日本100名城

よしのがり

吉野ヶ里

佐賀県神埼郡


旧国名 : 肥前

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吉野ヶ里
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にのまる

予報どおりの大雨でしたが、行ってきました。 (2025/03/02 訪問)

大雨の中、広い公園全域を歩くのは辛そうなので、園内バスに半分お世話になることにしました。
東口の環濠入口から乗車し、北墳丘墓で降車。
環濠集落ゾーンを見学しながら歩きで戻りました。

昨秋、青森の八甲田山雪中行軍遭難資料館とともに三内丸山遺跡を訪れ、いたく感動したことを思い出しました。大昔の人々の暮らしや知恵に触れると、自分自身の生活スタイルや人生の使い方などについて考えさせられ、お城めぐりの奥深さを思います。

サプライズ的にうれしかったのは、2019年のお正月に訪問した時に見たイノシシの親子に再会したことです。亥年だからいたのかと思っていたのですが、ずっといたんだ!と知って、おーっ!てなりました\( ˆoˆ )/


朝田さん、赤い城さんへ。
お返しクイズの小田原城、総構から駅に戻る途中に見たかなぁ…と思ってHDDに保存している写真も探してみたのですがなかったです😭
まさかの、東横インから!だったら感動しかないのですが!!

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シェル

城の起源 (2025/02/26 訪問)

 だいぶ時間が空いてしまいましたが、佐賀旅行で巡った城の投稿の続きです。
 唐津から列車を乗り継ぎ、吉野ヶ里へ。
 最寄り駅はJR長崎本線の吉野ヶ里公園駅と神埼駅です。
 私は西側の神埼駅側から吉野ヶ里公園駅へ向かうルートで見学してきました。
 神埼駅前に卑弥呼の銅像があります。卑弥呼の銅像の指が指し示す方向に田んぼ道を歩いていくと、吉野ヶ里歴史公園の西口に到着しました。西口で入場券を購入し、園内へ。ガイドの方が園内を走る無料のバスの乗車をおすすめしてくれたので、バスで東口側まで移動し見学開始。
 東口側のそばには、環壕と逆茂木があり、坂を上ると南内郭に至ります。
 南内郭は「大人(だいじん)」の生活と政治の場だったと考えられており、物見櫓や竪穴住居、集会の館などが復元されています。
 つづいて北内郭へ。こちらは、吉野ヶ里のまつりごとの最重要の場所で、壕が二重に巡らされています。主祭殿や司祭者の住居などが復元されています。主祭殿の内部では、儀式の様子なども人形で再現されているので一見の価値があると思います。
 北内郭から北に進むと、北墳丘墓があります。ここは王の墓とされ、お祈りをする祠堂もあります。北墳丘墓の手前に甕棺墓列という弥生時代の墓地があります。ここでは甕棺の産出の様子も復元されていました。
 一通り見学を終えて100名城スタンプは東口側の券売機そばで押印。帰りは吉野ヶ里公園駅から宿へ向かいました。
 弥生時代の遺跡ですが、壕を見ると、土の城を見慣れている関東の人間としては、城と言っても差し支えない遺跡だなと個人的に感じました。

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虎の子

城への交通手段実践レポート (2024/05/19 訪問)

福岡・佐賀お城廻第三日その2
弥生時代の城と言うと大抵の人は「そんな時代にお城なんてあるの?」と言われるが、天守だけがお城ではないと私は反論する。実際にここは、堀があり、土塁があり、櫓があり立派なお城だと改めて認識しました。
エリアは広大で全部見ると1日かかるくらいかと。遺跡内を無料周遊バスが走っているので、うまく活用するのが良いかと。環濠集落や物見櫓、竪穴式住居が復元されているほか、甕に入れて埋葬した当時の集団墓地が発掘され、展示館として見学できるのでぜひ立ち寄ってほしい。

福岡に住む元同僚が百名城、続百名城めぐりを始めたらしく、この日は車を出して一緒に城廻できたので、移動は公共交通機関ではなく車で一日城廻。移動も楽で電車の時間も気にする必要もなく、同行者もいて楽な楽しい一日でした!
なお、公共交通機関で回るなら行程は以下の通りでした
※佐賀城、久留米城と共に登城
※博多に前泊
7:58西鉄天神高速バスT(高速バス)、9:14,9:25佐賀駅バスセンタ(路線バス),9:34博物館前
 (徒歩1分)佐賀城本丸歴史館(9:30-17:30休年末年始)

12:10(城徒歩16分)片田江(路線バス)、12:33駅ヶ里
 (徒歩6分)吉野ヶ里遺跡(9:00-16:30休年末年始)

(東口徒歩16分)15:23吉野ヶ里公園駅(JR)、15:38,15:45鳥栖(JR)、15:53久留米
 (徒歩16分)久留米城跡(篠山神社社務所9:00-17:00)

17:38(徒歩7分)医学部前(路線バス)、17:54,18:07西鉄久留米(西鉄)、18:47西鉄天神
泊:博多

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しんちゃん

かなりの規模を持った弥生時代の環濠集落 (2014/01/07 訪問)

少し古い写真ですが、しばらく九州には行けそうもないので吉野ヶ里遺跡の投稿をさせていただきます。集落の東を田手川が流れており、西には二本松川が流れています。集落内にも水路が流れており大規模な環濠集落になっています。入口付近にも堀や逆茂木(乱杭)が設置されており、かなりの防御力を持っていることが伺えます。
邪馬台国論争はいまだ決着がつかずですが、九州にかなりの先進的文明があったことは間違いなさそうです。私の知っている他の弥生時代の集落とは比べようがないほど広いです。最近は「謎の発掘エリア」という場所もあるようなので10年以内にはもう一度訪れたいと思っています。

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概要

弥生時代の紀元前1世紀頃、外敵に備えて集落の周囲に壕や柵を巡らせた環壕集落が誕生。日本の城の起源とされ、北内郭では取り決めや儀式が行われ、南内郭には王や支配者層が暮らしていたという。政を司る主祭殿、物見櫓、竪穴住居などが復元されている。

城郭情報

城地種類 環濠集落
築城年代 弥生時代後期
築城者 不明
主要城主 不明
文化財史跡区分 国史跡(吉野ヶ里遺跡)
天守の現況・形態 なし
主な関連施設 物見櫓、櫓門、兵士詰所、煮炊屋等、石碑、説明板
主な遺構 貯蔵穴、土坑、横堀(空堀)
住所 佐賀県神埼郡吉野ヶ里町田手(吉野ヶ里歴史公園)/神埼市
問い合わせ先 (財)公園緑地管理財団吉野ヶ里公園管理センター
問い合わせ先電話番号 0952-55-9333