かつぬまじょう

勝沼城

東京都青梅市

別名 : 師岡城
旧国名 : 武蔵

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チェブ

おいでよ東京の端っこ「羽村市郷土博物館」の巻。 (2025/11/09 訪問)

最近分かった事がありまして、私の住む東京の端っこ羽村市には、お城がありません。
間坂と言う地名があり、あきる野市の「戸倉城」小宮氏と、青梅市の「勝沼城」三田氏との境界線なんだとか。
際っ際なので、ないようです。

お話を『城びと』に戻し、『日本城郭協会大賞』の記事を読み地元のボランティアさんの活躍が羨ましく、我が街にも歴史継承している団体がないか調べ、観光協会が主催する講座に参加させてもらいました。
お城目当てで参加しましたが、鉄道やお蚕、神社のお話がメインでした。でも、『東京の端っこも捨てたもんじゃないな』が感想で、観光協会お薦めの『羽村市郷土博物館』を訪れました。

これが、とても面白くて投稿させていただきます。
すでに脱線していますが、大丈夫でしょうか?

『羽村市郷土博物館』は無料。駐車場もあります。
館内は羽村市の歴史です。写真を写して良いか確認しましたら自分用でお願いします。とのことでした。
羽村市は江戸時代、江戸の町に水を流す事業を仰せつかってましたので、関わりが分かります。農村から近代化を辿りました。
外には、赤門が移築してあります。
徳川幕府に仕えていた眼科医の鈴木家の門を、『大菩薩峠』の作家、中里介山さんが譲り受け自慢していたそうです。(自慢て、、、)
それから旧下田家住宅でボランティアの方とお話ができ、江戸時代末期の建物の話しを伺いました。
写真⑦はよく見ると、『水』と彫られてます。屋根の端は銀杏の形にして、どちらも火事にならない、おまじないなんだとか。囲炉裏の飾りマスは目を開けて、火の番をする等など江戸時代の粋な感じが伝わります。
神棚のダルマは煤だらけ。囲炉裏の煤でいい味が出てます。
それから、多摩川の堰に行き『玉川兄弟』をパチリ。
この方々、玉川上水に貢献した兄弟です。
が、もしかしたら羽村市の人ではないかも、と新たな資料が出てきたそうです。

徳川家康さんが江戸の街を作りました。
でも、たくさんの人々の知恵と努力で、江戸の街が彩られたのだと思います。
これからも先人たちの貢献を、いろんな町で出会えたらいいなと、笑顔で帰路につきました。

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しんちゃん

三田氏がミタ (2015/12/29 訪問)

勝沼城は三田氏の居城でしたが、北条氏によって三田氏が滅ぼされてからは北条氏照の管轄となり、師岡将景が置かれました。豊臣秀吉の小田原攻めの後は廃城になったと考えられています。この小田原攻めですが、気分によって小田原征伐と使い分けています。
また本丸 / 主郭 / 本曲輪などの区別も、案内板や周囲にどのように呼称されているかによって使い分けています。
主郭だと二郭・三郭・郭ですが本丸 / 本曲輪だと二の丸・三の丸・曲輪と書くことが多いです。畝状竪堀などにしてもそうだけど、そこはガチガチに決まりを作るより、ある程度自由で良いのではないでしょうか?
勝沼城は 主郭の他にニ郭・三郭があり、他にも郭がありますが、堀切の写真が見当たりません。これは捲土重来したいところです。

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朝田 辰兵衛

光明寺墓地裏から廻り込めます↻ (2023/11/04 訪問)

光明寺の西側から墓地裏に廻り込んで行けます。ただ,光明寺にはパネルが設置してありますので見落とし注意です。ちょっと,境内を突っ切って,本堂の裏から…っていうのは気が引けます。
主郭を取り囲むように横堀が走っており,主郭からは眺望が開けています。光明寺のパネルだけで終わってしまってはもったいないです。

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T-Shionoya

北条の支城と聞いて勝沼城へ (2023/02/12 訪問)

小田原北条氏の手が加えられていると聞き、急遽2月に訪ねた東京都青梅市の勝沼城。

多摩川の山地部と平野部の境界エリア青梅。
その平地の北側、霞川を渡った先の比高20~30mの丘に、自然の谷を利用してつくられた城。堀は小規模だが、最近訪ねた城の中では小机城に似たタイプ。
江戸初期には石灰や材木の運搬および江戸と甲斐を結ぶ青梅街道青梅宿が整備されており、多摩川を含めてそれ以前から交通の拠点だったでしょうか。

築城時期や築城者は不明だが、この多摩川上流域(三田谷)を勢力としていた三田氏の居城。
1563年、北条氏照に滅ぼされると、その後は氏照家臣の師岡将景が修築したと伝わる別名師岡城。

現在は、三の丸が寺の墓地となっているものの、本丸と二の丸はスギやヒノキの林の中に遊歩道が通る土の城跡。

訪問時は光明寺から入城し、本丸を起点に二の丸と三の丸へ。
本丸には土塁が残り、その一部は櫓台のようにも見えるもの。
丘陵本体と尾根続きの二の丸北虎口は見どころの1つで、二の丸の突出部から土橋に横矢が掛かる構造。
三の丸内は立入禁止と書かれていたが、その南側の横堀と馬出は明瞭。

滞在時間は約2時間半。
もうすっかり暑くなりましたが、まだ少々の残雪が見られた勝沼城が私の城郭巡りの147城目でした。

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城郭情報

分類・構造 平山城
築城主 三田氏
築城年 鎌倉時代後期
主な城主 三田氏
廃城年 永禄6年(1563)
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)
指定文化財 都史跡(勝沼城跡)
再建造物 説明板
住所 東京都青梅市東青梅6-92、93他
問い合わせ先 青梅市郷土博物館
問い合わせ先電話番号 0428-23-6859