まずここには動いて話す女性ロボットがいました。「生まれて4年ですが、年齢は26歳…」という具合に話しており、見た目がほぼ人間!
間近で見ないと分からないくらい、人間の肌や輪郭にそっくりに出来ており、「日本のロボット開発もここまで進んだか」「現代版黒船とでも呼ぶべき存在か?」とも思いました
ここ、佐賀城は江戸時代には天守閣もあったそうですが、焼失後は再建されず、敷地内の建物は廃藩置県後に小学校になったり、軍の施設になったりしたそうです…
この歴史館は明治維新における佐賀藩士の功績を紹介するために平成十七年開館。なのでキレイな内装、新しさを感じる環境でした
寸劇がとある部屋にておこなわれ、私の見た回では、島義勇(しまよしはる)・江藤新平・大隈重信に扮した3人が登場しました
薩長土肥、つまり佐賀藩(肥前)も維新の四大勢力の1つになっており、佐賀八賢人と呼ばれている維新の功労者がいる。上記の3人もその中に入っている(でも私は8人のうち、2人(江藤新平と大隈重信)しか知らなかった(笑))
寸劇を通して分かったのは、島義勇は北海道の開拓に務め、札幌を作った。江藤新平は法の整備(現在の法律のベースを作ったそう)、佐賀の乱で島と共に刑死💀💀
大隈重信は言わずもがな、早稲田大学の創設者、2度の内閣総理大臣を務め、84歳の長寿を全うした…と、寸劇の出演者はオーバーアクションとも思える、力のこもった演技をしていました👨🎓
そしてこの3人を含めた有能な人材を登用し、育て上げたのが、佐賀藩第10代目藩主:鍋島直正
彼の進めた質素倹約と「西洋の技術を積極的に取り入れる」政策により、ペリー来航の頃には、佐賀藩は日本で唯一、鉄製大砲を鋳造可能な存在に
戊辰戦争では「我が藩の技術を同胞殺しに使いたくない」という理由から、最初は新政府にも幕府にもつかずでしたが、将軍慶喜が江戸に逃走して新政府有利になると、戦争を早く終わらせるため、そっち側に
上野における彰義隊との戦闘では、ケタ違いの武器の性能を披露し、敵兵だけでなく、味方の新政府軍をも「敵じゃなくてよかった…」と思わせたそうです
館内の展示を見て、直正がすごい藩主であることを知ったので、土産は迷わず、彼の伝記マンガにしました。上記の「スゴいぞ佐賀藩」とでも言うべきエピソードは、その中から知ったことです
日本で最も早く西洋化を取り入れ、戊辰戦争では「陸の黒船」と思わせる存在感を見せ、維新に貢献した佐賀藩
でも(大隈重信は例外として)何故ほとんどの藩士は知名度が低いのか?そして大河ドラマにも(薩摩、長州、土佐は舞台になるのに)選ばれてないのか、不思議に思いましたね…
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