いなわしろじょう

猪苗代城

福島県耶麻郡

別名 : 亀ヶ城、(鶴峰城、鶴峯城)
旧国名 : 陸奥

投稿する
口コミ・画像を投稿する

みんなの写真投稿

投稿する

みんなの口コミ

投稿する

todo94

2022年シーズン最高の紅葉 (2022/11/22 訪問)

この日の締めは猪苗代城。14年ぶりの再訪になります。日没直前の到着で、紅葉が西日に照らされて非常に美しかった。こんな紅葉を独り占めできてしまうとは何と贅沢なことでしょう。観光客でごった返す紅葉の名所に、無理して訪れることはないなと思ってしまいました。鶴ヶ城に対して亀ヶ城とも呼ばれる猪苗代城は見栄えのする遺構もたっぷりで、まだ脚を伸ばしたことはありませんが、中世の古城エリア(鶴峰城)も備えており、城の魅力という点では同じ福島県内の続100名城・三春城より上だと思います。三春城は三春滝桜の存在によるアドバンテージがあったとしか思えません。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ぴちょまる

猪苗代城(亀ヶ城) (2022/10/28 訪問)

土津神社の紅葉を観に行こうと思ったときに、
10年以上前に、猪苗代駅から、レンタサイクルで訪れたことがあったな、と思い寄ってみた。
一山丸々城だったのだろうと思われる石垣と土塁。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

城とマスク

福島県のお城巡り (2022/10/10 訪問)

櫓などのはありませんが一部石垣が残っているお城でした、道の駅でソースカツ丼を食べた後に行ったので良い運動になりました。マスクは沖縄城巡りで使用したタイプを被りました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ぎりょう

中世・近世の長い歴史を物語る城 (2021/04/23 訪問)

郡山方面の2日目は猪苗代城へ。この城は文治5年(1189)の奥州合戦の戦功により会津四郡を与えられた鎌倉御家人、佐原氏の一族が猪苗代氏を名乗り居城としたと伝わる。戦国時代の天正17年(1589)には「摺上原(すりあげはら)合戦」に際し、猪苗代盛國が伊達氏に内応して会津芦名氏滅亡の要因を作り、政宗の仙道制覇を実現させた歴史がある。また秀吉の奥州仕置きにより配された蒲生氏、加藤氏、上杉氏時代も会津東地区の戦略拠点として、江戸時代も会津松平氏の支城として中世から近世まで長く続いた。慶応4年(1868)の戊辰戦争の際に母成峠の陥落後には城代が猪苗代城と藩祖公を祀る「土津(はにつ)神社」に火を放って退却したという。
城地は南北に細長い丘陵の最上部に東西30m、南北80mの本丸を置き、南にニ之郭、南・西・北に帯郭を配した輪郭式の中世山城部分と近世になって東側の平地に拡張され、土塁と水掘りで囲んだ二之丸、三之丸を配して平山城の姿となったようだ。
現在、二之丸、三之丸部分は市街地化されているが、山城部分は本丸、土塁、帯郭、虎口、近世の改修による石垣など遺構はしっかり残っている。
訪問した4月23日は三春の滝桜は散った後だったが、福島県の中通りと会津の中間点である猪苗代町は山間部であるため観音寺川畔の桜並木は満開で、多くの花見客で賑わっていた。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

城郭情報

分類・構造 平山城
築城主 佐原経連
築城年 不明
主な城主 佐原氏(猪苗代氏)
遺構 曲輪、石垣、土塁、横堀(空堀)
指定文化財 県史跡(猪苗代城跡附鶴峰城跡)
再建造物 石碑、説明板
住所 福島県耶麻郡猪苗代町古城町
問い合わせ先 猪苗代町商工観光課
問い合わせ先電話番号 0242-62-2117