日本100名城

さがじょう

佐賀城

佐賀県佐賀市

別名 : 佐嘉城、栄城、沈み城、亀甲城、(村中城)
旧国名 : 肥前

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佐賀城
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天守無しがアツい

佐賀八賢人 (2018/06/03 訪問)

まずここには動いて話す女性ロボットがいました。「生まれて4年ですが、年齢は26歳…」という具合に話しており、見た目がほぼ人間!

間近で見ないと分からないくらい、人間の肌や輪郭にそっくりに出来ており、「日本のロボット開発もここまで進んだか」「現代版黒船とでも呼ぶべき存在か?」とも思いました

ここ、佐賀城は江戸時代には天守閣もあったそうですが、焼失後は再建されず、敷地内の建物は廃藩置県後に小学校になったり、軍の施設になったりしたそうです…

この歴史館は明治維新における佐賀藩士の功績を紹介するために平成十七年開館。なのでキレイな内装、新しさを感じる環境でした

寸劇がとある部屋にておこなわれ、私の見た回では、島義勇(しまよしはる)・江藤新平・大隈重信に扮した3人が登場しました

薩長土肥、つまり佐賀藩(肥前)も維新の四大勢力の1つになっており、佐賀八賢人と呼ばれている維新の功労者がいる。上記の3人もその中に入っている(でも私は8人のうち、2人(江藤新平と大隈重信)しか知らなかった(笑))

寸劇を通して分かったのは、島義勇は北海道の開拓に務め、札幌を作った。江藤新平は法の整備(現在の法律のベースを作ったそう)、佐賀の乱で島と共に刑死💀💀

大隈重信は言わずもがな、早稲田大学の創設者、2度の内閣総理大臣を務め、84歳の長寿を全うした…と、寸劇の出演者はオーバーアクションとも思える、力のこもった演技をしていました👨‍🎓

そしてこの3人を含めた有能な人材を登用し、育て上げたのが、佐賀藩第10代目藩主:鍋島直正

彼の進めた質素倹約と「西洋の技術を積極的に取り入れる」政策により、ペリー来航の頃には、佐賀藩は日本で唯一、鉄製大砲を鋳造可能な存在に

戊辰戦争では「我が藩の技術を同胞殺しに使いたくない」という理由から、最初は新政府にも幕府にもつかずでしたが、将軍慶喜が江戸に逃走して新政府有利になると、戦争を早く終わらせるため、そっち側に

上野における彰義隊との戦闘では、ケタ違いの武器の性能を披露し、敵兵だけでなく、味方の新政府軍をも「敵じゃなくてよかった…」と思わせたそうです

館内の展示を見て、直正がすごい藩主であることを知ったので、土産は迷わず、彼の伝記マンガにしました。上記の「スゴいぞ佐賀藩」とでも言うべきエピソードは、その中から知ったことです

日本で最も早く西洋化を取り入れ、戊辰戦争では「陸の黒船」と思わせる存在感を見せ、維新に貢献した佐賀藩

でも(大隈重信は例外として)何故ほとんどの藩士は知名度が低いのか?そして大河ドラマにも(薩摩、長州、土佐は舞台になるのに)選ばれてないのか、不思議に思いましたね…

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にのまる

【かるた】佐賀城の読み札

鯱の門 弾痕刻む 佐賀城址

本丸御殿 迷路のようだよ 佐賀城址

御座間で 2ショット撮れます 佐賀城址

亀甲乱積み 花びら模様の 佐賀城址

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美夢

【かるた】佐賀城の読み札

佐賀城跡 本丸 320畳

鯱の門 覗く大砲 佐賀城跡

逸材あり 鍋島直正 佐賀城跡

しゃれぼーたい 亀甲乱積 佐賀城跡


一句目
佐賀城の復元された本丸御殿の外御書院は
全て合わせると320畳の大空間
質実剛健な迫力がありました

二句目
佐賀城といえば鯱の門
近づくと中に佐賀藩が日本で初めて作ったという
鉄製の大砲が見えてきて
城への期待を高めてくれました 

三句目
佐賀藩10代藩主、鍋島直正さんは
財政、学問による人材育成、医師免許やワクチン(種痘)の導入
反射炉による鉄の精製と、大砲&蒸気機関の作製
と数々の革新をされた方で
入口にある銅像の大きさが、市民からの親しみを物語っていました

四句目
上五は、お洒落さん、がばい粋、でも良いかもしれません
南西隅櫓台のカラフルな亀甲積みの石垣は
佐賀城だけの特徴なので、是非、詠みたいと思いました

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トク

【かるた】佐賀城の読み札(修正版)

城名を入れたものに修正しました。
写真は同じものです。

(修正後)
鯱の門 柱の弾痕語る 佐賀城

(修正前)
鯱の門 柱が語る 佐賀の乱


【編集部:シロ―様】
了解です。納得しました。
回答ありがとうございました。
かるたの完成、大変楽しみにしております😊

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概要

戦国大名・龍造寺氏の居城を重臣の鍋島氏が拡張整備した平城。五重の天守が建てられていたが焼失し、今は高さ9m・南北31 m・東西27 mの巨大な天守台だけが残っている。本丸御殿も焼失したが、その一部を天保期の造りで忠実に再現し平成16年に復元された。

城郭情報

城地種類 輪郭式+連郭式平城
築城年代 慶長7年(1602)
築城者 鍋島直茂、鍋島勝茂
主要城主 鍋島氏
文化財史跡区分 国重要文化財(鯱の門及び続櫓)、県史跡(佐賀城跡)、市重要文化財(御座の間)
近年の主な復元・整備 鍋島直正
天守の現況・形態 型式不明[4重5階/1611年築/焼失(火災)]
主な関連施設 御殿(佐賀県立佐賀城本丸歴史館)、石碑、説明板
主な遺構 曲輪、門、櫓、移築御座の間、石垣、堀
住所 佐賀県佐賀市城内2-14
問い合わせ先 佐賀市観光・文化課
問い合わせ先電話番号 0952-40-7110