御土居から15分くらい歩いて、公園中腹トイレ(35.039444、135.742521)に着きました。
1467年(応仁元年)山名宗全によって築かれました。
応仁の乱で西軍山名氏が北方の要所として築いたが、1468年(応仁2年)東軍細川勝元が攻めよせ、火をかけて落とし、守将小鴨安芸守ら五十余名が討ち死にしたそうです。
その後は東西両軍とも利用しなかったため、廃城となっています。
山全体が公園となっており、遺構らしきものは、公園中腹あたりの公衆トイレ付近に見られる堀跡くらいでしょうか。
1875年(明治8年)創建の建勲神社には「本能寺の変」で討死した織田信長が主祭神として祀られており、信長に関連する御朱印も豊富に揃っていましたが、集めていないので横目で見るだけです。
途中から雨が降りはじめ、遠くで雷も聞こえてきたので早めに撤退です。
攻城時間は20分くらいでした。次の攻城先=中尾城を攻城する為、千本北大路/京都市営バス停➡銀閣寺道/京都市営バス停にバスで向かい、まずは銀閣寺を見学します。
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