日本100名城

よしのがり

吉野ヶ里

佐賀県神埼郡


旧国名 : 肥前

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吉野ヶ里
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天守無しがアツい

日本最大級の弥生遺跡 (2010/09/06 訪問)

私が吉野ヶ里遺跡を訪れたのは、2010年の秋でした。福岡空港からJRで隣の佐賀県へ 吉野ヶ里駅で下車し、そこから10分ほどの場所に遺跡はありました

中に入ると、そこは弥生時代にタイムスリップしたかのような場所でした…。竪穴住居(画像1枚目)に物見やぐら、高床倉庫がいくつも点在し、広い敷地でした(吉野ヶ里訪問の後に登呂遺跡を巡った私ですが、そこと同じくらいか、もう少し広いんじゃないかな…?)

建物内には出入り自由で、竪穴のみならず、倉庫や物見やぐらにも足を踏み入れました。やぐらの展望室(?)まで登り、そこから下を除くと、「結構遠くまで見渡せるな。当時の人はこうして外敵が侵入しないか監視していたのか…」と思えました

2枚目の画像は、やぐらからの光景。こうして見ると、曇り空が何か怖い雰囲気を漂わせているようにも思えます。そしてジオラマっぽくも見えませんか…?(もちろんそうじゃないけど)

3枚目の画像は遺跡内の歩道から撮影した光景ですが、これを見ると、当時の吉野ヶ里が柵に囲まれている様子が伺えます。当時は基本、集落の周りを木製の柵で防御していたようです。

竪穴住居の他に、それより広くて大きめの住居も(私の記憶が確かならば)あり、その中にも入ってみました。そこはとても広かったです。「おそらく大家族がここに住んだのだろうな… 床は土だから裸足で歩くと汚れそうだし、当時はたき火しか暖房がないから、そこは不便そうだが、自分の家の部屋より広いことは間違いない…」と感想として思いました。

これまでに私はいくつか古代の遺跡を訪問しましたが、敷地が一番広いのは吉野ヶ里だと思います。逆にいえばその分、巡るのも時間を要するのですが、弥生気分を味わうにはいいと思います…。

自分なりにこの遺跡を見学したあと、レストランで食事を摂りました 古代米入りのランチです。そういう米を味わうのは初めてでしたが、味は美味しかったと思います ゆっくりと、現代に蘇った弥生のお米を噛みしめました…

ここでも私は(他の遺跡同様)当時の生活用具・人骨・武器。陶器などを見物し、そして竪穴に入りまくりました。竪穴は(時代によって多少造りに違いはあるそうですが)、基本どこも同じです。でも私は飽きることなく、こういう古代遺跡を訪れては毎回、そこに入ってそして、古代人の気分を味わうことにしているのでした…

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トク

「謎のエリア」発掘調査現場を訪問 (2024/02/27 訪問)

今まで未発掘だった北面「謎のエリア」で発掘調査が進められており、昨年末に新たな青銅器の鋳型が発見されました。現在その鋳型が展示され、また発掘調査の様子が公開されているという事なので訪れてきました。歴史公園の周りには名物の菜の花が綺麗に咲いていました(写真②)。

今回も西口ゲートから入りました。まずJR神埼駅で降り駅前の「卑弥呼」様に拝礼!(写真①)。ちょっと怖そうな女性なので静かに前を通ります。そして卑弥呼様の指さす方向へ歩く事15分、西口ゲートに到着です。(注:100名城スタンプは東口ゲートにあります)

環濠集落が再現されている南内郭(写真③)、祭殿がある北内郭(写真④)、有力者たちが眠る北墳丘墓を通り、発掘中の北面「謎のエリア」に向かいます(写真⑤)。昨年ここでは石棺が発見されました。最大級の墳墓の中にある石棺なので、もしかして卑弥呼がこの中に! 世紀の大発見か!😯 と期待されましたが、中には何も無かったようです(写真⑥)。埋葬当時は誰か有力者の遺体があったものと思われますが、さすがに2000年も経っているので風化され泥水などが中に浸み込み流されてしまったようです(残念!)。

その代わり、青銅器の新たな銅剣の鋳型が発見されました。その鋳型が今月末まで展示されています(写真⑦⑧)。一昨年までに出土した鋳型は石英斑岩製で、昨年9月には蛇紋岩製が、さらに12月には角閃岩製が発見され、同じ場所で異なる石材による鋳型が発見されたという事は、青銅器製造の初期段階で鋳型に使う石材をここで試行錯誤していろいろと試していたのではないかと推測されるとの事です(なるほど~)。

最後にまた。東口ゲートにあるレストランで当時の食事を再現した定食を食べてきました(写真⑨)。古代米のおにぎりに有明海で採れた貝汁とムツゴロウの燻製です。特に燻製は珍味です(写真⑩)。2000年前からムツゴロウは有明海に生息していたのでしょうか? そして卑弥呼も、このムツゴロウを食べたのでしょうか? 私にとってはこちらも最大の謎です・・・🤔?
 

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姫街道

弥生時代の城 (2023/10/27 訪問)

土塁・堀・逆茂木等、とても弥生時代とは思えない規模の防御施設。古墳時代の形跡が多少あったらしいが、弥生時代700年続いた後は堀も埋められ、中世でも忘れ去られた空間だったらしい。これほどの立地が弥生時代以降活用されてこなかった事が不思議に感じた。

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十郎

城の起源か、環濠集落 (2023/05/04 訪問)

弥生時代に形成された集落を壕(堀)で囲む環濠集落。
集落内でも堀や土塁で仕切られたり、物見櫓や逆茂木があったり。
攻められない、守りの考え方。初期の城なんでしょうねー

広かったー

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概要

弥生時代の紀元前1世紀頃、外敵に備えて集落の周囲に壕や柵を巡らせた環壕集落が誕生。日本の城の起源とされ、北内郭では取り決めや儀式が行われ、南内郭には王や支配者層が暮らしていたという。政を司る主祭殿、物見櫓、竪穴住居などが復元されている。

城郭情報

城地種類 環濠集落
築城年代 弥生時代後期
築城者 不明
主要城主 不明
文化財史跡区分 国史跡(吉野ヶ里遺跡)
天守の現況・形態 なし
主な関連施設 物見櫓、櫓門、兵士詰所、煮炊屋等、石碑、説明板
主な遺構 貯蔵穴、土坑、横堀(空堀)
住所 佐賀県神埼郡吉野ヶ里町田手(吉野ヶ里歴史公園)/神埼市
問い合わせ先 (財)公園緑地管理財団吉野ヶ里公園管理センター
問い合わせ先電話番号 0952-55-9333