現地は行かず、高槻市の展示室に行った。
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2026/04/19 15:47
2025/08/09 09:35
三好父子の居城だった (2016/05/22 訪問)
芥川山城は三好山の標高182m・比高130mの位地に築かれていました。
初代城主は細川高国の家臣・能勢頼則ですが、芥川山城はやがて細川晴元の手に渡り、三好長慶が晴元と対立すると、長慶の支配下に置かれます。城主(城代)に据えた芥川孫十郎が離反したため、長慶に攻められ阿波に落ち延びると長慶が城主となり、長慶が飯盛山城に移ると息子の義興が城主になりましたが永禄6年(1563)に義興が22歳で没すると、長慶も翌年亡くなっています。
芥川山城は主郭を中心に多くの郭が配され、城主が居住に使った建物も有ったようです。石垣はそれほどありませんが、大手道沿いには石垣が残っています。
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2025/04/13 14:34
大手道の石垣とやっと対面できました。 (2025/02/07 訪問)
2019年1月、自然災害のため立入禁止の時に(行けないんだから仕方ないよね…)と言い訳をして「高槻しろあと歴史館」でスタンプだけ押して【行った】をポチ。
しかしその後、自分レベルで行けるのに行かないのは矜持に悖ると思い直して【行きたい】に変更。
2023年3月に登城し、晴れて正式に【行った】をポチしました。
ところがその際〈大石垣〉を見逃すという大失態を演じてしまい、モヤモヤ継続。
今回行ってやっとスッキリしました\( ˆoˆ )/
JR高槻駅で久しぶりにお会いする城友さんと待ち合わせし、バスで向かいました。
搦手道から登って東曲輪群へ。井戸や池を確認し、曲輪の先端まで行って下を覗き込むときれいに連なる曲輪群が!感動しかないです!!
竪土塁、土橋を経て主郭へ向かいます。途中大石垣の案内を確認しましたが、とりあえずあとまわしにして先へ進みます。
主郭に着いて眼下を眺望。翌日予定している高取城はどっち方面だー?など地理を勉強しました。
2年ぶりに対面した三好長慶さんの大パネル。
182.6cmからの視界はさぞかし眺望がきいただろうと感じ入っていたら、城友さんから「それ身長じゃなくて標高」と指摘され…😱
風が強く、時折小雪も舞い、かなり寒かったのですがここでお弁当タイムにしてから念願の大手道の石垣を見に行きました。
ストックを使いながら下ったところに、それはそれは見事な石垣が出現。崩落の痕跡が痛々しくも荒々しくもあり、また残された石垣が逞しくも見えで、さまざまな想像を掻き立てられました。これが見たかったんだ!と大満足でした。
一旦主郭に戻って西曲輪は回避して田の丸から下山しました。
“ここは何かあったっぽい”と感じたところがビンゴ!だったらすごく嬉しくて。見えない“見どころ”は想像でクリアしたり、倒木を乗り越えたり払ったりしながらせっせと下山。
たどり着いたフェンスのところが大手道との分岐だったんだとわかって感動そして納得。
約3時間の山中散策で下界に戻ってきました。
すごく楽しかったです。
芥川山城を守る会の方にもお会いし、また黄色いテープの案内にはずいぶんと助けられました。
その中で〈塚脇BS〉はbus stopのことだろうと思ったのですが、〈GF〉が何を指しているか分からず。guideナントカ?
…次回の課題です。
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| 城地種類 | 連郭式山城 |
|---|---|
| 築城年代 | 永正12年(1515)? |
| 築城者 | 細川高国 |
| 主要城主 | 能勢氏、細川氏、三好氏、和田氏、高山氏 |
| 近年の主な復元・整備 | 細川晴元、三好長慶 |
| 主な関連施設 | 石碑、説明板 |
| 主な遺構 | 曲輪、石垣、土塁、堀切 |
| 住所 | 大阪府高槻市大字原 |
|---|---|
| 問い合わせ先 | 高槻市教育委員会教育管理部文化財課 |
| 問い合わせ先電話番号 | 072-674-7652 |