土津神社にも寄りました。
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2025/08/09 17:24
2025/04/08 20:18
江戸時代も特例として残された近世城郭 (2024/09/16 訪問)
猪苗代城の続き。猪苗代城は佐原義連の子孫・猪苗代氏によって築かれ、豊臣秀吉の御奥仕置の後は蒲生氏郷の家臣・蒲生郷安が入り、その後も上杉氏、蒲生氏、加藤氏の支配下に置かれ、江戸時代も特例として存続が認められています。蒲生氏の頃から近世城郭としての改修が行われていったようですが、石垣などの遺構は大手の付く東側に多く築かれ、西側は土塁や空堀などで守られています。
最高所に本丸が置かれ、南に二の丸、周囲には北帯郭、西帯郭、南帯郭が置かれ、南帯郭には煙硝蔵や番所が置かれていたようです。
東の大手には枡形が付き、石垣遺構は崩れている箇所もありますが、見ごたえがあります。
西側の土塁などの遺構も良く整備され、石垣の城と土造りの城の良さを味わうことが出来ます。
・・ストックが溜り過ぎてなかなか片付かない。記憶に頼りながら書いている部分もあるので、ご容赦ください。
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2025/03/24 22:00
マグマで形成された丘の上に築かれている。 (2024/09/16 訪問)
猪苗代城は地元では亀ヶ城と呼ばれているようです。三浦氏の一族・佐原義連が奥州征伐の軍功で会津四郡を与えられ、その子盛連の長男・大炊介経連が猪苗代を領して、猪苗代氏を名乗り当地に城を築きました。
14代盛胤は天正17年(1589)「摺上原の戦い」で蘆名方に属し敗れ、湖南横沢に引退し、城主を頂く猪苗代城の歴史は終わりました。ただし廃城にはならず、城代が置かれ、戊辰戦争で焼失するまで会津の守りの城として健在でした。
城が築かれている丘は、20~40万年前に古磐梯火山の赤埴山を形成した火山活動によって、噴出したマグマなどが溜って形成されたとされています。一部崩壊してはいますが、石垣で整備された近世城郭で、本丸に至るまで、さまざまな石垣を楽しむことができます。
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2024/07/13 23:50
猪苗代城と鶴峰城 (2024/06/22 訪問)
新潟駅⇄新潟城往復のウォーミングアップののち、信越本線で新津へ。
新津から「SLばんえつ物語」で会津若松。
会津若松から郡山へ向かう途中、猪苗代駅で下車しました。
猪苗代城は、会津若松城訪問の際に毎度気になりながらも寄ることができずいたので、駅に降り立った時の嬉しさも一入でした。
この時期の訪問ですので草や葉に覆われていても当然のこととその点はあまり気にとめずにいたのですが、整備された散策路はとても歩きやすく、見どころやビューポイントは思わず感嘆の声をあげてしまうほどで、列車から見えたあの緑の山の中がこんなふうに造られていたのかと、感動とともに長年にわたる城の維持整備のありがたさを思いました。
この地から世界に羽ばたいた野口英世博士の胸像が見守る東側の近世の丘(猪苗代城)に残る石垣遺構。戊辰戦争から時が止まったままのようなその佇まいは城びとの心に刺さるものがありました。
西側の中世の丘の方は「鶴峰城」というのだそうです。こちらも散策路が続いており、標柱を頼りに現状から往時の姿を思い浮かべることができました。
朝田辰兵衛さん。
下関PRありがとうございます。
海の幸は新潟といい勝負ではないかと!
日頃からみなさまの投稿を拝見していて、地元のお城が登場するとドキドキします。
楽しんでもらえただろうか。あの石垣は見てもらえただろうか。どうかディスられませんように……と。逆に知らなかったことを教えていただけることもあり、たいへんありがたく思っています。
日本中どこでも、そこは誰かの大事なふるさとだということを心に留めて城めぐりを楽しんでいきたいと思います。
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分類・構造 | 平山城 |
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築城主 | 佐原経連 |
築城年 | 不明 |
主な城主 | 佐原氏(猪苗代氏) |
遺構 | 曲輪、石垣、土塁、横堀(空堀) |
指定文化財 | 県史跡(猪苗代城跡附鶴峰城跡) |
再建造物 | 石碑、説明板 |
住所 | 福島県耶麻郡猪苗代町古城町 |
問い合わせ先 | 猪苗代町商工観光課 |
問い合わせ先電話番号 | 0242-62-2117 |