たずに遺体を火葬したとして福島家は改易になってしまっています。まるで遺志の疎通が取れていませんが、幕府もかなり陰湿ですね。
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