かつぬまじょう

勝沼城

東京都青梅市

別名 : 師岡城
旧国名 : 武蔵

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一郭の土塁
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昌官忠

のんびりホリデーSUICAパス八高線&相模線8城巡り③:勝沼城 (2022/04/30 訪問)

6月の九州遠征前の、なまった足腰(コロナ過で10か月攻城していません)のリハビリを兼ねた攻城(PART3)です。
のんびりホリデーSUICAパス八高線&相模線8城巡り3城目は勝沼城です。
藤橋城より徒歩35~36分くらいで光明寺入口(35.794323、139.273902)に着きました。

勝沼城は関東管領・山内上杉氏の重臣、三田氏の居城です。
山内上杉氏の勢力が衰退し、北条氏の勢力が関東に伸びてくると三田政定は北条氏康に従属します。
しかし1561年(永禄4年)に上杉政虎(謙信)が上杉憲政を奉じて関東へ侵攻してくると、三田綱秀は諸豪族とともに上杉氏に付き従いました。
謙信が越後へ引き上げると、ほかの豪族は再び北条氏に臣従しましたが、三田氏は辛垣城へ居城を移しながらも北条氏に抵抗しつづけ、1561年(永禄4年)から1563年(永禄6年)頃に、北条氏によって攻め滅ぼされました。
その後は北条氏照の属城となり、三田氏の旧臣で三田氏一族と伝える師岡将影が城主となり、城名も「師岡城」に改められたと伝えられています。
現在残る城跡は北条氏によって手が加えられたものと考えられています。
廃城となった時期や経緯は不明ですが、言い伝えによれば、1590(天正18年)に豊臣秀吉が北条氏を滅ぼした際、師岡城も落城し、廃城になったと伝えられています。
現在城址には土塁や空掘などの遺構を確認でき、また山麓の光明寺の入口付近に案内板が設置されています。

光明寺の墓地が山腹に広がっています。
住宅地を見下ろせる台地の上に、土塁で固められた広々とした一郭が広がっています。
二郭との間は横堀で区切られ、その下の通路も土塁があり雰囲気はありました。
攻城時間は25分くらいでした。

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🏯城好きのメガネ

「勝沼城」 (2020/04/06 訪問)

<オススメ>★☆☆☆☆
勝沼城は、平将門の末裔を称する三田氏が築いたとされる。戦国時代には上杉謙信に属し、後北条氏に対抗するが北条氏照に滅ぼされる。その後、師岡氏が城主をつとめる。小田原征伐の際に落城し、廃城となる。現在、土塁等が遺されている。

<アクセス>
JR東青梅駅 徒歩15分

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赤い城

なかなかの遺構が。 (2021/06/19 訪問)

藤橋城からの転戦で徒歩30分とちょっと。
最寄りは東青梅駅となります。
妙光院から登ると立入禁止。
光明寺に周ります。
横の道を登ると水道施設があり、その向かいから城域に入ります。
少し進むと二郭、周囲を堀が囲んでいます。
主郭からは青梅市内を一望できます。
主郭から下っていくと三郭、妙光院の墓地となっています。
その下にも郭があり、土塁が囲んでいます。
さらに降りると妙光院の立入禁止の立て札に。
こっちからは行けるのか、と思いながらも墓地があるからかな、と何となく納得。
城廻りはマナーが第一ですね。

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青春の巨匠

町中にある八田氏東の城 (2021/04/27 訪問)

駅から徒歩10分程。寺の裏山。小山なのでそれほどの要害では無い。いざと言うときは西の城、辛垣城に籠る予定だったのだろう。山上は広い曲輪跡が残る。

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城郭情報

分類・構造 平山城
築城主 三田氏
築城年 鎌倉時代後期
主な城主 三田氏
廃城年 永禄6年(1563)
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)
指定文化財 都史跡(勝沼城跡)
再建造物 説明板
住所 東京都青梅市東青梅6-92、93他
問い合わせ先 青梅市郷土博物館
問い合わせ先電話番号 0428-23-6859