ふなおかやまじょう

船岡山城

京都府京都市

別名 : 船崗山城、山名城
旧国名 : 山城

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船岡山山頂部
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イオ

…船岡山城よ、私は帰ってきた! (2025/03/08 訪問)

応仁の乱において西軍が船岡山に築いた陣城で、戦国前期には細川政賢が籠って大内義興と戦いました(船岡山合戦)。また戦国後期にも足利義輝が布陣して三好長慶と対峙しています。

船岡山の南西麓に自転車を駐めて登城開始。長く続く階段を見上げると、6年前に早春の雨に打たれながら自転車を走らせてここまで来たものの、この階段を見上げたところで心が折れて登城を断念したことが思い出されます。…船岡山城よ、私は帰ってきた! このイオは6年待ったのだ!(ガトー風に)

船岡山の西部は船岡山公園として整備され、東部には建勲神社が鎮座しています。南西の山頂部は東西二段に細長く削平されていますが、公園整備よるものか城郭遺構は見られません。比高は50m程度ながら独立丘のため周囲の見晴らしは良く、陣城には最適の地であることがわかります。山頂部北側の山腹には塹壕のような横堀が東西に長く続き、北麓からの侵攻に備えています。横堀は西端では竪堀となって落ち、東端からは北西に折り返して続いていました。横堀北端近くの削平地は展望所となっていて、眼下には広大な大徳寺が広がっています。

船岡山は豊臣秀吉により織田信長の霊地とされ、明治に信長を祭神とする建勲神社が創建されました。まずは建勲神社に参拝。拝殿には秀吉や柴田勝家、丹羽長秀ら家臣団を描いた額が掲げられていました(金森長近は…?)。縄張図によれば、本殿の奥には堀切・竪堀・竪土塁・横堀を複雑に組み合わせた遺構がある…はずですが、柵に鉄条網までめぐらせて立入禁止になっているため、北裾と南裾から柵越しに覗くことができるのみです。

…ということで、6年越しでリベンジを果たすことができましたが、遺構としては山腹の横堀くらいしか見るところはなく、入れ込んでいた割には…という感じでした。ただ、眺望と建勲神社、そして様々な合戦の舞台に立っているんだ、という感慨は悪くありませんでした。
 

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昌官忠

2022夏の青春18キップ8日目:船岡山城 (2022/07/27 訪問)

御土居から15分くらい歩いて、公園中腹トイレ(35.039444、135.742521)に着きました。

1467年(応仁元年)山名宗全によって築かれました。
応仁の乱で西軍山名氏が北方の要所として築いたが、1468年(応仁2年)東軍細川勝元が攻めよせ、火をかけて落とし、守将小鴨安芸守ら五十余名が討ち死にしたそうです。
その後は東西両軍とも利用しなかったため、廃城となっています。

山全体が公園となっており、遺構らしきものは、公園中腹あたりの公衆トイレ付近に見られる堀跡くらいでしょうか。
1875年(明治8年)創建の建勲神社には「本能寺の変」で討死した織田信長が主祭神として祀られており、信長に関連する御朱印も豊富に揃っていましたが、集めていないので横目で見るだけです。
途中から雨が降りはじめ、遠くで雷も聞こえてきたので早めに撤退です。
攻城時間は20分くらいでした。次の攻城先=中尾城を攻城する為、千本北大路/京都市営バス停➡銀閣寺道/京都市営バス停にバスで向かい、まずは銀閣寺を見学します。

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ぴーかる

船岡山城 (2020/06/21 訪問)

【船岡山城】
<駐車場他>北側の公園入口横にコインPあり。
<交通手段>車

<感想>船岡山城は、応仁の乱の西軍の城として船岡山に築かれた。翌年、東軍によって落城しその後城として使用されなかったため、城としての期間は短かった。西軍の陣城的なものだったらしい。船岡山を含む一帯は現在も西陣の名で呼ばれている。
 御土居のある鷹峯から徒歩で来城した。北側からの遊歩道を登って山頂へ。山頂は東西に伸びた細長の削平地があり、公園整備されている。山頂部の東側は岩場になっていた。山頂部と建勲神社の間は柵がめぐらしてあり、中には入れないが土塁等の遺構がありそうな雰囲気がかなりあった。山頂から東へ下って建勲神社へ行った。建勲神社は明治期に信長を祀ったところ。「けんくん神社」は俗称で正式名称は「たけいさお神社」と呼ぶ。この辺昔なじみがあって、てっきり「けんくん神社」かと思ってた。

<満足度>◆◆◇

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じゅんじん

応仁の乱 (2012/04/16 訪問)

ふもとは信長の神社。町が見渡せます。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 大内政弘
築城年 応仁元年(1467)
主な城主 大内氏、山名氏、細川氏
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)
指定文化財 国史跡(船岡山)
再建造物 石碑、説明板(船岡山)
住所 京都府京都市北区紫野北舟岡町
問い合わせ先 京都市産業観光局観光部観光企画課
問い合わせ先電話番号 075-222-4130