6月の九州遠征前の、なまった足腰(コロナ過で10か月攻城していません)のリハビリを兼ねた攻城(PART3)です。
のんびりホリデーSUICAパス八高線&相模線8城巡り3城目は勝沼城です。
藤橋城より徒歩35~36分くらいで光明寺入口(35.794323、139.273902)に着きました。
勝沼城は関東管領・山内上杉氏の重臣、三田氏の居城です。
山内上杉氏の勢力が衰退し、北条氏の勢力が関東に伸びてくると三田政定は北条氏康に従属します。
しかし1561年(永禄4年)に上杉政虎(謙信)が上杉憲政を奉じて関東へ侵攻してくると、三田綱秀は諸豪族とともに上杉氏に付き従いました。
謙信が越後へ引き上げると、ほかの豪族は再び北条氏に臣従しましたが、三田氏は辛垣城へ居城を移しながらも北条氏に抵抗しつづけ、1561年(永禄4年)から1563年(永禄6年)頃に、北条氏によって攻め滅ぼされました。
その後は北条氏照の属城となり、三田氏の旧臣で三田氏一族と伝える師岡将影が城主となり、城名も「師岡城」に改められたと伝えられています。
現在残る城跡は北条氏によって手が加えられたものと考えられています。
廃城となった時期や経緯は不明ですが、言い伝えによれば、1590(天正18年)に豊臣秀吉が北条氏を滅ぼした際、師岡城も落城し、廃城になったと伝えられています。
現在城址には土塁や空掘などの遺構を確認でき、また山麓の光明寺の入口付近に案内板が設置されています。
光明寺の墓地が山腹に広がっています。
住宅地を見下ろせる台地の上に、土塁で固められた広々とした一郭が広がっています。
二郭との間は横堀で区切られ、その下の通路も土塁があり雰囲気はありました。
攻城時間は25分くらいでした。
+ 続きを読む