日本100名城

さがじょう

佐賀城

佐賀県佐賀市

別名 : 佐嘉城、栄城、沈み城、亀甲城、(村中城)
旧国名 : 肥前

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佐賀城
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ぴーかる

佐賀城 (2024/02/11 訪問)

【百名城69城目】
<駐車場他>佐賀城本丸歴史館駐車場
<交通手段>車

<見所>水堀・鯱の門・天守台・復元本丸御殿
<感想>1泊2日久留米・佐賀の旅3城目。いつものように外郭を一巡り。外堀は西側から⇒船着場跡⇒龍造寺隆信生誕地⇒南堀⇒西堀⇒北堀⇒図書館から城跡内へ、多布施川を見て⇒本丸石垣の外観⇒本丸歴史館⇒天守台の順で巡りました。ブラタモリで放送していた多布施川を引き込んで城内の水路と用水に利用している事、知らなかったら佐賀城の水堀の良さも半減していたことだろう。佐賀平野に残る環濠城跡も見て水濠城の集大成だということがつくづくと感じました。

<満足度>★★★☆☆

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トク

佐賀城ひなまつりと歴史資料館 (2024/02/27 訪問)

佐賀城本丸御殿で開催されている「佐賀城ひなまつり」を見に行ってきました。300畳の本丸御殿大広間に、佐賀市内の子供たちが製作したおひなさま約1600体が並べられていました。見入っていると、何だか癒されてしまいました(笑)(写真③④)。

佐賀城本丸御殿は歴史資料館にもなっていて、幕末の藩主「鍋島直正」(写真⑥)の偉業を中心にわかりやすく展示解説されています。財政危機を乗り切るため質素倹約をしながら、一方では藩校弘道館を建てて人材を育成し、そこから大隈重信・江藤新平などを輩出しました(写真⑦)。西洋医学なども積極的に長崎を通じて学び天然痘の予防に成功。また長崎の警護中のフェートン号事件の失態から海軍伝習所を設立して海防論を説きます。そして長崎を通じて西洋の大砲の製造技術を習得し、反射炉を造って大砲の製造に成功!(写真⑧⑨)。これにより幕府より品川台場をはじめ全国の台場に設置する大砲を大量に受注して、財政改革と人材育成と幕府への貢献、すべてを一挙両立させた事などがわかりやすく解説されていました。

すばらしい藩主であるとともに、それを成し遂げた勤勉な佐賀の人たちは、まっこと「がばい」と思いました!(そういえば島田洋七は今どうしているのだろう?🤔)
 

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天守無しがアツい

佐賀八賢人 (2018/06/03 訪問)

まずここには動いて話す女性ロボットがいました。「生まれて4年ですが、年齢は26歳…」という具合に話しており、見た目がほぼ人間!

間近で見ないと分からないくらい、人間の肌や輪郭にそっくりに出来ており、「日本のロボット開発もここまで進んだか」「現代版黒船とでも呼ぶべき存在か?」とも思いました

ここ、佐賀城は江戸時代には天守閣もあったそうですが、焼失後は再建されず、敷地内の建物は廃藩置県後に小学校になったり、軍の施設になったりしたそうです…

この歴史館は明治維新における佐賀藩士の功績を紹介するために平成十七年開館。なのでキレイな内装、新しさを感じる環境でした

寸劇がとある部屋にておこなわれ、私の見た回では、島義勇(しまよしはる)・江藤新平・大隈重信に扮した3人が登場しました

薩長土肥、つまり佐賀藩(肥前)も維新の四大勢力の1つになっており、佐賀八賢人と呼ばれている維新の功労者がいる。上記の3人もその中に入っている(でも私は8人のうち、2人(江藤新平と大隈重信)しか知らなかった(笑))

寸劇を通して分かったのは、島義勇は北海道の開拓に務め、札幌を作った。江藤新平は法の整備(現在の法律のベースを作ったそう)、佐賀の乱で島と共に刑死💀💀

大隈重信は言わずもがな、早稲田大学の創設者、2度の内閣総理大臣を務め、84歳の長寿を全うした…と、寸劇の出演者はオーバーアクションとも思える、力のこもった演技をしていました👨‍🎓

そしてこの3人を含めた有能な人材を登用し、育て上げたのが、佐賀藩第10代目藩主:鍋島直正

彼の進めた質素倹約と「西洋の技術を積極的に取り入れる」政策により、ペリー来航の頃には、佐賀藩は日本で唯一、鉄製大砲を鋳造可能な存在に

戊辰戦争では「我が藩の技術を同胞殺しに使いたくない」という理由から、最初は新政府にも幕府にもつかずでしたが、将軍慶喜が江戸に逃走して新政府有利になると、戦争を早く終わらせるため、そっち側に

上野における彰義隊との戦闘では、ケタ違いの武器の性能を披露し、敵兵だけでなく、味方の新政府軍をも「敵じゃなくてよかった…」と思わせたそうです

館内の展示を見て、直正がすごい藩主であることを知ったので、土産は迷わず、彼の伝記マンガにしました。上記の「スゴいぞ佐賀藩」とでも言うべきエピソードは、その中から知ったことです

日本で最も早く西洋化を取り入れ、戊辰戦争では「陸の黒船」と思わせる存在感を見せ、維新に貢献した佐賀藩

でも(大隈重信は例外として)何故ほとんどの藩士は知名度が低いのか?そして大河ドラマにも(薩摩、長州、土佐は舞台になるのに)選ばれてないのか、不思議に思いましたね…

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にのまる

【かるた】佐賀城の読み札

鯱の門 弾痕刻む 佐賀城址

本丸御殿 迷路のようだよ 佐賀城址

御座間で 2ショット撮れます 佐賀城址

亀甲乱積み 花びら模様の 佐賀城址

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概要

戦国大名・龍造寺氏の居城を重臣の鍋島氏が拡張整備した平城。五重の天守が建てられていたが焼失し、今は高さ9m・南北31 m・東西27 mの巨大な天守台だけが残っている。本丸御殿も焼失したが、その一部を天保期の造りで忠実に再現し平成16年に復元された。

城郭情報

城地種類 輪郭式+連郭式平城
築城年代 慶長7年(1602)
築城者 鍋島直茂、鍋島勝茂
主要城主 鍋島氏
文化財史跡区分 国重要文化財(鯱の門及び続櫓)、県史跡(佐賀城跡)、市重要文化財(御座の間)
近年の主な復元・整備 鍋島直正
天守の現況・形態 型式不明[4重5階/1611年築/焼失(火災)]
主な関連施設 御殿(佐賀県立佐賀城本丸歴史館)、石碑、説明板
主な遺構 曲輪、門、櫓、移築御座の間、石垣、堀
住所 佐賀県佐賀市城内2-14
問い合わせ先 佐賀市観光・文化課
問い合わせ先電話番号 0952-40-7110