ふなおかやまじょう

船岡山城

京都府京都市

別名 : 船崗山城、山名城
旧国名 : 山城

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公衆トイレ付近の堀跡
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昌官忠

2022夏の青春18キップ8日目:船岡山城 (2022/07/27 訪問)

御土居から15分くらい歩いて、公園中腹トイレ(35.039444、135.742521)に着きました。

1467年(応仁元年)山名宗全によって築かれました。
応仁の乱で西軍山名氏が北方の要所として築いたが、1468年(応仁2年)東軍細川勝元が攻めよせ、火をかけて落とし、守将小鴨安芸守ら五十余名が討ち死にしたそうです。
その後は東西両軍とも利用しなかったため、廃城となっています。

山全体が公園となっており、遺構らしきものは、公園中腹あたりの公衆トイレ付近に見られる堀跡くらいでしょうか。
1875年(明治8年)創建の建勲神社には「本能寺の変」で討死した織田信長が主祭神として祀られており、信長に関連する御朱印も豊富に揃っていましたが、集めていないので横目で見るだけです。
途中から雨が降りはじめ、遠くで雷も聞こえてきたので早めに撤退です。
攻城時間は20分くらいでした。次の攻城先=中尾城を攻城する為、千本北大路/京都市営バス停➡銀閣寺道/京都市営バス停にバスで向かい、まずは銀閣寺を見学します。

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ぴーかる

船岡山城 (2020/06/21 訪問)

【船岡山城】
<駐車場他>北側の公園入口横にコインPあり。
<交通手段>車

<感想>船岡山城は、応仁の乱の西軍の城として船岡山に築かれた。翌年、東軍によって落城しその後城として使用されなかったため、城としての期間は短かった。西軍の陣城的なものだったらしい。船岡山を含む一帯は現在も西陣の名で呼ばれている。
 御土居のある鷹峯から徒歩で来城した。北側からの遊歩道を登って山頂へ。山頂は東西に伸びた細長の削平地があり、公園整備されている。山頂部の東側は岩場になっていた。山頂部と建勲神社の間は柵がめぐらしてあり、中には入れないが土塁等の遺構がありそうな雰囲気がかなりあった。山頂から東へ下って建勲神社へ行った。建勲神社は明治期に信長を祀ったところ。「けんくん神社」は俗称で正式名称は「たけいさお神社」と呼ぶ。この辺昔なじみがあって、てっきり「けんくん神社」かと思ってた。

<満足度>◆◆◇

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じゅんじん

応仁の乱 (2012/04/16 訪問)

ふもとは信長の神社。町が見渡せます。

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退会済み
ユーザー

船岡山公園 (2016/08/15 訪問)

敷地内に織田信長を祭る武勲神社がある

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 大内政弘
築城年 応仁元年(1467)
主な城主 大内氏、山名氏、細川氏
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)
指定文化財 国史跡(船岡山)
再建造物 石碑、説明板(船岡山)
住所 京都府京都市北区紫野北舟岡町
問い合わせ先 京都市産業観光局観光部観光企画課
問い合わせ先電話番号 075-222-4130