続日本百名城
+ 続きを読む
✕
人が「いいね」しています。
2024/01/07 00:38
山城に大手石垣が残る城 (2023/05/04 訪問)
高槻城を攻城した後、高槻市立しろあと歴史館で続日本100名城スタンプポン。歴史館では高槻城と芥川山城の資料が展示されていました。
歴史館から車で約30分移動。摂津峡公園下の口駐車場(有料)に駐車し登城開始。
歴史館で入手したパンフレットの案内図を参考に25分ほど歩くと登城道分岐点へ。搦め手にあたる右手の道を選択し30分弱登ると主郭に到達。主郭からは高槻市内を一望。下りは登ってきた道を途中で右手に折れ、見どころのひとつ大手石垣へ。中央部分が崩れたのか?草で覆われているのか?石垣全体を見渡せないが、当時、城主の威光を見せつけたであろう山城の石垣は興味深い。
イノシシ除けの柵をくぐって登城道分岐点へもどり下城。
+ 続きを読む
♥ いいね
10人が「いいね」しています。
2023/12/25 09:10
登りやすく景色も綺麗! (2023/12/24 訪問)
滞在時間:1時間ほど
ハイキングツアーにて登城。
寒かったけど天気が良く、本丸跡から大阪の街並みが一望できてとても綺麗でした。
台風の影響で一部石垣が崩れてしまったとガイドさんからお聞きしましたが、それでもしっかり見られて良かったです。
石垣以外の遺構(堀とか土塁とか)も多分これかな〜?と思うものがあったのですが、倒木や枯れ草で隠れていて自信なく。
先に遺構の位置が書かれたマップを入手しておけばよかったと反省しました。
登りやすい城跡でしたが過去にはマダニが出たとのことで服装対策等はしっかりと!
+ 続きを読む
♥ いいね
11人が「いいね」しています。
2023/07/14 08:21
今城塚古墳(大阪府高槻市郡家新町) (2023/05/21 訪問)
# 今城塚古墳(今城・城びと未登録)は、芥川山城の出城・付城として改修・機能した城のため、芥川山城で投稿します。
今城塚古墳は、古墳中期に築造された前方後円墳で、継体天皇の真の陵墓とされています。戦国期に細川氏または三好氏(松永氏)により芥川山城の出城として改修されたと伝わり、織田信長の上洛時には芥川山城攻めの付城となったとされます。城郭遺構は確認されていませんが、発掘調査により外濠からは戦国期の火縄銃の弾丸や天目茶碗が発見されているようです。現在は古墳公園として整備され、宮内庁の陵墓指定されていないため、自由に散策できる唯一の天皇陵です。
今城塚古代歴史館の駐車場に車を駐めて登城開始。案内に従って進むと、はにわバルコニーから今城塚古墳が一望できます。淀川流域最大級と云われるだけあって写真に収まりきらない巨大さです。墳丘は二重の濠で囲まれ、外濠は空堀、内濠は水堀でしたが、内濠の後円部側は埋め立てられて芝生広場になっています。二重の濠の間の内提には埴輪祭祀場が設けられており、発掘調査の成果に基づき約200点の埴輪が居並ぶ様子はなかなか壮観でした。内堤を下りて芝生広場を横断し墳丘へ。墳丘両側のくびれ部に設けられた造出は儀式の場だったようですが、城郭的に見れば横矢掛けの張出部でしょうか。墳丘を前方部から後円部までひとめぐりした後は、後円部側から内堤の上を一周します。内堤の上には内濠に沿って円筒埴輪が並べられています。聖域をあらわし古墳を守る結界なんだとか。前方部は水堀に囲まれているので、内堤から見てお城っぽい感じです。
内堤を一周した後は、駐車場に戻って今城塚古代歴史館を見学。展示は古墳についてのみで城郭に関するものはありませんが、英雄たちの選択の継体天皇の回を観て以来、来てみたいと思っていたので、阿蘇ピンク石による家型石棺など興味深く見学させてもらいました。なお、今城塚古墳から西に約1.6kmの太田茶臼山古墳(茨木市太田)が宮内庁の定める継体天皇陵になりますが、陵墓として拝所は設けられているものの、見学することはできません。
+ 続きを読む
♥ いいね
16人が「いいね」しています。
城地種類 | 連郭式山城 |
---|---|
築城年代 | 永正12年(1515)? |
築城者 | 細川高国 |
主要城主 | 能勢氏、細川氏、三好氏、和田氏、高山氏 |
近年の主な復元・整備 | 細川晴元、三好長慶 |
主な関連施設 | 石碑、説明板 |
主な遺構 | 曲輪、石垣、土塁、堀切 |
住所 | 大阪府高槻市大字原 |
---|---|
問い合わせ先 | 高槻市教育委員会教育管理部文化財課 |
問い合わせ先電話番号 | 072-674-7652 |