中世・近世の長い歴史を物語る城
(2021/04/23 訪問)
郡山方面の2日目は猪苗代城へ。この城は文治5年(1189)の奥州合戦の戦功により会津四郡を与えられた鎌倉御家人、佐原氏の一族が猪苗代氏を名乗り居城としたと伝わる。戦国時代の天正17年(1589)には「摺上原(すりあげはら)合戦」に際し、猪苗代盛國が伊達氏に内応して会津芦名氏滅亡の要因を作り、政宗の仙道制覇を実現させた歴史がある。また秀吉の奥州仕置きにより配された蒲生氏、加藤氏、上杉氏時代も会津東地区の戦略拠点として、江戸時代も会津松平氏の支城として中世から近世まで長く続いた。慶応4年(1868)の戊辰戦争の際に母成峠の陥落後には城代が猪苗代城と藩祖公を祀る「土津(はにつ)神社」に火を放って退却したという。
城地は南北に細長い丘陵の最上部に東西30m、南北80mの本丸を置き、南にニ之郭、南・西・北に帯郭を配した輪郭式の中世山城部分と近世になって東側の平地に拡張され、土塁と水掘りで囲んだ二之丸、三之丸を配して平山城の姿となったようだ。
現在、二之丸、三之丸部分は市街地化されているが、山城部分は本丸、土塁、帯郭、虎口、近世の改修による石垣など遺構はしっかり残っている。
訪問した4月23日は三春の滝桜は散った後だったが、福島県の中通りと会津の中間点である猪苗代町は山間部であるため観音寺川畔の桜並木は満開で、多くの花見客で賑わっていた。
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