おがわじょう

小川城

滋賀県甲賀市

別名 : 信楽小川城、小川鶴見城
旧国名 : 近江

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背後の大堀切
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ぴーかる

小川中ノ城 (2023/12/23 訪問)

【小川中ノ城】滋賀県甲賀市信楽町
<駐車場他>登城口<34.845128, 136.032368>に2台分の駐車スペースあり。
<交通手段>車

<見所>土塁・堀切
<感想>小川中ノ城の築城は小川城の投稿の通り戦国期に多羅尾氏が改修したと考えられています。
 小川城⇒小川西ノ城⇒からの登城しました。中ノ城は山の中腹に位置して北にある西ノ城よりは若干比高が高い場所に位置しています。街道を挟んで北にある西ノ城が見えて連携して街道を押さえる役割をしていたことが分かります。登城口から5分程で主郭に入ります。主郭手前に小さい腰曲輪がいくつかあり、主郭はかなり広い曲輪で背後の山側を垂直に削って曲輪壁にしています。甲賀の城には珍しく背後以外の方向は土塁では囲んでいません。主郭背後の曲輪壁は土壇になっていて上部に曲輪があり上に行くスロープが付いています。主郭背後の山側に大堀切があり山側尾根と遮断しています。小川城跡への登山道がありますので尾根に上がって南に登って行くと小川城跡の最北の大堀切と合流します。

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ぴーかる

小川西ノ城跡 (2023/12/23 訪問)

【小川西ノ城跡】
<駐車場他>清光寺駐車場?県道138号線脇の駐車スペース<34.847132, 136.033274>に駐車しました。
<交通手段>車

<見所>横堀・土塁・曲輪
<感想>小川西ノ城の築城は小川城の投稿の通り戦国期に多羅尾氏が改修したと考えられています。南の小川城から街道の谷を挟んで北側に位置する比高のあまりない丘城です。
 小川城から続けての登城、上記駐車ポイントから城跡への矢印版がありますし、山に入った所からすぐに城跡遺構があるのですぐ分かります。城跡は主郭の東側に堀切を挟んで副郭、その東に曲輪群があります。副郭は土塁と横堀で囲んでいます。主郭はひと際高く位置して横堀があります。小川城の説明板に東斜面に畝状竪堀があるそうですが添付写真のように現在は薄くなって表面観察では分かりません。主郭内部もたいぶ笹薮化していますが、北側に2か所切り込みがあり虎口だったかもしれません。西隅に盛土があり何らかの遺構にも見えました。主郭の西は谷・大堀切になっていて、小さい尾根が続いていました。

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ぴーかる

小川城 (2023/12/23 訪問)

【小川城】
<駐車場他>主郭手前に5台程度の駐車場がありますが、登り口<34.848581, 136.040028>からの山林道路が狭いためお勧めではありません。運転経験がある5ナンバー以下の4駆車なら行けそうです。私は200m程手前の分岐にある空き地(1台分)に駐車しました。お勧めは小川中ノ城跡の登り口<34.845128, 136.032368>に1台分の駐車スペースがありますのでそこに停めて中ノ城を見て裏奥の登山道を登って城跡に入るルート(おそらくこの道が大手道かも)がよいでしょう。
<交通手段>車
<その他城跡説明>Googleマップに小川城跡(徳川家康の伊賀越え)と西にもう一つ小川城というのがありますが前者が城跡主郭位置で後者は城跡の大手口の基地(尾根曲輪と傾斜削平地)のような感じになっている遺構でした。

<見所>主郭・切岸・堀切

<感想>現地説明板によると小川城は1305年に鶴見氏によって築城されたとの伝承があるが定かではありません。戦国期には西之城・中之城とともに改修され多羅尾氏の支配下にあったと考えられています。多羅尾氏は豊臣秀次事件に連座して城は廃城となりました。その後本能寺の変の際、徳川家康の伊賀越えで家康は信楽で1泊したのがこの小川城と伝えられ、この時の功績で多羅尾氏は江戸時代に世襲代官となります。

 山頂部一帯はよく整備されていて草が綺麗に刈られています。主郭中心部は山を削り掘り下げて周囲を土塁にして内側下部に石積みが残っています。また礎石も残されています。主郭西端は土を盛上げて櫓台のようになっており、主郭南側は広い平坦地になっています。主郭の南西隣に東屋のある曲輪があり、その西側が堀切で城跡主要部の虎口だったようにも見えます。そこに中ノ城への下って行くルート(前述<駐車場他>のルートと繋がる)があり下ってすぐ舌状曲輪⇒前述の大手口基地⇒中ノ城との中間地点に小さい堀切とすごい深くて大きい堀切があり見応えあります。
 主郭の東側は小さな段曲輪があり一旦谷になっています。東にもう一回登ってピークに狼煙台のような小さい曲輪があります。その東がまた降りて尾根曲輪の削平地になりその先が整備が終わって笹薮になっていました。
 
 北西麓の中ノ城と西ノ城は東西をはしる街道を南北に挟んで築かれていることから街道を押さえる城で、山頂部は合戦があれば本城の役割をする連携している一連の城郭群だったと私は考えます。領主の多羅尾氏は平素どこに住んでいたかは分かりませんが、山頂部の規模や主郭に礎石建物があったとすると相当立派なものだったと思われます。時間を取って前記2城と合わせて3城見る事をお勧めし、満足度は3城跡合わせてのものとします。このあと西ノ城、中ノ城を訪城したので順次投稿します。

<満足度>◆◆◆

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西ノ城 (2022/12/29 訪問)

 西ノ城となっていますが、この城が最も大きく余湖くんのHPには「西ノ城という支城のごとき名称であるが、実質的にはここが小川地域の中でも本城であったと見るべきものである」と書かれています。同じ印象です。広い曲輪があり堀切、竪堀、横堀、土塁等が、かなりいい形で残っています。ただあまり整備されている様子はなく倒木があったり、藪になっていたりしている所がありました。もったいないなと思いました。

小川城、中ノ城の北、清光寺の裏に西ノ城はあります。登城路は清光寺駐車場に標識があります。少し登れば城域となります。
 

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 鶴見長実
築城年 嘉元3年(1305)
主な城主 小川(鶴見)氏、多羅尾氏
遺構 曲輪、石垣、土塁、堀切、虎口
指定文化財 県史跡(小川城跡)
再建造物 碑、説明板
住所 滋賀県甲賀市信楽町小川
問い合わせ先 甲賀市教育委員会
問い合わせ先電話番号 0748-86-8002